脱!不毛!アラフィフ『再』婚活日記#291 別居婚したい

なぜか亡くなられたアナウンサーの小倉智昭さんと私、あと見知らぬ女2人の4人で狭いエレベーターに乗り込み、高速で上昇して全然止まらない夢を見て、胸が苦しくなって目が覚めた(私は閉所恐怖症)。
エレベーターで上昇する夢は吉夢っていうけど、これってどうなんだ?
そして何故小倉さん?

アプリブロック事件以降、ケンジからも私を見られないとわかってから(別アカ作って見てたら知らんが笑)いいねがついたら見に行っているけど、全くいい男はいない。
30代の未婚とマッチングして一瞬やりとりしたが、
「お住まいはどちらですか?」
という質問に、
「市内です。AとかBとかそのへんです」
という返答。
AとBはめっちゃ離れている。駅数で言うと5駅以上ある。

アホなのかな?


ボカしたいにしてももっと考えろよ。
秒速ブロック。
あとはすぐにLINEしませんか?ときた40代未婚とか、自分から話題提供しないで挨拶ばかりしている50代半ば離婚とか。
闇ってるセフレだけど外装完璧ケンジ VS 誠実そうだけどつまらなそうなクソダサおじさん
だと、断然前者のセフレを選びたいのが今の気分です。

壇蜜さんのインタビュー記事を読んだ。

きれいで聡明でエロくて、彼女のことは以前から大好きなのだが(出演している映画も観た)、彼女の考え方にすごく共感するし、やっぱり私も籍を入れるのであれば別居婚がいいなと思う。ていうか、

別居婚一択だ


結婚云々以前に、私は誰かと一緒に暮らすのはやっぱり無理だと確信したから。
先日、会社友Gにも言われたが、
「一緒に暮らすなら、それなりの部屋数の家探して、部屋は完全に別にして夜這い方式にして笑、シェアハウスみたいに水回りは共有して、時間が合う時にごはんは一緒に食べるとかはどうなん?」
それもいいんだけど、私は深夜鍵を鍵穴に入れる「カチャ」っていう音で目が覚める超神経質人間よ。
寝不足が一番ダメージきつくて身体に不調をきたす私は、そもそも『同じ屋根の下』というのが厳しい。
『同じベッドで眠る』なんてもってのほかだ(と先日思った)。
夜中トイレに起きられるとかもダメ。
別の部屋にいても、絶対にこっちも目が覚める。
関係ないが、ケンジがよくトイレに行く人なのだが、最初は「スマホいじりに行ってるんだろうな」と思っていた。
だけど先日うちに来て、おしっこ近い人だってことが判明した(音でわかる笑)。
羞恥心ないのはわかってるけど、せめて扉は閉めてやれ笑
話を別居婚に戻すが、父は亡くなった時、内縁の妻がいた。
今では内縁関係でもいろんなことができるようになっているのかもしれないが、当時は内縁関係では亡くなった際にできることがほとんどなかった。
なので私が喪主となって一切を取り仕切ることになったが、一緒に暮らしていなかったし、他人よりもコミュニケーションの取れていなかった父のことなんて何もかも知らない。わからない。
信心していた宗教すら知らなかったので、めっちゃ難儀した。
結構長く一緒にいてくれたと思っていたけど、内縁の妻のおばちゃんも何も知らないという体たらく笑。どんな付き合い方してたんだよ。
父はバツ2で、2人目の嫁にはそこそこの財産を食われた挙句、2人で飼ってかわいがっていた犬も連れて逃げられた。
最期の内縁のおばちゃんもなかなかの曲者で、以前から「この家がほしい、ちょうだい」と言っていたり(私の実家:築何十年のボロ家ですぜ?)、ちょいちょい財産目当てっぽい発言をしていたと、後に伯母たちから聞いたので、父はそれを危惧し、次は籍は入れまいと思っていたのだろう。
そんなこんなの経験から、
「なんかめんどくせーから、一緒にいるならやっぱ籍は入れた方がいいのかな?」
とも思うし、
「死んだ時めんどくせーからという理由だけで法律婚するかい?」
とも思う。
子がいれば子に託せるが、私みたいに子がいない場合、きょうだいにお願いするしかない。
現在、私の死後は弟に託すべく、生命保険の受取人も弟にしているが、弟からは、
「金なんかいらんし、めんどくせーからはよ再婚しろ」
と常々言われている。
めんどくせーめんどくせーうるせぇきょうだいだな笑
ま、離婚する際、子がいないのに「めんどくせーから」という理由で、夫の姓を名乗り続けている姉の弟だからな。

上記の壇蜜さんのインタビューの中に、

清野さんや彼の親御さんが亡くなるとき、近くにいられないのが嫌だったんです。自分の両親含め、私が彼ら全員をがっつり納骨して、「はい、お疲れさまでした」と言ってから人生を終わりにすることを目標にしているので、籍を入れる必要があったんです。

というくだりがあるが、これは葬儀社で働いていたという壇蜜さん独特の思考もあるのかもしれない。

ただ、この国で埋葬するには焼くことが前提だと思うので、結局、写真とお骨だけ残って、何十年か後には何もなくなっていくでしょう。

でも、確実にその手助けをしたということで、「ああ、よかった」と思って安心してこの世を去りたい。家族の愛って、旅行に行ったり食事をしたりすることだけじゃなくて、彼らの後始末をちゃんとしてあげることが最大の愛、家族の最終形態だと私は思っているんです。

そう、『家族』の定義なんて、1つじゃないんだよ。
血が繋がっていたってくそみたいな家庭もあれば、繋がっていなくたって愛あふれる家庭もある。
独りでいたいと思うならそれも1つの家庭だし、自分たちが、自分が作りたい形を作っていけばいいのでは。
昔はそういう生き方は「自分勝手な」と糾弾されただろうけど、幸い多様化とやらで、そんなことも少なくなってきたみたいだし。
てかそもそも、自分の人生なんだから、自分の好きに生きていいんだよな。

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