エッセイ:ライド型人生
先日、長くお仕事でお世話になっている方から嬉しい言葉をもらいました。
「きよちゃんは、作品の役柄だったり、その場ごとの空気だったりで、存在を変えられるでしょう?
必要な場面では完全に自分でなくその役として存在するっていう」
確かに。これは私がずっとやってきていること。
自分でなく存在する、というのは『自分を消しさる』ということではないのです。
むしろそれをやっていくほどに『自分』というものがくっきりとしていく。
これについての詳しいことはまたの機会にゆっくりと書くことにして、、。
私は、ひとつの場所にいること、ひとつの印象の中で生きることみたいなものが昔からなんだか窮屈みたい。
そういう私だからなのか、いつの時も様々なお話がやってきて、そこに、とぷん!と飛び込んで様々に存在するということをやらせてもらってきました。
だからその言葉はとても嬉しかったのです。
願わくばこれからもずっとそうやって、世界を自由に泳いでいきたい。
今回は、流れときっかけと気づきの話。
とりとめなく、思いつくままに。
*
これを書いている2022年秋。
Eテレで「うたのリクエスト特集」というのが不定期に放送されています。(ちょうど今週2022年11月23日、26日にも秋SPが放送になっていますね)
『おかあさんといっしょ』という、私も数年間『お姉さん』というバトンを握らせていただいた、60年を超える長寿こども番組。
その長い歴史で、それはそれは膨大な数になるであろう歴代のお兄さんお姉さんたちの歌の映像が季節ごとのテーマでピックアップされて放送される特別番組。
各時代の映像が一挙に並ぶというのはそれまであまりなかったので珍しく楽しく。
自分の映像に当時のことを思い出したり、ふいに記憶の扉をノックされて何だろうと思ったらそれは幼い頃に観た覚えのある映像であったりして。
そうして私の時代に観てくれていたみなさんが「あ、これ覚えていました」とSNSなどでメッセージをくださる時きっとこういう気持ちなのだろうな、私が最初にこの世界に足を踏み入れた時にこういうことがあるなんて想像していなかったなぁ、と思い。
不思議で面白い人生の流れを考えるのです。
*
人にはいろんなタイプというものがあって、それは意図していかれる部分と、どうやったって変えることのできない部分というものがあるのではないかと私は思っています。
変えよう変えたいとどんなに思っても自分では触ることもできないくらいに「その人そのもの」である部分。
そこを無視すると大概うまくいかなくなってしまう、その人が持って生まれてきた本来の流れのようなもの。
それが他人とはどれだけ違っていたとしても。
世の当たり前と違うとどれだけ言われたとしても。
そこが自分を導くひとつなのではないかと思っているのですが、そんな私が自分を現すのによく使っている言葉が「巻き込まれ型人生」。
最近では「ライド型人生」。
ドライじゃなくて。ライドね。楽しい楽しい、いろんな世界へ連れて行ってくれる乗り物
私は本当に尊敬するのです。
目標を持ち、目指すものへずんずんと進む人たちを。
そう言ってしまうほどに私は今までのいつの時も「ねぇ、こんなとこどう?」と呼ばれ、次々に面白い世界が目の前に現れて、背中をどんどん押されて進んできて、気がついたらここにいるという歩みで。
たいていの時、いつも景色が向こうからやってくる。
わくわくさせてくれる場所や予想外の面白いことが勝手に向こうから飛び込んでくる。
自分から何かを目指して努力していく、というよりは、私はいつでも開いた扉の先をきゃっきゃと楽しんでいて、「さぁ次だよー」と進んでいくライドに乗っている、そんな感じ。
逆にそれを無視するようなことをしたら物事が止まっていってしまう。
舞台、踊り、ショー、お芝居、こどもの世界、音楽や文章や、、様々な面白いことに関わる機会をもらえてきているのは、その勝手に進んでいくライドに乗せられている人生を面白がってきた、否定したり降りたりしなかったからなのかなと思っています。
*
私のこの世界に入る最初の一歩のひとつが15歳の時に出演はじめた手話入りのミュージカル。
初舞台はちょうど今頃11月後半。通っていた高校の文化祭の後くらいだったかな。
この最初の一歩が、まず、高校で出会った友人からの誘い。
誘いを受けてぽんと飛び込んだその場所にいたのは、4歳くらいから大人までの様々な年代の人たちと、素晴らしいスタッフの方たち。
それまで知っていた世界や学校なんかとは全く違う。生まれた環境も育った環境も年代も大きく違う人たちが、お互いを認め合い新たな仲間をすっと受け入れる、そんな場所が初めてで大きく戸惑いながらも、その空気を楽しみたいと思ったのでした。
「あぁ、ここは呼吸ができる。」
初めてバレエを始めた時と同じ。
気持ちが楽になっていく感じ。
そこで初めて大きな舞台に立った日に客席から感じたこと、、。
普段人と話すことが苦手な私でも、作品を、台詞を、歌を、役を通じてなら、何かできることがあるのかもしれない。
