※訂正あり【沖縄】三線について調べてみました①概要【カルチャー】【note継続28日目】
こんにちは。キヨリンド地域おこし協力隊@辺戸岬観光案内所です。
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さて、本日で30日連続note投稿&三線練習28日目となりました。(詳しくはこちら。)ではでは本日はその「三線」について調べてみたいと思います。
◆三線とは
弦が3本ある弦楽器、ということですね!(ざっくりすぎではないか)
では、どこからやって来たのでしょうか。琵琶みたいにシルクロードからやってきたのかしら、、、
◆どのようにして生まれたのか?
福建省由来の福岡県経由か。(自身の入力間違いでここまで勘違いしていたとしたら、注意力無いにもほどがある。でも、ウィキにどうかいてあったか記憶がない、、、ということは私の入力ミスである可能性が限りなく100%に近い、、、すみません、、、こちらに気づいて下さったのはななこさん!
さすが琉球弧民謡研究会の会員さん!ありがとうございました(TT))
琉球王朝時代(1429年~1879年。長い!!!)の琉球は貿易がとても盛んだったそうですからね。
お隣の国のみではなく、木製の船でマレーシアなどの東南アジアまで出向いたというのですから驚きです。
◆三味線との違いや関係性は?
南から北へ渡っていったのですね。他にも色々書いてありましたが詳しくはウィキペディア「三味線」をどうぞ笑。
(もしや、、、?と思い三味線ウィキも確認しましたが福岡のふの字もありませんでした、、、本当にすみません。)
◆三線の役目
なんと!海外からのVIPを接待するために役職の三線主取と踊奉行があったとは!
芸能に重きを置き国交に必要不可欠だと国を挙げて認識されていたなんて、なんて素晴らしい国なんだ!今では芸能は「不要不急」の行いですからね。
こんな重要なポジションで絶対踊りたくないけど笑笑
そして、昔々は三線は男性のが演奏するものだったのですね~。現代で三線に出会えてよかった です笑。
また、「芸妓・遊女が座敷芸として唄三線を身につけた。」というのは三味線に共通するところでもありますね。
現代では御願(うがん、安全祈願など様々な理由により行われる)の際に演奏されたりもしますね。うーん、なんてかっこいいんだ沖縄よ、、、
◆琉球処分やら戦争やらで被害を受けた三線
ううう、、、涙。一切合財なくなってしまわなくて本当に本当に良かった。
物はいつか形を失いますが、人々の中にあるものはいつまでも失われず語り継がれていくのですね。私もしっかり弾けるようになるまで続けます。
◆まとめ
元々は大陸からやってきた三線でしたが、このように琉球王朝によって独特のものに発展していった三線。私は特に音階に興味があり、インドネシアはバリ島の楽器「ガムラン」と共通する音階だそうです。木の船で東南アジア
を訪れた際にセッションでもしたのかしら、と妄想が膨らみます笑。
ということで次回は「ガムランとの関係」について書きたいと思います(妄想含め笑)
最後までお読みくださりありがとうございました。
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キヨリンドでした。