名もなき人たちの善意を笑う資格は誰にもない
時々、本当におかしいと思うのですが…。
長いことNPO活動をしていると、しばしば、いや、かなりちょくちょく、「儲からない活動をするなんて気が知れない」という目線で見られるのです。
社会的地位のヒエラルキーが
営利企業>公費による制度事業>非営利活動団体>ボランティア
という図式になっていることを感じます。
営利活動をやっている人たちに「福祉のしくみってアレさ、続かないでしょ、あんなことやっても」と、したり顔で言われたことは1度や2度じゃありません。「いやそりゃ、大事なことだとは思いますよ?でもね…」
そのたびに、営利活動をする人たちは、私たちを見下している、と感じるのです。
私たちは障がい児者の保護者の支援活動を11年間やってきているのですが、時には私たちの支援活動の受益者である保護者にさえ「なぜもっとお金をとらないのですか」と言われることがあります。「とったらいいのに、おかしいですよ」「損をしている」と(ちなみに全然とっていないわけではありません)。
そのたびに「気にかけてくれてありがとう、でも払えない人もいるからね」とお話しするのですが、言ってくださった方は釈然としない様子です。心配してくださっているんです。続かなくなったらどうするんですか、とね。ご自分にとっても、そして同じ立場の他の保護者にとっても、必要な活動だと思ってくださるからこその言葉なのです。
一方で営利企業さんや、福祉サービス事業者さんからは、「相手にもされていない」と長い間、感じてきました。
それでも、営利企業をしている人たちの言い分は、まだ、わからないでもありません。ご自分の努力でお金を稼いでいて、そこに誇りを持ってるからこそ稼げない私たちが愚かに見えるんだろうなと思うのですが、国からお金をもらっている事業者さんに見下されるに至っては…なんの立場で…と思わずにいられないこともありますね。
また、「ゆとりのある人はいいですよね、我々なんか自分が食うのに精いっぱいですよ」と言われることもあります。これも、嫌味と嘲笑を含んだ言葉として響きます。
非営利活動をする人たちは物好きなゆとりちゃんかぁ…。
「あの人たちは好きでやっているんだよね」そりゃそうです、それは否定しませんが。イヤならやりませんからね。
以前、とある場で、長くNPOに関わっている方が言われていました。「最近のNPO業界が社会的インパクトを重視しすぎることに違和感を感じる。それは、営利企業のやり方を真似ている、もっと言うなら阿(おもね)っているように見える」というようなことを。
その時は言われていることの意味がきちんと把握できていなかったのですが、今はその意味がよくわかります。
最初のころこそささやかに活動していたうちの法人も、今では大きい金額の助成金を得るために常に、いかにしてより大きな社会的インパクトを産む活動を創れるだろうかと頭をひねっている立場です。
そんな中、気づけば私たちまで、非営利団体の中でもインパクトのある活動を生み出せるほうが価値が高い、逆に言えば知らず知らずささやかな活動を下に見るようになってきてしまっているのです。
私たち自身も結局「稼げるもの、お金を集められることこそが偉い」と思っている、思わされているということ。いつの間にか私たち自身が、儲けを出せない活動に対する社会の目をなぞってしまっているのです。
誰だって食べていかなければいけないし、ボランティアでは持続性に乏しいのもわかっています。ただしボランティア活動だと持続性がまったく無い、とは言いませんが(ずっと続いているボランティア活動は世の中にたくさんあります)。そして私たちの法人に関しては純粋なボランティア活動団体ではないのですが(とは言え、かなりボランタリーな活動であることは否めません)。
でも、誰にも評価されなくても道のゴミを拾い、今日の晩に食べるものがない人たちに食事を差し出すような善意の行動を、愚かしいと言う資格はどこの誰にもないはずですよね。
だってもし、社会福祉制度にもなっていず、営利活動でももちろんカバーできない、完全に社会のすきまに落ち込んでしまっている部分を埋める存在がまったくなくなったら、今の社会はどうなるのでしょう?
自分も含め、いつのまにか、絶対に社会に必要なのに「稼げない」というだけで善意による活動を下に見るようになっている、こんな社会の空気に疑問を抱かなくなっていたことに、うすら寒さを感じます。
社会に必要とされる大切な活動であればこそ、活動者たちは続けていけるよう努力をし続けないといけません。「あなたたちのしていることは本当に必要とされているのか」と聞かれることもありますから、どれだけの人にどれほど必要とされているかは、活動者として常に伝え続けなければならないことです。
それにしても、その活動が続くか続かないかについての責任を負うのは、その活動をする人たちと、その受益者のみであるのでしょうか?とも思います。やはり、制度のすきまを埋める活動を、社会全体で支える仕組みが必要だと思います。
今私たちは、地域でそのような仕組みを作ることについても動き出しています。多くのささやかな善意が社会を支えることを途絶えさせないように。多くの方のご理解やご協力を必要としています。
もし、このような活動について理解し、応援したいと思っていただけるようでしたら、以下に記載するホームページの「寄付で応援」バナーから、できればマンスリー会員(毎月寄付)として応援していただけると大変ありがたいです。どうかご一考ください。よろしくお願いいたします。
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