人間は小麦の奴隷? はたして人間は本当に進化しているのか
今日は、有名な、
「サピエンス全史」上巻、下巻
河出書房新社
ユヴァル・ノア・ハラリ
という本を読んで
感じた事をお話します。
ホモ・サピエンス
として発生した人類は、
長い時間を掛け
旧石器時代から
進歩を続け、
現在、コンピュータを
使いこなす所まで
文明が進んできました。
その流れを独自の視線で
語ったものが、
「サピエンス全史 」です。
しかし、この本を読み、
人類は本当に進化しているのか、
僕は、
少々自信が無くなってきました。
原始の時代、狩猟採取だった
人間が、やがて農業を覚えて、
移動型から定住型に変わって
いった事が本書では
書かれています
ご自宅で、鉢で植物を育てて
いる人はお分かりですが、
旅行などで、数日、家を
空けるだけで水やりの問題に
直面します。
それだけでなく、
家を建てて定住していると、
管理の問題などで、
ノマドのように自由に
色々な場所を移動する
わけにはいきません。
特に農業従事者は毎日の
管理が命ですから、
気軽に旅行も行けないという
話を農家の知人から、
よく伺います。
つまり、農耕が始まったとたん、
定住型になり、
人は土地に縛り付けられたのです。
たとえば、世界で一番数多く
繁栄している生命種は、
人間ではなく小麦です。
その次がトウモロコシ、
そして米です。
それらはどこかのタイミングで
人間に管理され、
繁栄していく道を選んだのです。
その種子のほとんどは
人間や家畜に消費されます。
しかし、必ず子孫を繁栄させる
一定量の種子は確保され、
すでに世界中いたる所に、
遺伝子は、ばらまかれいて、
彼らの戦略は見事に
成功しています。
人間は小麦、トウモロコシ、米、
その他の農産品植物の繁栄に、
ほぼ生涯を捧げて、
決してそこから逃げる事が
出来ません。
彼らは、水や栄養、日照が確実に
保証され、何の心配もありません。
一方の人間は少々体調が
悪くても休む事なく、
汗をかいて労働し、
彼らの為に奉仕し続けます。
本書で書かれた
「小麦の奴隷」とは、
そういう意味です。
日本の縄文時代は、
狩猟採取文化だと
言われています。
少し稲作もしていましたが
本当は「拾い物文化」です
聞こえは悪いですが
縄文時代の日本は
とてつもなく豊かで
貝や海藻、木の実、キノコ、
ちょっと土をどければ、芋など
いくらでも落ちていて、
1時間も、ぶらぶら歩けば
十分食料が拾えて、
時間が余ります。
だから、あんな超芸術品の
縄文火焔型土器を作る事が
出来たのです。
常に食料が豊かで、
貯蔵の必要がなかったから、
貧富の差が生まれず、
近隣地域との争いもなく、
仲良く暮らしていました。
なんと平和が1万5千年も
続いたのです。
土地や会社に縛られ、
毎日朝から晩まで、
老いるまで働き続け、
常に近隣国から攻められる
恐怖を抱えている現代と、
心の豊かさはどちらが
上でしょうか。
先人を知り、物質文化や、
農耕文化を根本から考え直す、
時代の大きな曲がり角に
来ていると感じています。
読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように
起きますように。
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