お父さんと私③ 病気と仕事と休職と 大切なものは何だろう
抗がん剤治療が安定し、入院から通院に変わると、父は半年近く休んでいた(とは言っても職場に通勤しなかっただけで毎日原稿を書いていたが)職場に戻ることになった。
私としては、もっと休養してほしかった。家でできるのであれば、毎日出勤せず、家で働けば良いのに、どうしてお父さんは自分の身体を大切にしないのだろう、と怒りにも近い感情が芽生えていた。
だいたい、働かせかたもおかしい。60歳の人を、北海道やら長崎やら、月に何回も出張に行かせるなんて。付き人がいるわけでもないから、手配も全て自分でしなければならない。私は父の職場にも不満が大きくなるばかりだった。
始めはなんの副作用も出なかった抗がん剤も、だんだんとその症状が現れた。毎日のように熱が出る。手先が冷たい。食事の味がおかしい。白髪…抗がん剤の副作用なのか、がんの症状なのか、誰も正しく言える人はいなかったが、抗がん剤を減らすことは、難しかった。
どうしても自分で話さなければいけない講演などには、母も付き添いで出張した。宿泊先のホテルではとても体調がすぐれなかったと聞いた。
私は父を止めたかった。今でも、泣いて怒って伝えたら、どうなっただろうなと思うことはある。でも、父の余命を考えると、また、父の仕事中心の人生を考えると、仕事をせずに休養をとっても、治ることがなく逝ってしまえば、それはきっと大きな後悔が残るのだろうとも思った。
父が書斎で仕事する時、大音量で好きな音楽をかけていることが多かったが、この頃それがパタリと途絶えた。
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日記から
お父さんが仕事に復帰するとのこと。今の状態が良好とは思えないので心配です。
そうか良い時期に、来る時期に復帰できますように。
おじいちゃんおばあちゃん、見守っていてください。
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お父さんと私④に続く