大晦日、寄付型NPOの記事を読んで
今井さんのやってることは本気度が違うなあと今朝も感心。
伝え方も本当にうまい。
「一緒になって支援できると嬉しい。寄付はするだけではなく、一緒になって事業をつくり、課題解決に動くもの。
寄付を集める人は仲間集めの人でもある。同じ船に乗って、目標に向かって動く船頭。一緒にできたら、うれしい。」
寄付についての説明もうまい。
寄付集めについて、NPOのことを知らない人は「人に金をせびってる」「カネカネやたら言ってる」「人に金をくれと頼んで情けない、みじめとは思わないのか」「もらうこと考える前に稼げ」などという目線を感じることがある。
まあ、わかんない人は結構ですよ、と切り捨てることは簡単なんだけれども、寄付文化を当たり前にしていくためには、寄付の意味、寄付の価値、寄付のチカラを言語化して伝えていくことは大事だ。
寄付を頼むことは社会課題解決への「巻き込み」だ。
閉じられた世界でのみ「社会のためになること」をしたところで、外から見えない・手も出せないでは結局広がっていかない。
寄付の呼びかけはたとえ他から資金調達できる場合でもやったほうがいい場面はたくさんある。
自分では直接関与しようもない社会課題について、それに取り組む人を応援することは、自分もその課題解決に「1枚噛んだ」ことになる。そう思える人は、応援してくれる。お金の寄付ではない場合もあるが「1枚噛んでいる」と思えることが大事で、その社会課題への関心も俄然強まる。その社会課題への「自分ごと」感が強まる。そのことについて他の人に伝えようという気になったりもする。
そういうことが結果、社会を変えるチカラになる。
巻き込みたい人を巻き込める、巻き込まれたい人が巻き込まれることができる…その接点のひとつ、それが寄付だ。
アメリカでは寄付は当たり前の文化。アメリカはいろいろ問題を抱えた社会ではあるものの、チャリティの精神はとても強い。
誰かに手を差し伸べることもあれば、自分が手を差し伸べてもらう立場になることもあるということを向こうの人の方が強く知っているのかもしれない。
自助・互助・共助。
自助ばかりが良いこととされがちな日本だけれども、そこばかりを尊ぶと結局自分で自分の首を絞めることになる。
助け・助けられるを当たり前に。
そのほうがみんなきっともっと楽に息ができるようになる。