お話『踊りと私の話:8 *アダージオ 〜再開〜』
もしかして。
もしかしたらだけど。
どんな時も動き続けているのかもしれない。
何もかも止まっちゃったって思っている時だって。
自分が止めてしまった時だって。
現実が動いていないように見えたって。
何かが進んでいるのかもしれない。
自分にはわかっていなくても。
自分では見えないところででも。
気がつかないくらいにゆっくりと。ゆっくりと。
《アダージオ》
ゆっくりと、の意味。
優雅で滑らかな動き。
***
こんにちは!
私は、きこ。
このお話をしている本人。
このお話は、私が出会ってきた踊りのことや私のこと、、そうね、私の踊りを通じての話っていうのかな。小さい頃からのことをひとつひとつお話している場所。
踊りのこと中心っていうよりは、そこから思うこととか、感じてきたことなんかを話すことが多いけど、たまに踊りのこともお話したりしようって思ってる。
そう。前回みたいにね。
私ね、思うんだ。
人生のスピードって人ぞれぞれだって。
休む時があったり、自分では進みたいのに止まらないといけなくなることも人生の中にはあるでしょう?
何に進んでいいのかわからなくなる時とかもね。
だけど、それを他の誰かの歩みと比べたってなんにもならない。
大切なのは、自分の人生のスピードを信じること。
楽しむこと。
その時にはそんなこと思えなくたってね。
いつか「あぁ、あれでよかったかもね」って思えるようになれば、それでいいじゃない?
それに、何が進んでいることで何が止まっていることかなんてわからないって思わない?
私、踊りを通じてそういうことずっと考えてきたの。
今日は、その中の一つの話。
***
中学生になったばかりのある日
一軒の家の前で私はひとつ大きく深呼吸した。
約一年ぶりにバレエのレッスンバッグを抱えて。
そう。
一年ぶり。
一年間私は踊ることをやめていた。
一年って決めていたわけではなく、、
いつかまたレッスンに通う日が来るかもわからないまま過ごしていたのだった。
そして私は。
私は学校で「みんな」の中に溶け込めるように頑張ろうって思ってやっていた。
学校は特別何かができても目立つけれど、何も出来なくても目立ってしまうところ。
取り柄のない地味な子にはそういう子のポジションていうものがある。そんな子がバレエを習っているっていうだけでも「なんか生意気、、」って思われてしまいそうでいつも怖かった。
いちばん平和なことは、目立たないでいること。
目立たないっていうことは、ただ大人しくしていればいいっていうことじゃなくて。同じ行動をして同じタイミングで笑って目立たないように溶け込むことが大事。
「みんな」自然にやっていることなんだから。「みんな」できているんだから。私だって。
できれば静かに本を読んで空想していたいけれど。
だけど。学校ではそういう子は居づらくなるから。
そういう行動は「みんなと違う」から。
そして考えた。
辛くならないためにはどうしよう?って。
答えは。
なるべく心を動かさないようにすればいい。
なんとなく、にこにこして。
いろんなことを感じないようにして。
なにか、、例えば「なにも知らないのね」って言われることがあったとしたって、泣かなければいいって。
それにね。
憧れていたんだ。
明るく楽しくみんなと過ごせる普通の女の子に。
憧れる気持ちがあれば、少し前進することができることはわかってたから。
ほら、バレエのシニヨンの時みたいに。
ただ、やり方が間違っていたことに気がついていなかったけど。
自分の感情を否定するのは自分を否定し続けることだったみたいなんだけど。
私はそれが世界の正解だって思ってた。
ちょうど同じ頃。
バレエへの足が遠のいてしまっていた。
踊りたい気持ちはあるけれど、踊ることは好きだと思えるのだけど。だけど、なんだかレッスンとお稽古場のことを考えると気が重くなってきてしまう。
そして何度かお休みすることが続いたある日
ママが言ったんだ。
「一回、やめようか?」って。
何年も前。クラッシックバレエをやろうって言ってくれて、一流のところでって教室を探してきてくれたママ。そのママにそんなふうに言わせてしまうなんて。
