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他界したお父さんと話をした日
またスピリチュアルな話なんだけどまだぎりぎりお盆だしいいかな笑
私のお父さんは、4年前に他界している。62歳だった。
病気で余命宣告もされていたので、周囲も心の準備がしやすいといえばしやすいのかもしれないけれど
私にとって、父の死は消化しきれない思いがたくさん渦巻いていた。
「お父さんは苦しみながら、もっと生きたかったのに死んでしまった。かわいそうだった」
そういう思いが、私を支配した。薬の副作用や、重くなっていく病症に耐え切れないで「辛いよ」という父が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「私にできることが、もっとあったんじゃないか」
そんな後悔の念もぬぐえなかった。
誰にどんなに「家族は永遠に一緒だから」とか「魂は永遠に生きている」とか言われても、現実味をおびないそれらの言葉は、どんなに真実だとしても納得いくものにはならなかった。
気づけば、4年過ぎていた。私の中にくすぶっていて、時間が止まったままになっている、父との時間が、ようやく動くときが来た。
結論から言ってしまうと、父と話すことができたのだ。
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・・・・・・
8月4日、義父の誕生日の日、お義父さんへの誕生日プレゼントを買って車に乗り込むと、車のフロントガラスにバッタがくっついていた。緑バッタではなく、仮面ライダーみたいなバッタだ。バッタがついたままだったが、車を走らせた。(一応車が動くから逃げて~と声はかけといたんだけど)バッタはしばらくフロントガラスにくっついていた。
お義父さんの家に行く途中、図書館に寄って本を返した。車を停めて、本を返しに行っている間に、バッタはどこかに行ってしまった。代わりに、小さめのセミが全開にしていた窓からバタバタっと羽を羽ばたかして車の中へ入ってきた。
こういうことが立て続けに起きたので、バッタやセミがやってくるスピリチュアル的な意味を調べてみると、幸運を運んでくれる、というのがあって、そのほかに、特に緑バッタじゃないバッタには、故人からのメッセージをもってきている場合がある、とかなんとか書いてあった。
「わしの誕生日も忘れるな」ということかな、と思って、6日のお父さんの誕生日に娘とお墓参りに行った。
その夜、家のドアを開けようとした時、胸に何かがぶつかって落ちた。フロントガラスにくっついたのと同じ種類のバッタ。ドアの前でちょこちょこ動いている。
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・・・・お父さんなの??(とりあえずバッタに向かってお誕生日おめでとうと言っといた笑)
次の日、お父さんと話せるような気がして、試みてみた。
私は、気功を毎日やっているので、宇宙とつながるように意識することは、割と慣れていた。つながりたい存在につながるということが、実は「普通なこと」という感覚も気功の先生のおかげで持ち始めていた。時々、脳に直接届く直感なども降ってくることがあったので、そういう存在とつながる感覚で、お父さんにつなげてくださいと、意識を集中させていった。
そしたら、つながれてしまった。
で、つながれたので聞いてみた。
お父さん、今はどう?
ーとても楽で幸せが当たり前にあるところにいる
お父さん、病気のとき、身体辛かったよね。
ーあの時は辛かったと思うけれど、辛かったことはほとんど覚えていない。家族が家で看取ってくれたこと、病床にいつも寂しくないように誰かいてくれたこと、仕事を在宅でできるようにしてもらったこと、とてもありがたかった。そういう感謝することしか覚えていない。
でも、余命宣告を受けたとき、ショックだったでしょう?みんなと別れるのは寂しくなかったの?に対して
ーその時はショックだったと思うのだけど、やっぱり辛かったことは忘れてしまっている。他界する数日前から、あっちの世界にいったらもっと家族のそばにいれると分かったので、寂しくなかったし、怖くもなかった。
ーもっと自由に生きなさい。
父が私に向けて言ってくれたことだった。それらの言葉は、文字にすれば何文字にもなる父の言葉は、「言葉」として入ってくるよりも早く、なんらかの形で、とても瞬時に私の中に入ってきた。文字にすれば何文字にもなる父の言葉は、「言葉」として理解するよりも早く、私の中に入ってきた途端理解し、涙が溢れた。
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お盆前にこんな体験をした。現実は何も変わっていない。父が生き返ったわけでもない。苦しんだ過去が変わったわけでもない。でも確かに、私の中で、止まっていた時間が、ようやく動き出したのがわかった。
お父さんはもう苦しくない。苦しかったことも忘れるくらい、感謝と幸せの中にいる。
大切な人を亡くした方へ、これは私の個人的な体験で、他界した人がみんなこんな感じとは決して言えないけれど、
もし私と同じように
苦しい時で時間が止まっていたり
自分がもっとこうしていればと自分を責めてしまったり
そういう苦しい中で、長い間動けなくなっている部分がある方に
こんな風に今は感謝と幸せでいっぱいなのかもしれないなと思って自分の肩の荷を少しでも下ろしてもらえたら
とても幸いです(無理して思う必要はないです)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
イラスト、お借りしました。sassa様、かわいいイラストありがとうございます。