見出し画像

エッセイ:七五三、と、祖母の話

「あの時、こんなことがあったね」

いつまでも話題にのぼる出来事というのが、どこの家族にもあるでしょうか。

例えば当事者である本人は覚えていないくらい幼い時の出来事でも、何度となく話題にあがって語られることで、自分と家族のエピソードとして記憶に刻まれていくものなのでしょう。

それは、大きなトピック的なものもそうですが、案外、写真にも動画にも残っていない、話題としてだけ残っているようなことが大切な気持ちになっていったりもするのだなと思ったりするのです。


七五三。

毎年11月の中頃、ちょうどこの時期、街に小さな着物姿の可愛い姿が見られるようになると、「あぁ、七五三!」と、我が親族で語られるエピソードとその中心人物であった祖母を思い出します。


一代で会社を築いた祖父を、子育てをしながら二人三脚で支えていた祖母は、会社が軌道に乗っていき娘息子たちが結婚そして孫ができた時に、それはそれは可愛がり、名前付けの手はずやお宮参りから七五三なども全てを自身で手配してどれも親族一同の行事になっていたそうで。

戦争や会社の立ち上げなどで自分の子どもにしてあげきれなかったことをやりたかったって言っていたわ、と、これは後に叔母から聞いた話。


私の七五三のお祝いは3歳の秋。


何ヶ月も前から祖母は反物を取り寄せ布地を選び、着物を仕立て、飾りのひとつひとつも手を抜かず丁寧に選び抜き、色味を考えたお飾りと高下駄も揃えあげて。それは「何事も一級のものを」を信条としていた祖母の知識と技術と目利き全てが詰まった一揃えに仕上がり。

そうして全ての手はずを整えて迎えた、さぁ、当日。

祖母の家に集まった親族一同、みな楽しげで賑やかしく、祖母の指示のもと忙しく動き回り、お天気も秋晴れで美しく。大きな和室には着物の準備がなされていて。きっと私は七五三のなにやらも全く分かってはいないけれど、「なんだか特別な日なんだな」と気恥ずかしくも嬉しくて少しドキドキする、そんな気持ちであったのだろうと思うのです。

慌ただしくも嬉しげな大人たちに見守られながら、お参りの時間を見計らい、祖母の手で着付けられて。
お参り前にお家の前で写真を撮っておきましょう、とパチリパチリ。

、、と、ここから先がいつまでも語られ続けている話。

この写真のために履いているこっぽり下駄の高さに驚いた私。
それまでにこにことご機嫌だった顔が一転。「歩けない、、」と情けない顔で立ちすくんだのだそうです。

慌てた祖母は祖父に車を飛ばさせてわざわざ浅草の行きつけの着物屋まで小さな草履一つを用意するためにすっ飛んで行き。
かすかに覚えているのは、父に抱えられて部屋に入ったことと、母が笑い転げていたこと、何事にも一生懸命な祖父母を待つ間の大人たちが、慌ただしくもどこか面白くて楽しそうな空気だったこと。
そして、バタバタな状況の中、なんとなく少し申し訳ないようなどこかくすぐったいような気分だったこと。

祖母の完璧だったはずの揃えも幼い子では予想外のことになって。
肝心のお参りの写真は撮ったのか撮らなかったのか。
もうそれすら話題にのぼらないほど、誰もが口にするのはこのエピソードで。
楽しくみんなが笑った日だったということを聞き聞き育ちました。


今なら想像できます。
たった一日だけのこの日のために、準備や色々、私以外は全員おおわらわだったと。

スマートフォンもない時代。
今なら着付けている時の動画なども残るかもしれないけれど、私の手元にある写真はこの「こっぽり下駄写真」だけ。でも、その前後にあるエピソードを繰り返し聞いて育ったことで、私の心に残り、想像し育ち続けるものができたことは確かです。


何かとこだわりは強かったけれど、孫たちに健やかに育ってほしいと願いをこめて、お参りやお祝いごとは全て自分で手配し手を抜かなかったおばあちゃま。

時間を経て思い返すごとに思うことは、行事から受けとるものは「思い」なのだろうということ。

なぜそういう行事ができたのか。
それを大切にしようと思う時代を生きた人たちのこと。
祖父祖母の時代のこと。父母の時代。
自分が年齢を重ねていくほどに受け取る気持ち。圧倒されるほどの。

何気ない小さなエピソードが自分を形作っていること。
語られるから知る自分と、周りの人たちとの時間。
なくたって生きてはいかれるけれど、願わくば誰の心の中にもあたたかな記憶が残ることがありますように、といつも思います。


この時の着物一揃えは今も大事にされていて、親族に女の子が生まれるとみんな七五三はこのお着物を着ているとのこと。そして初代の私の「歩けない、、」の話も必ずみんな聞いているとのことなのです。

今も受け継がれている着物と祖母の気持ち。
あの時の祖母は想像したでしょうか。

毎年この時期、あの一日を思い出す時。
私は今も祖母に守ってもらっていることを静かに感じるのです。


*見出しの写真:当時の写真です。足元にはこっぽり下駄。祖母の家の思い出とともに。


◉エッセイマガジン『Live Love Laugh』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?