初めて人とコミニュケーションを取る方法を見つけられた気がした瞬間でした。
ーもっと続けてみたいー
自由な自由な空気が吸いたくて選んだ高校とそこでのいくつもの出会いで私は、「学校」「舞台」「踊り」と、いくつもの自分にとって最高に心地いい世界を行き来して生きることになったのでした。
*
さて。全く同じ時期。
私のはじめの一歩のもうひとつ。
それまで趣味でやっていたクラッシックバレエとは違う、ジャズとの出会い。ジャズダンサーの方たちとの出会い。
私が本格的に踊りを始めることになるきっかけもその高校で、ミュージカルと並行してスタートするうちに大人のダンサーの方々に混じってダンススタジオへ通い始めました。
ダンサーの訓練のスタジオに、ぽつんと、高校生。
刺激的で楽しくて。
そんな中で私を面白がってくれた大人の方達がすぐに次々と声をかけてくれてそこでもステージに立ち始めました。
そうしてミュージカルをやっていたら他の舞台、別のお仕事、、と話が広がってゆき、ジャズのスタジオに行き始めたらそこでも声がかかってイベントにステージに、、と、それぞれの場所であちこちに広がってゆく。
いろんな世界を行き来し始めた私のこれが最初の、はじまりはじまり、でした。
*
さて。
それまでの私は、人前に出るような子じゃない。
大人しくて静かで。地味で目立たない。
何が変わったの?と思うのですが、何も変わっていないのです。
人前に出ること、目立つことは目的じゃない。
ただ、唯一。
高校もそのミュージカルの場所もジャズの場所もそこから派生するお仕事もどの場所も、心地が良かった。
「そこにいてよ」「そのまんまの存在でいてね」と。
生まれて初めて、あなたのままそこにいてね、と言ってくれる場所に出会ったようで。
あぁ、私ここにいていいんだと自分に許可を出せる場所に出会えたら自分が楽になった。そうしたら今まで知らなかったいろんな自分が出てきて、それを面白がった人たちが私を広い世界へ引っ張ってくれるようになっていった。
*
自分が本当に自然に呼吸ができる場所に出会えたら。
きっと、流れは自然に起こるものなのではないでしょうか。
それは、はっきりとした目標に向かって努力していくタイプであっても、流れの中で自由に泳ぐタイプであっても、はたまた全く違うタイプであっても、多分、誰にも共通の部分。
そして。そういうことが起きるそのキーはやっぱり「その人ごとの」「心地よさ」なのだろうと思うのです。
それは、その人ごとに違うから。自分で見つけていくしかないのだけれど。
誰にでもきっとあるはずなのだと思うのです。
自分だけの心地よさを感じられるポイントが。
場所が。環境が。
そこで余計なことは考えないで目の前のことに集中していけば次の扉につながっていく。
知らなかった自分を発見していける。
自分でもはっきり認識していなかったかもしれないような、好きなものやわくわくすることへ勝手につながっていく。
私が幼い頃から好きだった、様々なスタイルの踊りや、心に残る物語や、ばかばかしくて幸せなコントや、上質のコメディや、たまらなく素敵な音楽などの場所に連れてきてもらえたように。
きっとそういうものなのだろうと。
*
自分で自分を見てきて思うことは。
自分で思い込んだ自分なんて、もしかしたらとても小さな小さな部分。
自分でも知らない自分に出会えたら、最高に面白いと私は思っているのです。
その新しい自分を発見し続けながら、素敵な人たちに出会い、その場その場の最高に面白いことを、見つけて、出してみて、明日は違うチャンネルの自分が全く別のことをやっている。
そうやって、私に、と声をかけてくださったもの、、
お芝居であっても、踊りであっても、お姉さんというものであっても、歌うことや書くことや話すことや、これからもまだまだあるかもしれない様々なものにも、その時期、その期間、その瞬間。私のある一部分がふわーっと出てその存在そのものになる。
そこが終わると、すっとニュートラルな自分に戻る。
波のように。
それを繰り返してゆく。
『ライド型人生』であり『肩書きのない人』。
わかりやすい肩書きはつけられない。
自然な流れの中で、いつもいろんな場所で、いろんな私として、存在している。
それが、私という人間で、これからもずっとそうありたいのだなと、何度も何度も振り返って、やっと今思うことなのです。
ひとつの枠の中で生きられない。
ひとつの場所に、ひとつの存在としてとどまることができない。
そうやって、あるひとつの軸の上を進んでいる。
人には理解されにくいのかもしれないけれど。
そこが私の変えることができない部分なのならば、その自分の流れを信じてこれからも面白く泳いでいこうと思うのです。
いつもその時ごとの自分の心地よさと会話しながら。
*この話と関連するお話
◉エッセイマガジン『Live Love Laugh』
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