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もうひとつのジョンとヨーコ〜知られざる日本前衛芸術家・吉川静子の軌跡
清藤 誠司|セイジィ・キヨフジ 2025年2月19日
〜今、これからの時代を生きる、あなたの眼でぜひ確かめておいてほしい、そんな作品・作家の美術展がここにある〜
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2024年12月21日 – 2025年3月2日 大阪中之島美術館
1・アナザー・ジョンとヨーコ/ミューラー=ブロックマンと吉川静子
グラフィックデザインの世界においてヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(Josef Müller-Brockmann)という名前を知らない人はいない、と言われている。
ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンは、インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル(スイス・スタイル)という、文字や活字をスタイリッシュに図案の中核に置く、現代の様々なプロダクトデザインの基本を確立したグラフィックデザイナーとして知られている。
視覚的な秩序と機能美を極限まで追求した彼のデザインは、ポスターや表紙・装丁、Webデザインに至るまで、その後の潮流に多大な影響を与えた。いわば20世紀の視覚表現に革新をもたらした人物である。いわゆるデザインの教科書としても有名な彼の著書「グリッドシステム」は、今や、動画サムネイルなどの印象的視覚効果の基礎概念にまでつながっているとも言えるだろう。
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そんな人物のかたわらに、才能溢れる日本人の女性がいたことをあなたは知っているだろうか。
業界の超有名人と日本の女性というカップル。
どこか、思い当たる超有名なカップルを思い浮かべることだろう。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ。言わずと知れた、世界的ロックスター、元ビートルズのジョン・レノンと小野洋子である。
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1960年代末から70年代、実は全世界で有名になるジョン&ヨーコに先駆け、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと吉川静子という、欧州と日本の国際カップルが活躍していたのである。 世界的グラフィック・デザイナー、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの妻、吉川静子はヨーロッパ現代アートシーンの前衛美術家であった。
吉川静子は1934年(昭和9年)日本で生まれ、津田塾大学で英語と文学を学んだのち、筑波大学(当時の東京教育大学)で建築・プロダクトデザインを専攻した。1960年代にスイスへ渡り、ウルム造形大学の流れを汲む学校で学んだ。その後、チューリッヒ・コンクリート芸術派の影響を受けながら独自の美術作品を展開していった、当時極めて先進的な日本出身の知られざる芸術家だったのである。
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2・西洋と東洋〜再婚という生まれ変わり〜前衛芸術家・吉川静子
静子とミューラーブロックマンの出会いは、日本であった。
1960年、東京で開催された世界デザイン会議でコーディネーターおよび通訳として働いていた静子は、その世界デザイン会議出席のため来日していたヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと出会う。
彼女はその後デザインの道を進むため、スイスへ渡りデザインの道を歩むこととなる。ウルム造形大学はバウハウスの理念を受け継ぎ、合理的で機能的なデザインを追求する場として知られた学校で、そこでミューラー=ブロックマンは教鞭を取っていた。その後、彼女はブロックマンのスタジオで働き、デザイナーとしても活動を始めた。
1967年、2人は結婚する。2人は再婚同士であった。
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ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚式を挙げるのが1969年。ほぼ同じ時期にさる業界のスーパースターと日本人の女性のカップルが同時に生まれていた。
そして、それぞれが再婚同士であったことも共通している。これらの共通項を深く考察するつもりはないが、偶然にも、再婚した2組の夫婦が、西洋と東洋のカップルであること、文化や芸術と深く関わっているということは、とても興味深い。
再婚という人生の再スタートが「繰り返す=転生・生まれ変わり」という東洋の日本に馴染みの深い信仰概念に通じるということにも思い当たる。
静子がデザイナーから美術家へと生まれ変わるのは、この結婚直後からである。
静子がミューラー=ブロックマンと出会い、共にグラフィックデザインの世界での活動を続けるうちに、彼女の感性と表現の可能性が新たな方向へ向かい始めるのに、時間はかからなかった。
彼女は夫とともにスイス・スタイルのタイポグラフィーやレイアウトを研究し、広告やポスターの制作に携わるうちに、構成や色彩、形の純粋な表現に関心を強く持っていく。
ある日、夫ミューラー=ブロックマンは彼女にこう提案した。
「君の線や形は、もう情報を伝えるためのものではなく、感情を表現し始めている。それはもうデザインではなく、アートの領域に足を踏み入れているのではないか?」
静子はその言葉に驚いた。彼女自身、思いのうちに、機能性を重視するグラフィックデザインの枠を超え、より純粋な表現をずっと目指していたのかもしれない。
彼女の中で、うずめく何かが燃えていた。
