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南からの贈り物8 南の島の雪

屋久島に雪が降ることをご存じだろうか。屋久島は九州最高峰を抱える島である。標高1936メートルの宮之浦岳、1886メートルの永田岳、1831メートルの黒味岳など、これらは奥岳と呼ばれ、島の中央付近に高く聳える。その周辺を、標高1000メートル級の山が囲み、それらは前岳と呼ばれる。たとえば、夫と私の暮らした家から望めたモッチョム岳は、前岳の一つであった。

南の島でも、標高の高い山があるとなると、冬には雪となるのだ。庭の自然林に、白い山茶花の花を見る頃になると、そろそろ奥岳の初雪の便りがある。

屋久島の暮らしの中で、元気な頃は、夏には花の多い黒味岳に登ったりした。黒味岳への途中、面白い巨岩を眺めながら進むと、花之江河という素敵な高層湿原に出る。その先の黒味岳に登らずに登山道を進めば、宮之浦岳への途中には、投石平がある。初夏、そこには一面の石楠花が咲く。一度は、その石楠花を見にも行った。

その後、私は少し病気をしたのがきっかけで、登山はしなくなってしまった。それでも、夫と共に、車で奥岳への登り口の淀川登山口まで行ったり、その手前のヤクスギランドという自然休養林へ度々出かけた。

そのヤクスギランドや淀川登山口への県道も、積雪で通行止めになったりした。県道の通行止めの町内放送を聞くたび、私はわくわくするような気持ちになって、雪の様子を想像したりした。花之江河も、黒味岳も、投石平も、雪なのだ。どんな景色なのだろうかと。

モッチョム岳

寒さの厳しい朝には、島の南の我が家から見えるモッチョム岳にも雪があったりした。ウォーキングで一緒になる仲間と、その朝の積雪が話題になった。ある年は正月に、モッチョム岳に雪があった。そしてさっと時雨れると、虹がかかったりするのだった。

モッチョム岳に

山に雪麓に虹の島新春             清子

モッチョム岳は、日曜日に通っていたヨガ教室のある、隣の集落の尾之間の公民館からもよく見えた。モッチョム岳にかなりの積雪がある時などは、公民館が底冷えした。余談だが、その公民館の二階でのヨガ教室はとても良かった。南に太平洋を見下ろし、北にモッチョム三山が聳え、自然に抱かれた中でのヨガは身も心も健やかに穏やかに整えてくれるようだった。

島の北にある一番大きな集落の、スーパーの三つある宮之浦への買い物のついでに、車で島をぐるっと一周することも多かったが、島の北西の、海亀の産卵するいなか浜のある永田の集落からは永田岳が見えることがあった。奥岳で唯一、里から見える山だ。時雨れずに雪積した永田岳が見えたならば感激である。

永田岳

島の西、海岸から奥岳にかけての原生林の南から北への植生の垂直分布が見られる西部林道、それの始まる栗生では、小楊子川のほとりを散策した折にも積雪した山を見たこともあった。それは前岳の七五岳であるらしかった。

七五岳

ところで、屋久島には岳参りという行事がある。集落ごとに信仰する山が決まっているのだが、我が家のあった原の集落はモッチョム岳だった。集落の代表がモッチョム岳にお参りに行き、その間に女性陣は料理の腕を奮った。といもがらで刺身のつまを作り、煮しめを作り、ぼたもちを作った。岳参りから戻る人を迎え入れ、皆で会食した。そういった行事は、集落の隣保班の十人組と呼ばれる集まりでやることがあって、私も料理の手伝いに駆り出されたことがあったが、貴重な体験だった。

(『南からの贈り物8 南の島の雪』、
 2017年2月5日発行、
 季刊俳句同人誌「晶」19号に掲載)

後記)
今回はだいぶ季節外れの話なのだが、それでもまだ家から見える富士山には積雪があるはずで、あるはずなんて書くのは、梅雨入りして富士山が見えないからなのだが。
つい先日、例えば槍ヶ岳などにもまだ雪があることを知った。
20代の頃、山好きの父と同じく北アルプスの雲ノ平への山行へ挑んだが、途中、黒部の源流には残雪があった。
夫と私が屋久島に引っ越した後、父が屋久島の家を訪れてくれたのは一度だけだったが、それは何月頃だっただろうか、あまり天気が良くなく、モッチョム岳も残念ながら雲に隠れがちだったかと記憶している。今頃の季節だったかもしれない。
山好きの父に、ここにお見せしたような山々を見せてあげたかったなと思う。父は8ミリの山岳映画を作る会に所属していて、父のそんな8ミリ映画の作品には「わたしの冬山」というのがあった。
その舞台は八ヶ岳で、その会の会長さんとだったか二人で冬山を歩いて行く。樹々に雪が、樹氷もある。そんなシーンの父のナレーションに、「小さい頃の娘の絵にこんな風景があった」なんて台詞があった。えっ、私、そんな絵を描いたっけ?父の創作かもしれない。
でも今、あの世の父に向け、そんな絵を描いてあげてもいいなと思っている。