罵倒・レッテル貼り・類型化は 自分を神の位置に置く行為
「悪口」「中傷」という意味で、英語で、name callingという言葉があります。「名前を呼ぶ」という意味ですね。他者の人格を、ある呼び名の中に押し入れることによって、自分を上位に持ってきて相手を下位に持ってきたり、外に排除して仲間外れにすることです。
聖書から説明しますと、十戒には、「主の名をみだりに口にしてはならない」というものがあります。聖書では、名は、その人の人格や本質そのものであり、神の御名はそれゆえ、敬い、あがめて呼ぶ以外は、呼んではならないということです。
神は初めに、アダムを造られ、ご自分のかたちに、ご自分に似せて造られたとあります。どのようなことで、ご自分に似せているのか?神がご自分の造られた生き物を支配されているように、彼も支配しなさいと命令していています。人が他の被造物の管理を任されているのです。
その支配のの一つが、動物がアダムの所に連れてこられて、「人がそれを呼ぶと、なんであれ、それがその生き物の名となった。」というのがあるのです(創世記2:19)。
つまり、人が他の人に対して、レッテル貼りをしたり、類型化した名によって呼ぶことによって、要は、「あなたを自分の支配下におきます」という、いわゆる極度のマウンティングを取っているのです。そのようにして、自分の中にその人を収め、閉じ込めて、非人格化、卑下を行っています。
罵倒のようなname callingもありますし、あるいは、「この人は、○×だから・・」として類型化していくようなレッテル貼りも、自分自身が正しく、自分自身が標準で、相手はどうしようもないとすることです。これは、言い換えると、その人は、唯一の支配者である神のようにふるまい、高ぶっているということです。