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【私がここに辿り着くまで その②】

ある時、こんなことがありました。
事務所でコピーをしていると向こうの部屋から私を見つけるなりすっ飛んできた先輩がいて、何事かと思いつつも挨拶すると先輩は、私に用があったわけではなく珍しく無言で私を通り過ぎ、なにやら私の近くにあった、置き忘れてしまっていたらしき自分のカバンを取りあげました。

すると、たちまちホッとしたような顔をして、私にはなにも言わずに離れて行かれました。

おや…???なんだろう、今まで感じたことのないこの違和感は?
その後、他の方でも同じようなことが重なり、なんとも言えない、とても氣分の良くないものでした。

当時そこで多発していたのが、盗難事件でした。
先輩も同期も後輩も被害に遭っていて、どうにか捕まえられないかと思っていてけれど、遂に極貧のこの私も、2度に渡って被害に遭い激情‼︎警察に届ける‼︎と言ったものの現行犯ではないからと説得されて泣き寝入り。

時間を共にし、ものづくりする現場でそのような人が居ると思うと、とてつもなく悲しくなり、頭を抱えたものでした。

だって、当時の私は、1日ラーメン1袋ですからね😹
そして、ついに氣付いちゃったんです。

「あれ…もしかして、私、疑われてる?!」

と。

まさか、の事態でした…🙄

逆に、
破天荒さはあってもうちの誠実な両親の顔を見せてあげたい氣持ちになりました。
けどね、実はこう見えて、わたし根が超真面目なもんで。

そのような嫌な出来事があると、要らぬ自己反省をしていたんです。

「その誤解を生んだのは、自分の何がいけなかったのか?どうすれば良かったのか?」

と。

そして、とにかく同じことが起きてほしくないから、注意しなければ!
あんな誤解も、こんな誤解も起こるかもしれない!
全部に注意して、発言も行動も慎重にしていかなきゃ!もう、がんじがらめ。

言いたいことがあってもすぐに口に出せない。
どう言っても、どう動くにしたって、あらゆる誤解が起きそうなことを先読みして、誤解が一切生じないように発言、行動しなければならないのだから。

そうして、誤解だけでなく、人から何か嫌なことを言われてもそう言われる自分がいけないんだ

そう思われる自分がいけないんだ

と、とにかく自分を責め続けてました。

家に帰って泣くと、翌朝目が腫れちゃうし
大家さんもご近所、お隣も壁が薄いから心配させてしまう。

だからお風呂屋さんのシャワーをザーザー浴びながら、声を殺して泣くんです。
ここで全部洗い流していこうと。
20代の若いわたしは、こんなことを含め
常に頭の半分が悩みで埋まっておりました。

時は流れ、30代になり、人から誤解されない処世術をだいぶ身につけ、ある程度のいわゆる、世間一般の常識といわれる考え方や、嫌なことを言われても、その場を乗り切る方法を身につけ、日々を過ごせるようになっていました。
(いや、なっていたつもりだったわけですが)

若い頃は、ドラマ、声の仕事は数日のお休みだとしても、舞台のお仕事となると、嬉しい反面どうしても、アルバイト先には、長期のお休みをいただかなくてはならず、シフトを組む方を困らせ、その都度辞めざるを得ませんでした。舞台が入る度、アルバイトジプシーを繰り返していたけれど

30代のその頃には、会社ぐるみで役者の活動を応援してくれる大変大変有難いバイト先も見つかり
勤めて10年近くなっていました。

毎朝のモーレツギュウパンな満員電車の乗り方も上手になり、9時出社、17時退社のルーティンワークも板につき、贅沢しなければどうにか日々を過ごしていける安定状況。

けど、ある朝、ふとデスクに座った時に、

「私は、いつまでこれを続けていくの???私が目指している人生は、どこだったっけ???」


と思ったんです。

すると…なんと数日後…




私が変わろうと思ったきっかけは、
また次回投稿しますね^^

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