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お父さんと私⑤ 終末医療へ

父の病気が見つかってちょうど1年経つころ、がんが肺に転移していることがわかった。私も母もショックだったとは思うが、一番ショックだったのは、父本人だろう。この日は言葉がとても少なかった。

そんな状態だというのに、(そんな状態だからだろうか)、明日までに書き上げたあい原稿がある、と言って夜遅くまで仕事をしている日があった。身体のことがとても心配だったが、母も私も止められなかった。母は、「お父さんから仕事は奪えないよ。」と言っていた。父にとって仕事は生きがいだった。本当は、止めたかったと思う。休んでほしかったと思う。でも、この先の保証もないのに、仕事の手を止めさせることは、この時の私たちにはできなかった。

そういう無理が祟ってなのか、あるいは健康的な日常を暮らしていても進行していくものなのか、父の体調は悪くなる一方で、とうとう、救急車を呼ぶことになった。

がんセンターの医師からは、もう、抗がん剤治療はできない。終末期ケアの病室を予約するから、そちらに移るように話をされた。

母の話だと、父は、あと5年は生きていられる感覚がある、と言っていたそうだ。しかし、今の自分の身体の状態を医師から告げられると、大きな大きなショックを受けたようだ。

その現実から目を背けるためなのか、余命までにやるべきことをやるためなのか、「そんなことは良いからここで仕事をさせてほしい」と医師に言った。医師ははじめ、自分の身体のひどさを自覚するように厳しい言葉で状態を伝えていたが、父がどうにも聞かないので、また仕事に必要な機材を運ぶことにした。

私は泣きたい気持ちだった。また恐怖と不安が一気に押し寄せる。

父はどうして、自分の身体と向き合わないのだろう。どうして、仕事ばかりするのだろう。弟の大学の学費を払わなければいけないとか、治療費を払わなきゃいけないとか、そういうことなら、私がなんとか頑張るから、仕事を辞めてもらうわけにはいかないだろうか。そう考えている時だった。

母も父も、だんだんと、身体の状態を理解した。もう出勤することはできないことを感じていたようで、出勤できないとなると、退職するしかないかな、と覚悟しているようだった。

しかし、職場の偉い人がお見舞いに来て、「家で仕事ができるように手配するから、自分のペースでやってくれないか」という話をもらえたと言う。母から、「お父さんが職場の人と話をしたら、とても元気になったよ。やっぱりお父さんから仕事は取れないよ」とメールが来た。

私もだんだんと、父を受け入れるようになった。もちろん「どうして身体を大切にしないの!」と怒り悲しんでいる自分もいないわけじゃない。

でも、人は、身体だけじゃない。心がある。精神がある。魂がある。父は今、やるべきことを取り上げられたら、すぐさま死んでしまうのかもしれない。

私は「仕事をやめてほしい」ということを自分の奥の奥にしまった。

父は病院に居続けることを拒否した。最後は家で看取ってほしいという希望を叶えるため、訪問医療を受けることに決めた。

訪問医療に移行するにあたって、ソーシャルワーカーはじめいろいろな人のお世話になり、支払いや登録、必要な医療器材や介護器具などを揃えた。在宅で介護してわかったことは、在宅介護はいろんな人の支えでできているということだ。家庭用に簡易に取り付けできる手すりを作ってくれる人、家に入れられるくらいコンパクトになった医療器具、その代金支払いを支えてくれる医療保険、、、いろんな人の働きで、家で看取ることができる。

そして、あれだけやめてほしいと思っていた、敵意までもってしまっていた父の職場にも感謝することになる。職場のご厚意で給料を以前のまま頂いていたことで、高額な医療費を苦なく支払うことができた。

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日記から

寝付けない深夜4時にもうすぐなるところ。

父は先週から在宅医療、介護を受けております。抗がん剤治療は限界ということで終了し、緩和ケアへと移りました。

腹水が溜まって食べなくても飽満感があるようです。

夜はやはり、心が不安定になりますね、不安で涙が止まらなくなりました。久しぶりに、日記を書こうと思います。

私の中の私へ、

「今、ここ」に戻っても、すぐ「未来」に行ってしまいます。

歌を大声で歌わなくていいし、酔っ払いにならなくてもいい。

ただそこにいてお話できればそれでいいです。それでいいです。

お父さんを、まだ連れていかないでほしいのです。

やっぱり私は、孫に会わせたい、会ってもらいたい。

父も同じ願いをもっていることを知って、ますますそう思いました。

「すべては魂の学び」

「人の死はそこから大きな学びを得ることができる」

分かってます。それが正しいことは分かっています。

でも今は、父を失うくらいなら、学びなんていらないし、気づきもなくていい。

父と一緒にいることで得られる学びや気づきだってたくさんあるもの。なくたって構わないけど。

「いつか受け入れてもいいかな」と思う日まで、自然にそう思えるまで、この願いを現実にしたいろいう思い、消しません。

何かの本にありました。「悟り」の道を行けば、「悟りを開く」ことができるのではなく、「悟り」を試みようとすることができるのである、と言っています。

「悟っている」人なんて、いないんです。「悟ったなー」と感じても、別の出来事で心が大きく揺さぶられる。そこから気づきを得る。悟りの道とは、その繰り返し。

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お父さんと私⑥に続く



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