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「笑い」と「ほほえみ」は似て非なるもの 地獄は「笑い」であふれ、天国は「ほほえみ」に満ちている

笑いとは何か。
「故、桂枝雀師匠」の
研究によると、
笑いの基本とは、

① 「緊張と緩和」
② 「離れ」

の、ふたつだそうです。

「緊張と緩和」とは、
例えば、
太くて長いゴムを2人で
引っ張りあって、
数メートル離れた所、
突然一人がゴムを放して
もう一方の顔に
当たったら、
笑いが起きます。

例えば、
カットした
おいしそうな
メロンが皿に盛って、
客の前に出された瞬間、
客が、
「ワー、おいしそうな
スイカ!」
と言ったら笑いが起きます。
これが「離れ」です。

しかし、笑いには
他の側面があり
「誰かの失敗」
「思わぬ災難」
「自虐」
「いじめ」
「上から目線」
「軽蔑」
などもあります。

また、
「笑われている」と、
「笑わせている」とは、
随分違います。

TVの
バラエティー番組では、
その手法が多く使われ、
「熱い食べ物」
「熱い風呂」
「軽い暴力」
「怪我しない落下」
「怪我しない痛い事」
「常識外の行動、変顔」
「思わぬ失敗」
「理不尽な出来事」
「いじり」
「着ぐるみ」
「物まね」
などがあります。

笑いには、
笑われている
存在が不可欠です。

タレントの
出川哲郎氏がTVで
「ヤバイよ、ヤバイよ」
と、繰り返します。

これには、実は、
深い意味があり、
「痛いよ、痛いよ」
「熱いよ、熱いよ」では、
視聴者から見て、
彼がいじめられていると
いう印象を与えて、
笑えなくなって
しまうため、
検討の結果、
「ヤバイよ」が
着地点
だったそうです。

そう言う僕も、
TVは、最近、
見ませんが、
落語。漫才、コント、
YouTubeの失敗動画集
などは大好きです。

僕自身、
人を笑わせる事が
大好きで、
人が集まると、いつも
バカな話をして
人を笑わせるのが
楽しみです。

どうして人を
笑わせる事が
好きなのか、

最近になって、
気づいたのは、
僕の父親が。
僕と正反対な
短気な人だったので、
父親の怒った顔が、
小さい頃から
とてもストレスで、

父の怒りスイッチが
入らないように
家族の中で、
いつも、道化の
笑わせ役として、
振舞っていた事が
遠因だと考えています。

一方で、微笑みは
全く違います。
微笑みには「余裕」や
「品格」が必要です。
「緊張」と「下品」には、
「ほほえみ」は
似合いません。

天皇、皇族、王家の
ほほえみが、それです、

「ほほえみの国タイ」には
行きたいと思いますが、
「爆笑の国タイ」では
やはり、
魅力を感じません。

色々な事を
わきまえていて、
節度を持っている人は、
人前で、
歯を見せて大笑いを
する事はありません。

和歌山の南方熊楠
(みなかた くまぐす)
という学者が、
家庭教師として
まだ、お若い頃の
昭和天皇に、生物学の
個別講義を
していた事がありました。

熊楠は、
南方マンモスと
呼ばれ、
かなり変わった方で、
普段は山の自宅で
ふんどし一丁で
暮らしていて、
環境問題を
日本で初めて
提唱した学者です。

熊楠が陛下と
個室で講義をしていて、
陛下が少し眠そうに
していたので、
熊楠が陛下に
エッチな話をしたところ、
陛下はうつ向いたまま
顔を起こしません。
陛下が
ご気分を害されたと
思い、
「陛下、どうなされ
ましたか?」
と、たずねると、
陛下は、顔を伏せたまま、
「熊楠よ、朕(私)は
人に笑い顔を
見せるわけには
いかんのだ」と
言われたそうです。

それくらい、
笑いと、ほほえみには
違いがあります。

僕の親しい知人(友人?)に、
僕より40歳も年下のT君という
男性が居ます。
そんなに若い彼を僕は、
尊敬していてたまに2人でお酒を
飲んだりもします。

彼の凄い所は、
いつ会っても、
ほほえみを絶やさない
所です。
僕も、真似して
実行しようとしますが、
いざ、やってみると
とてつもなく難しい
事に気付かされます。

日々の生活の中で、
「いつも笑いが
絶えない家族」も
いいですが、
「いつも、
ほほえんでいる家族」
が素敵です。

これからの世界を、
ほほえみで
いっぱいにしたい
ものです。

読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように
起きますように。

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