嘘つきと呼ばれた私には、ちょうどいい
私が舞妓をしていた時、よく嘘つきだと言われていました。
確かに私はよく嘘をついていたと思います。
15歳の少女ですもの。怒られたくないし、よく見られたいと思って当然です。
当時は、たとえ嘘をついていなくとも、お姉さんに可愛がられている子の言うことが絶対的に正しいので、私が何を言っても信じてもらえませんでしたけれど。
お姉さんが「カラスは白い」と言えば白いし、マカロンを「たい焼き」と言えばたい焼きなのと同じで、可愛がられている子が「この子がやった」と言えばこの子がやったのです。
それでもやってないわけですから、私はもちろん否定します。否定したら最後、1時間でも2時間でもお手洗いに立つことや、水を飲むことも許されず、怒られ続け、しまいには「私がやりました」となるわけです。
お姉さんからしてみれば、嘘をつき続けた末に、やっと認めたことになっているわけですから、これで“嘘つき”の出来上がりです。
そうこうしていたら、わたくし、吃音症になりまして。頭の中でさえ言葉が出てこなくなり、失語症となりました。
それでも今は、文章を書いています。少しずつ、言葉が返ってきてくれています。
小学生の頃、小説家を夢見て、ノートにたくさんの物語を書きました。妄想をたくさんしては、心を躍らせていました。まだその妄想たちは返ってきてくれません。物語が、頭に浮かぶこともあまりありません。
けれど、なぜまた文章を書こうと思ったのか。それはtwitterで出会った高円寺の蒔田さんが、読みたいと言ってくださったから。LL magazineを一緒にやろうと言ってくださったから。そして、LL magazineの愛しいメンバーがいたからです。
だからまた、言葉と向き合おうと思えるようになりました。
“嘘つき”の一面。これを強みに変えようと思います。
私が書く小説は、本当にあった話なのか、それとも嘘なのか。
皆様どうぞ見破ってくださいませ。勝負ですよ。
嘘を本当、本当を嘘、はたまたどちらかわからない。そうなれば私の勝ちです。
私の文章はまだまだ拙いですが、皆様との勝負だと思い、頑張って綴っていきます。僭越ながら、お付き合いくださいませね。
最後に、蒔田さんへ。
この記事を読んでくださるかはわかりませんが、もし読んでいただけていたならば。私は貴女の帰りを何年でも待ちますから、ゆっくりとお休みになられてください。そしてふらっと妖しい笑みを浮かべ、お戻りになってください。
追記.
この記事がどうか花街の人たちに読まれませんように!!
この記事が見つかれば、きっと顔を真っ赤にしてお怒りになるのでしょうね。