雨の向こう
ギャラリーカノンでの、初めての東京でのグループ展が終わった。そして、手元に一つの絵が残った。『雨の向こう』だ。
その絵を抱えてうちに帰る前、九品仏の Tobarier Galleryでの最近大好きになった Motoko Oyamada さんの個展にうかがい、気に入った一枚の絵を求めた。それはファイルから選んだもので、だから額装無しの一枚の紙の状態だった。
それを『雨の向こう』の絵の額の箱に入れて大事に持ち帰ることにした。私は、この絵はこの為に残ったのかもしれません、なんて話した。
うちに帰って来て、その絵を箱より取り出して、テーブルの上に置いてみる。額装をしていない一枚の絵。
手に取って紙の手触りを確かめる。そして間近で観る絵具の量感、筆やペンの跡、色の調子、遠くに離して観るこの絵の持つインパクトなど、味わう。
日本語に訳すと『自分の心と向き合う』という意味のタイトルの絵、英語の意味が分からず選んだが、今の私にはとっておきの一枚だったのかもしれない。
それをラフに、座っている私の後ろにある電子ピアノの譜面立てに立てた。
これに合わせる額を教えて頂いて帰って来たが、こんなにラフに飾るのもいいかもしれない。毎日手にとって、アクリルやガラスを通さないで観れるのだし。
まもなく梅雨入りした。
ある日、『雨の向こう』をうちの玄関を開けて正面に見える位置に飾った。
グループ展での額装からより良く額装も変えてある。
絵を売るのなら、自分でも飾ってみなくっちゃと夫も言う。
梅雨の晴れ間、そんな玄関のうちを後にし、二人で渓流沿いに出かけた。
一緒に散策に出かけるのは久し振りだ。私はカジカガエルの声を聞きたかった。が、雌を呼ぶ雄の求愛シーズンはもう終わってしまったのだろうか、それともタイミングが悪かったのか、残念ながらその声を聞くことは出来なかった。
ここがいいよと勧められた小さな河原で、裸足になって水に足を付ける。冷たい。
夫はもうちょっと先まで歩いて来るからと立ち去った。一人残され、辺りに水の音は絶え間なく、目の前の水の流れはひたすら透明で美しい。
戻って来た彼に来年は聞きたいねと言うと、来年はもっと早くに来よう、カジカガエルは案外早くから鳴くからと答える。
ただいまと玄関を開けると、『雨の向こう』の絵が穏やかに待っている。
自分の部屋に入り、ピアノの譜面立ての絵『自分の心と向き合う』にまた近付いてみる。
やがて例年より随分早く梅雨が明けた。
この夏と共に楽しもうと決めた色のトーンを並べて行く。夏が終わった時、そこに何かが残されるのを信じて。