イヤみ

イヤホンが故障した。

イヤホンが故障した。
有名メーカーの、無線で繋がるノイズキャンセリング機能付き。完全無線のため、使わない時は充電ケースに入れておくタイプ。
定価は3万円ほどで、とても気に入って愛用していたイヤホンだ。


購入からしばらくは特に何の問題もなかったのだけれど、
1年ほど使ったある日、イヤホンのケース部分をなくしてしまった。
耳に嵌ったイヤホンだけが残ったが、1時間もすると、充電ができないため何の役にも立たなくなってしまう。
慌ててサポートに連絡をしたところ、ケース単体でも"交換"ということで対応可能らしい。
すぐにストアに行き、12,000円ほどで新品のケースを手に入れた。
交換後、3ヶ月の保証がついているらしい。

これでまた音楽を楽しめるようになる。
12,000円は痛いが、悪いのは紛失した自分なのでしょうがない。

その後、4ヶ月ほど使っていると今度は右耳のイヤホンからノイズが出るようになってしまった。
なんとか音は聞こえるのだが、少し動くだけでノイズがひどく、気になってしょうがない。
再度サポートに連絡すると、ストアまで来てもらって診断した方がいいとのことで表参道の店舗に行くと
「左右とも壊れてますね。」と診断結果が出た。

片方11,000円で交換できるとのことで、「こんなことなら4ヶ月前に新品を買っておくべきだった」と思いながらも新品は30,000円を超えるし、ケースは新品同様と思っていいだろう、とイヤホンだけを22,000円払って交換することに。

「交換後は3ヶ月の保証があります」と説明を受け、ノイズの出ないイヤホンを手に入れて満足して店を出た。

それから2週間ほどして、何故か右のイヤホンが充電されなくなってしまった。
音には何の問題もないし、完全に充電がされないわけではなく"ほとんどされない"くらいの状態。
もちろんケースがない時よりは大分マシだが、これはこれで満足に使えなくて困ってしまう。
前回の交換から4ヶ月経っていることを知覚したまま、「3ヶ月の保証」という言葉を思い出しながら再度サポートに連絡をする。

「検証の結果、ケースに不具合があるようです。交換しますか?」
と言われ、ここで初めて一連の流れにひどく落胆した。
最初のケースの紛失は自分に責任がある。それは間違いがないし、機械の故障に関してはしょうがない。
ただ一つ不満があるとすれば、つい2週間前に診断してもらった時にケースの不具合については何の言及もなかったことだ。
この2週間の間に壊れたのか、それともスタッフが見落としていたのか、、、どちらにせよ、ケースの保証期間も過ぎているため、有償の交換はやむを得ない。

どうにか方法はないだろうか、本当に不具合だろうか、と限りなく低い可能性を求め、「対処法はないでしょうか」と問い合わせるも、様々な検証の結果、ケースが壊れていることがだんだん明白になっていく。

嫌味

「その他、何かお手伝いできることはございますでしょうか」という、サポートの丁寧な対応に
「対処法がないことがわかったので満足です。」と、少しの嫌味を混ぜながら会話を終了させた時は自分が被害者であることを疑わず
「2週間前にイヤホンを交換するために支払った20,000円が無駄になった」という事実から
「20,000円を騙し取られた」とまで思考を巡らせていた。

とはいえ、新しいイヤホンが必要だ。
もう一度12,000円を払ってケースのみを交換する気にはどうしてもなれず、製品自体は気に入っていたため、新品を購入することにしてまたストアに足を運んだ。

悲劇の主人公のような気持ちと、少しの苛立ちを感じながら店内に入り
店員に商品名を伝えて購入の意思を伝える。

「こちらはお使いになったことはありますでしょうか」
「はい。今も持っていますが、壊れてしまって」
「修理ではなく、購入で宜しいでしょうか。」
という質問に、悲劇の主人公として
「"何度も"修理しているので、買い替えます」と答える。

ここで「申し訳ございません」と言われたところであの時の20,000円が返ってくることもないし、気持ちがスッキリするわけでもない。

ただやり場のない気持ちをどうにかしたくて、最後のあがきでこういうことを言ってしまうことはなんとなくわかってもらえると思う。
自分が悲劇の主人公として存在することで心の安定を作り出すための回避行動として、他者を悪者に仕立てることは不自然ではない。
「親ガチャ」とかはまさにこういう精神状態からくる言葉だと思う。

"悲劇の主人公"はもちろん揶揄した言葉だが、つまり「自分は悪くない」という思考が歪んだまま発展していくと
「自分は正しい」となり、行き着く先は「相手が悪い」という結論となる。

ここまでの文章を読んで頂いて「これはメーカーが悪い」という印象を受ける人は多くないと思うのだけど、当事者になるともう「あいつが悪い」という非常に攻撃的な思考になってしまうのだ。これは理解してもらえるのではないだろうか。

とにかく、自分がそういう状態にあることはちゃんと把握できてないままに、特に何の嫌味にもなっていないけれど少なくともあまりスマートではない対応をしてしまった。

店員さんは特にうろたえることもなく、
「かしこまりました、ではこちらへ」
と、最小限の質問で目的を最も素早く達成するために最適な対応をしてくれた。 

ここで対応が変わり、会計担当のスタッフのいるエリアへと案内された。
「では担当変わらせて頂きますね。」
そう言って別の担当の方を紹介された。

嫌な見た目

話は変わるが、すこし前にチックやトリーチャー・コリンズ症候群やミソフォニア、失笑恐怖症など
珍しい病気(?)について調べていた時期がある。

患者にインタビューした映像なんかも見て、感情移入したりしてその苦悩もわかっていたつもりではあった。
詳しいことはまた別の機会に書くとして。
見た目だけで差別されるなんて間違っている、と思っていたし、他者との違いを受け入れられずに差別をする人間なんて最低だ、とさえ考えていた。
なんなら、「こういう事実を知りもしない奴らより、知って考えている方が正しい人間だ」みたいなことを考えていた。

話は戻って

別の担当に案内され、そこで商品の購入手続きをすることになったのだが
その方の顔を見た瞬間に生理的な嫌悪感が想起された。

正直に述べると、一目見た瞬間に「気持ち悪い」と感じてしまった。
まさにトリーチャー・コリンズ症候群のような顔つきで、おそらくは視覚障害であろう、目のあたりが不自然に歪んでいる。
かつ、名前を見ると外国人である。

まだ悲劇の主人公である僕は
「え、ちゃんと対応できんの?日本語しゃべれんの?」と、さらに嫌な気分になってしまっていた。
まさに前述の通りの「最低な人間」の思考だ。

「こんにちは!担当の○○です。」
「僕は目が見えないんですが、精一杯お手伝いさせて頂きますので、宜しくお願いします!」
と、とても明るい笑顔で、とても流暢な日本語で挨拶をされた。

完全な視覚障害者であるらしい彼は、iPhoneを器用に操作して、スピーディーに購入手続き・保証の手続きを完了させてくれた。
商品の機能の説明も、クレジットカードでの支払いもなんら問題がなく、素晴らしい対応だった。


その間、僕はずっと恥ずかしい気持ちで一杯だった。

一体いつから間違っていたのかわからない。
けれど明らかに間違った。

道徳的なことが語りたいわけではないし、差別がいけない!みたいなことが言いたいわけではないけれど
やはり、明らかに何かを間違っていた。

結局のところ、どこが間違っていて、どうすべきだったのかについてはわかっていない。

余計なノイズをキャンセルできていれば間違わなかったのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?