南からの贈り物4 二月の墓に
東京を離れてからというもの、桜に恋い焦がれていた。樹齢の多い立派な桜の大木、町並みに続く桜並木、そんなものを懐かしむことがあった。屋久島の里や、指宿の町中で、染井吉野のような桜も無いことはなかったが、あまり楽しめなかった。恐らく、冬の寒さが足りないのだろう。見事には咲かないし、少し寂しいものだった。
その代わり、まずは緋寒桜がこちらでは咲いた。沖縄などにも多い緋寒桜は濃い花の色で、私の恋い焦がれる桜のイメージとは異なっていたが、それは春を待つ桜であった。南の地で桜と言えば、緋寒桜と言っても過言ではない。昨年、夫と二人何も知らず、母の亡くなる直前にも緋寒桜を楽しんでいた。
緋寒桜を楽しんだその指宿の植物園で、母の亡くなった後に、早咲きの、春一番の伊豆の踊り子という桜を眺めた。伊豆の踊り子の花の色は、緋寒桜とは違って春らしく柔らかく、そして、染井吉野よりも華やかでさえあった。暖かい日差しの中で、しかしまだ二月だというのに、春爛漫な気配を漂わせていた。そんなに大木ではなかったし、桜並木という訳ではなかったが、その数本の桜が、母を亡くしたばかりの私を、明るい気持ちにさせてくれた。
父が亡くなったのも二月であった。その二月の終わりには、指宿ではそろそろ白い大島桜が咲く頃となる。それは近くの小高い山である魚見岳の道を登りつめた所に、すっくと立っていた。これも私の恋い焦がれる桜とは違ったが、凛とした美しさはあった。
手鏡や二月は墓の粧ひ初む 石田波郷
その粧い、それは一体どんなものだろう。
早春とはなるものの、父母の亡くなった二月の福岡では、底冷えのする日もあったし、雪がちらつく日もあった。が、母の住まい近くでは、白梅が咲き始めてもいた。
二月の墓に、そんなけなげな白梅や、うちの庭にある愛らしい紅梅もいいかもしれない。が、福岡の父母の墓に、南国に住む私からは早咲きの桜を送ろう。夫と見た、あの美しく華やかな伊豆の踊り子の桜を母に、落ち着いた穏やかな感じのする白い大島桜を父に、手向けてみたいと思ったりする。母は何事にも前向きで明るく、父は物静かで優しかった。
母の最後の住まいを手放した折に、ポストのネームプレートを記念にもらった。その旧姓の字面を眺めて、もともとは、祖父、祖母、父、母、私の五人の家族であったこと、その家のあったことを思い、しみじみとした。また、夫と私の田舎暮らしにより、父母の晩年には少し番狂わせをさせたのではと、やや胸の痛い思いもするのであった。
ところで、私は、俳句は父が亡くなった後より始めた。「晶」が立ち上がってからだ。同人になってからは、「晶」をお供えしたりもしている。父は、母よりも、俳句に関心がありそうな気がしている。父に私の句を読んでもらったら、どんな感想をくれたかしらと思う。母は母で、私が俳句をやっていることを、親戚に話題にしてくれてもいたようだ。
父が亡くなって、父の句を幾つも作ったが、母の句はあまり出来なかった。清子さんはお父さん子だったからと言われることもあったが、それが、母を亡くして、母の句もたくさん作るようになった。亡くなった父母を詠む時、それが至らない娘から父母への、精一杯の詫び状、そして感謝状ともなっているといいのだがと思う。
恋い焦がれる桜への思いが、いつか薄らぐことはあるだろうか。どうだろう。今ひとつ確かに言える事は、南国の桜たちはここにあり、二月という忘れがたい月に、これからも毎年、咲いてくれるであろうということだ。
(『南からの贈り物4 二月の墓に』、
2016年2月5日発行、
季刊俳句同人誌「晶」15号に掲載)
後記)
今年の冬の終わりと春になってからは、私の敬愛していたフェルト造形作家の佐藤比南子さんと、音楽家で最もリスペクトしていた坂本龍一、教授が亡くなった。私の父と母の命月である2月を挟んで。
そんな冬の終わりから春にかけて、今年は初めて伊豆高原五月祭に油彩を描く小浜さゆりさんと水彩の私で二人展として参加する事が決まった。
こちら伊東に越して来て6年目にして初めての参加となり、それまで参加していた神奈川や東京のグループ展参加ももうやめ、ひたすら描くことに。
DMを作るにあたって、二人展の名前を『Flowers』とした。小浜さんは抽象も描かれるが、女性と花をモチーフとした絵も多く描かれる。私も抽象も描くが春の花をモチーフとして描こうとも思ったからだ。それに、私たち女二人のユニット名としての Flowers と思って頂いても良かった。
比南子さんの訃報を知って、私の手許にある彼女が花のように作ったフェルトマフラーをモチーフとして描きたいと強く思った。それは『フェルトの花』という絵に仕上がった。比南子さんが私に描く力を与えてくださったのだと思った。
そしてもう一方、ああ教授も亡くなってしまったんだ。二人展に向けて最後から2枚目の30号の抽象は、何か花に関するタイトルを付けたかった。描いているうちに考えて、教授のピアノで親しんだ曲の中から花に因むタイトルを頂戴した。『A Flowers is not a Flower』、花は花に非ず。教授、お許し頂きたい。このトップの絵がその部分。
季節は移ろい立夏を迎えた。最後の30号の抽象と同時進行で描いていた20号のモチーフの中に実を付けた桜の枝も入れた具象は『はつなつ』として仕上がった。
こんな風に、今年の父母の命日前後から当地でも桜は蕾が膨らみ、咲き、散り、花は葉となり、実もなり、二人展は無事開催となり終了した。
ちなみに、こちらは伊豆なのに残念ながら伊豆の踊り子という桜は見かけず、その代わりに春先駆けては華やかな河津桜、そして白い大島桜、山を染める山桜といった桜をほとんど今のうちや近所に居ながらにして描いている最中、楽しんだ。
こちらは桜のメッカである。そんな地に今は住んで居て桜は見放題。そして絵を描いている。父も母もあの世から桜も私の絵も見てくれているかしら。