「僕はデザイナーとしての君を尊敬している。だが、もし君がもっと自由に創造したいなら、デザインに縛られる必要はない」
こうして1960年代スイスで、新しい日本人女性の前衛芸術家が生まれることになる。グラフィックデザインという「秩序」の世界から、自由な「表現」の領域へ踏み出すということ。それは彼女にとって未知の挑戦であり、同時に、日本の戦後に生まれ縛られてきた自分自身が、心から望むものだった。
そして、静子は美術家として生きていくことを決意する。
グラフィックデザインの原則を基盤としつつも、彼女の作品は、色彩の重なりや錯視効果を活用し、人間の視覚と心理に深くかけて実験的な表現を追求した。これは、合理性と機能美を重視したミューラー=ブロックマンのデザイン哲学とも共鳴しながら、知覚的な柔らかさを具現化した芸術表現と言える。
そこには極めて綿密に色彩や構造物に対する計算・設計が裏打ちされたものがあった。
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3・宿命的な解読〜オノ・ヨーコと吉川静子・同じ星の元に生まれて
同じく60年代後半から70年代にかけて国際的な知名度を上げていくこととなったオノ・ヨーコとは対照的に、吉川静子は生涯独自の表現活動を貫く形となった。
1933年(昭和8年)癸酉年2月生まれのオノ・ヨーコと、一年下になる1934年(昭和9年)1月生まれの吉川静子とは、東洋運勢気学では四緑木星という同じ命運を持つ。
人間関係での調和、多面的交流の根本的性質を持ちながら、両者ともに個性と信念を貫こうとする野心としたたかさを秘めた性格であり、それに沿った人生を歩むことになる。四緑木星の人物像としては異彩を放つこの個性は、それぞれの月命、傾斜宮の運勢解析でも明らかである。
ただ一つ大きく共通するのは、人との関係、つまり夫・パートナーとなる人脈がきっかけとなり、大きな縁を生み出していったところは、最強の運勢的宿命にあった。
では、なぜ吉川静子は、一般的に広く知られることがなかったのか。
少なくとも、海外で活躍した日本人女性芸術家としてこれまで国内で取り上げられることはなかった。
静子が日本での凱旋を果たす1978年、南画廊での個展が開催されるが、その後、継続的に展開はされなかった。
それは、南画廊のオーナー志水楠雄氏が、翌年1979年に急逝し、当時の日本の現代アートが海外マーケットに進出する潮流が一時期途絶えてしまうという出来事があったからだ。それは一言では語りきれない70年代の日本美術界のある意味、闇の側面である。
また静子は生まれ故郷となる、福岡や日本に対して強い思いがあった。そして何より彼女自身が、江戸時代に福岡・柳川藩主立花家の藩士を務めた大澤家をルーツにもつ出自であったとこ。それでありながら静子は複雑な家庭環境の中、女という立場、職業的偏見の中から、自立しようともがき続けた女性であった。
この点は、オノ・ヨーコとの境遇と偶然にも共通する点がある。だが静子が、故郷の本家から財政的な援助があったかといえば、実はそうではなかった。実父母の別離の影響もあるからなのか、故郷・実家との縁が強かったとは言い難い。
そうした人生の変転の中で、静子はスイスへ渡るという運命を選び、極めて独自の表現を追求する道を選んだ。
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4・色彩と形の構造にこだわる驚異的な信条、信念
2025年(令和7年)2月18日、オノ・ヨーコはニューヨークで92歳の誕生日を迎えた。夫のジョン・レノンはその45年前、熱狂的なファンの凶弾に倒れ亡くなった。
吉川静子は、日本の年号が令和に改まる1ヶ月ほど前の、2019年(平成31年)3月27日、スイス・チューリッヒで一生を終えた。夫のミューラー=ブロックマンは1996年に他界している。
吉川静子の作品は一見すると、シンプルなミニマリズム(最小限表現主義)のように見えるかもしれないが、決してそれではない。
形の重層的な展開、そして何より色彩に対する構造へのこだわりは、驚異的とも言える。この部分は、歴史上のすべての芸術家が貫いた精神性、信仰心とも呼べる信念の追求に匹敵すると言って間違いではないだろう。
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スイスで製作された吉川静子のインタビュー、創作の風景を記録したドキュメンタリー映像が残っている。 この映像の中で静子は、自身が描き出している色彩や形に対する言葉を残している。また京都・桂離宮を訪れ、日本の陰翳礼讃、陰と陽の美学にも言及する。
私たちの眼に写し出される造形はみな、光と影。形は、そこにあって、またそこには何もない。赤であり、青であり、緑があって、橙がある。
色も造形も、互いに引き合う、対称があって、それはプラスとマイナスが同時に存在する。そうして世界は成り立っている。
ぜひ一度機会があれば、静子の描いた絵画や造形作品の前に立って、一歩二歩作品の前を動いて見て欲しい。現れる色彩、影と色合いは、その瞬間瞬間で変化していく。ここに、存在と非存在の入れ替わりが立ち現れる。
静子は、スイスに渡りグラフィックデザイナー、前衛芸術家の道を歩み始めた時から、この世界に対する陰と陽の世界をひたすら描き続けていたのである。
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20世紀ポップミュージックとグラフィックデザインの世界では、ジョン・レノンとヨゼフ・ミューラー=ブロックマンが時代の金字塔を打ち立てた。だが100年も過ぎれは、それらは歴史の1ページの片隅にまとめられるに違いないと、私は想像している。
時代の転換とは、目まぐるしい陰と陽、光と影の移り変わりなのである。
もしかしたら100年後に注目されているのは、オノ・ヨーコの音楽や作品表現であり、さらには今後、ようやく光が当てられていくであろう吉川静子という芸術家の作品や人生なのかもしれない。
Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン
2024年12月21日 – 2025年3月2日 大阪中之島美術館