【私がここに辿り着くまで その①】
人生すべては、結果良きところにしか運ばれていなかった❣️
そう氣付けたのは40歳を過ぎてからでした✨
1人でも多くの方に、これからの人生 もう一分一秒無駄にせず、より豊かに過ごしてほしいから
数年前にFacebook限定で載せていた内容ですが
赤裸々に公開しちゃいます🤭
それにはまず、物心ついた頃から、役者になると決めていた私の 大人期のことを。
二十歳の頃の私は、都内駅近、女性限定の3万円出してお釣りがくる、お風呂なしアパートに住んでいました。
(※駐車場の料金ではありません😆)
桐朋という、多くの名優を輩出した学校でもあり、学費もハイレベルで知られる学校を出してもらったこともあり、ハタチ過ぎたら親の仕送りは一切なし。
早朝から自転車を飛ばしに飛ばして、
何駅も先のアルバイト先のパン屋に向かい、
魚屋さんのように威勢よくパンを売り、
(劇団)俳優座の研究所のレッスンを受け、
空いた時間は、学びのために観たい演劇を観に行く。
そんな日々でした。
けどね、当時の私からしたらお芝居のチケットって
もんのすごい高かったんですよ〜!
(…って、いまはもっともっと高くなってますね。役者を辞めていく人が多いわけだ( ´◡͐` : ) )
バイトするにも、レッスンや芝居の稽古があるから限られた収入の中、さぁ、どう生きようかと考えるわけで
当時の私が出した答えは
『袋入りのインスタントラーメンが1日1袋食べられれば餓死はしない😊💡』
だったから(うーんとっても若い!)
生活費以外のお金を、出来る限り観劇、芝居で必要な雑費に回して、とにかく演劇に真っ直ぐひたむきに生きておりました。
また、フリーマーケットで上手に買い物できる才能もあったので、今回は100円でこんなコートが買えたよー!レトロな扇風機がなんとウン百円で!などと仲間内に披露し、話しては、それなりに愉しく過ごしてました。
お風呂屋さんの閉店時間に滑り込み、烏の行水が続くことがあったので、
ある時、部屋にドラム缶風呂を付けられないかと思いたち、工場で働いてる友達に相談したこともあるくらいだったり。
私は真剣だけど、周りから見たらちょっと変わった生活をしてることが徐々に知られるようになり、
当日人気だった某貧乏バトル番組に出演しないかという話も頂き、飛び上がって喜びました。
が…数多くの名優を輩出してきた老舗劇団に所属していたこともあり、劇団からそんな人が出ては困るだろうと、お断りしたこともありました。
はい、もちろん部屋にはエアコンなどありません。
冬や夏はどう過ごすかって?
冬は、部屋の中でもダウン
(正確にはダウンも買えないからモドキ)が基本。
夏は、凍らしたペットボトルにタオルを巻いたものを4つ。枕、足元、脇に2つ置いて寝てました。
だって、今在るものでなんとかしなきゃね。
野草を食べるまではいかなかったにしても
貧しいながらも、その日々を懸命に生き、楽しかったんですね。
すると、そんな生活の仕方がカッコイイ!といって、
実家を出て、そんな私とお付き合いしたい✨と言ってくれる奇特な男性も出てきたのでした。
その後の展開は、また、投稿しますね!