私には踊ることくらいしかできることがなかったのに、踊ることが嫌いになんてなっていないのに。
やめることになっちゃうなんて、申し訳なくて、そんな自分が情けなくて、喉がきゅっとかたくなって苦しくなったけれど。だけど。
正直、少し、心のどこかが、ほっとしてもいて。
自分からは決して言えなかったし、自分の気持ちを伝えることはしてはいけないことだと思っていたし、、。
そもそも、自分の気持ちって自分ではよくわからない。
けれど。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような気持ちが少し緩むのを感じた。
一回休みたかったのかもしれない。
厳格な空間を。
妖精の修行の場所を。
今だからわかること。
老舗のバレエ団を持つ歴史ある教室。
あの当時の私がそこへ通うには目標や心構えが違いすぎたっていうことと。自信や楽しさを自分で削っていってしまっていたっていうこと。
気持ちが違えばその厳格さを楽しめたのかもしれないのに、そんなことがわかっていなかった。
次のめどもなにも立てないままクラスを離れた。
誰ともお別れの会話をすることもなく。
バレエと離れるさみしさは少しあるけれど悲しさを感じない自分の変化が悲しかった。
前の時の涙のお別れとは大きく違っていた。
シニヨンにする必要も、もうない。
髪の毛はばっさり切った。
みんなに馴染めるように。
*
学校で心を動かさずに過ごす平和な日々。
自分の気持ちを消しさって。感情をあまり感じないようにして。うまく溶け込むように。
上手にできるようになっていくその自分が嬉しかった。
同時に。
家で好きに使える時間だけは、ゆっくりと本を読んで空想することを自分に許した。誰も見ていない時間だけ。
前にもらった数冊のバレエのお話の本と、親戚のお姉さんが何度か連れて行ってくれた外国のバレエの舞台を観た記憶。その空想の世界に繰り返し繰り返し旅に出た。
今だったらバレエだけじゃない踊りが身近にたくさんあるし、YouTubeとかそういうものでいろんな映像を探して観ることもできるだろう。だけどそういうものはなかったから。
自分の経験と記憶と手元にある本だけが自分の世界だった。
現実には訪れることはないだろう、自由を感じたことがある世界。
そんなある日。
「新しいクラッシックバレエの教室、行ってみない?」
ママが言ったんだ。
あの小さい頃、ともだちになった女の子と同じ教室に行ってみない?って。
とっても、、、びっくりした。
もう、私のことは諦められたって思っていたし。
そんな再会があるの?って思ったから。
あの初めての踊りの教室で出会ったお人形さんみたいだった小さな女の子。踊ることを言語にしていた静かな世界の仲間。
あの子も別の教室に移ってバレエを続けていたのだった。きっと素敵な女の子になっているんだろうなって思った。バレエを踊るために生まれてきたような子だったもの。
私なんかが踊っていいのかな。
続けていいのかな。
そんな気持ちも出てきたけど、ちょっとやってみたかった。環境が変わるなら何かが違うかしれない。
いってみようかな、、。
あの子も頑張っているなら、、。
そう思えるようになっていた。一年離れたことで何かが変わったのかもしれない。久しぶりの気持ちだった。
バレエのバッグを引っ張り出して空を見上げた。
私は中学生になったばかりで。
眩しい緑の季節になっていた。
***
〜作者より〜
過ぎてみて初めて気づくことってあるのですよね。
そんなことばかりですが。
そうえいばどの踊りでもゆっくりと動かしていくものが苦手だった時期があったのを思い出しました
踊ることでも人生でもアダージオを楽しめるようになったのは最近かもなんて思います。
読んでくださりありがとうございました。
あたたかなお気持ちもありがとうございます。
優しいみなさんにきらりといいことがありますように。
次回は5/13(土)更新予定です。
次回のお話
✴︎1話目からはこちらにまとめています。
今回出てきた小さなともだちとの出会いは3話目に書いています。
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