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芽と目。〔ぼくらの”障害”ドキュメンタリー2020.11.26〕

誰よりもう○ちを出すスピードが早く誰よりも回数が多い人、どーもきよひとです。汚いものを想像してしまった方は早速謝っておきます、ごめんなさい。

昨日お話した内容を読んでない方はぜひそちらから読んでください。これは地続きのドキュメンタリーです。

昨日話し合いの場でママさんがぶわっと感情を爆発させた…みたいなことを書きました。そのことについてまたぼくの思うことを書こうと思います。

■感情の爆発

昨日ぼくが書いてる時点ではシンプルに『感情の爆発』ぐらいに思ってました。なので、正直に話すと『めんどくせぇ奴め!』って思う部分もありました。ぼくは相手の話を聞きそれを受け止めたかったのにって気持ちが強かったから。

ただ、昨日ママさんとLINEをしてたら「もうあんな話し合いの場には行きたくない」っと言葉をもらしてました。その流れでは「別にお前はおらんでよか」っとぼくは返したんですね。すごく冷たく聞こえちゃうかもしれませんが、本音です。
そこから少し考えます。

■「あんな話し合いの場」

ママさんの言葉「もうあんな話し合いの場には行きたくない」が胸に残ります。
きっと沢山の思いを抱えてるんだろうな…
しんどい思いで園からの言葉を聞いてたんだろうな…
自分の中で整理のつかない気持ちを錯綜させながら言葉を受け止めていたんだろうな…
納得することなんてできず折り合いなんてつけることができない状態で。

ぼくは比喩として「死刑宣告」などという言葉を使ってましたが、ママさんにとってはまさに「死刑宣告」だったのかもしれません。
それは大好きな愛する我が子への死刑宣告と届かない想い。

死刑宣告されるのはもうわかってるから、だからその言葉をさえぎる自分の感情の爆発。何度も何度も私のこの想いをコロサナイデって感情。これ以上私の心をコロサナイデ、一心をコロサナイデ。ママなりの覚悟を込めた必死の抵抗だったのかもしれません。
自分の心を保つ為の最後のSOS…

■現実と理想

自分のことがすごく情けなくなります。
家族が悲しい思いをしているのに、今のぼくには守れる力がない。
無力を痛感します。

ぼくは本当にろくでもない人間です。
ママさんや子供、家族なんて守らなきゃいけない存在は邪魔でしかないと思ってました。今でも多少なりともそんな気持ちがあるのが本音だと思います。ただ、そんなことを思いつつもそれはぼくの力の無さへの言い訳だという事も理解してます。情けない。

こんな自分が「ダイバーシティを!」「障害を持った子が生きやすい世界を!」「障害を持った子を育ててる親御さんを、同じ境遇の方をポジティブな方へ向かせたい!」などと大それたことを言ってるのはわかってます。

たった一つの家族をたった一人のママさんを、愛する我が子を守れないやつがそんなことを言ってるんだから、それはそれはかっこ悪いったらありゃしない。

今の自分にはとても手の届かない、目を向けることさえ許されない眩しいもの。だから、分不相応だとしても恥をかいてでも「言葉」にして自分を奮い立たせます。

目の前のママさんやいさねさん”家族”を守る。この延長線上にぼくが掲げる大きな理想とする世界があると思います。そしてこの大きな理想はこの『子育て』や『家族を守ろう』とする小さな種が咲かせる花なんだとも思います。

昨日『不幸は幸せの種だ』っと言いました。今はしっかりとその”芽”を出すために、家族を守れない事実や自分の無力さから弱さから目をそらさず前に進みたいと思います。

今日はあまりふざけてないんですがどうだったでしょうか?
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

ぼくらの”障害”ドキュメンタリー。
2020.11.26

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大坪圭人
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