連載 「こけしの恩返し」13 デザイン事務所編


4年勤めた会社を12月末で退職し、年を越え、2月からデザイン事務所で働くことになった。

2月からの勤務だったけれど、1月中頃から自宅でできる仕事を自宅でやることになったのだけど、今思うとそこから既に私の雲行きは怪しかった。

私の自宅のネット環境は、今どきADSLでして、容量の大きいデータを送る時など下手すると30分くらいかかってしまうという、アナログ的デジタル環境だったため、データ送信が遅くてかなり迷惑をかけてしまった。とにかく、データを送るのに時間がかかる。それと、自己流で今までやってきた自分と、本格的なデザイン事務所の人たちの仕事のやり方との間に深い川の存在を感じていた。なんか、違う。私、どうやら全然できないぞ、ということを、自宅でのプレ出勤の時点で感じ始めていた。

そのデザイン事務所は千駄ヶ谷と原宿の真ん中あたりにあり、私にとっては歯が浮くような超おしゃれ地帯だったので、そこに馴染めるのだろうか、ということも懸念点だった。麹町はおじさんがたくさんいてある意味居心地はよかったのだが、東京のおしゃれの発信地のような場所にはどうも気後れしてしまって、お尻がむずむずするような感じがしていた。

出勤が始まり、デザインのアシスタントの仕事をさせてもらったのだが、やはり私は全然出来ない子なのだということが早々に明らかとなった。まず、レイヤーの使い方から違った。あと、基本的な部分、ちゃんと揃える、とか、間の取り方、とか、情報の優先順位、とか、私、全然、できて、いなかった、の、です、、、、

あと、どうやら、私、相当、暗いのですね。電話に出るときの声も、通常トーンだと、暗いのですね、私。何度も「明るい声で、演じて!」と言われましたが、私、演じることも、できないのですね、、、

それと、打ち合わせに同席させてもらった時も、私、何もしゃべれなくて、「打ち合わせで一言もしゃべらないのは罪やぞ」という名言をいただきました。私、罪、犯しました、、、

そんな中でも唯一褒められたことは、ブログの文章だった。その事務所のブログを何度か更新させてもらったのだが、その文章がおもしろい、とおっしゃっていただいたのだ。ありがたかった。。

デザイン事務所に勤めている友人たちからその大変さは聞いていたので、残業も当たり前と覚悟していたけれど、そんな生活のせいか、アトピーの悪化が酷かった。朝起きて、かき壊して痛くて辛くてしばらく動きたくない、そんな日が続いた。そういうときは、少し遅刻してしまったりもした。まだ試用期間だというにも関わらず。。。あと、実は円形脱毛症にもなった。人生初です、これ、びっくりしますよ、自分の頭皮にツルツルの部分を見つけた日にゃ、それを鏡で見てみなさいよ、すんごい気持ち悪いんだから!

身体は察知して、必死で訴えたんだと思う。「あなたには、この仕事は無理ですよ」ということを。


結局、試用期間の3ヶ月が終わる時点で勤務終了ということになった。私には、そこで働くための技術と経験と度量と適応能力がなかったのだ。その話を聞かされたとき、私はもっと学ばせてもらいたいと思い、あと1ヶ月だけ働かせてくださいとお願いして、結果合計4ヶ月、その職場で働かせてもらった。お給料をいただくに値しないような人材だったけれど、4ヶ月いさせてもらえて、学ばせてもらえて、とてもありがたかった。


デザインに命を捧げるように働く姿勢や、デザインに対して妥協を許さない姿勢、それは獲物をつかまえるときの肉食動物のような目に見えた。メラメラと燃える闘志のようなものを感じた。すごいなあ、と思ったし、そこにみなぎる力は圧倒的だった。でも、私はそれについていけるだけのものを持ち合わせていなかった。

しょうがない。

私は私のやり方とペースでやっていくしかないのだな、と思った。

4ヶ月間で得たものはたくさんあった。

この4ヶ月の経験があったことで、その後デザインの仕事を個人で受けたときに役立ったことがたくさんあった。


デザイン事務所のボスに言われた言葉を覚えている。

「現状維持は、ゆるやかに下っていることと同じ。常に少しでも上を目指すこと。」

「本当にピンチの時は、言ってくること。ピンチの時に何も言わない方が、もっと迷惑をかけることになるのだから。」

「自分の身体は乗り物。この乗り物をどう運転するかは自分次第。」


思い返すと、名言の多いボスだったなあ、と思う。

短い間だったけれど、大変お世話になりました。

ありがとうございました!!!



次回、ミラクルな流れの中で出会ったバイト先について!

お読みいただきありがとうございました!



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