「苦労は報われる」とは限らない
「若いときの苦労は買ってでもしろ」
「苦労は必ず報われる」
こんな言葉をよく聞く。
私はこの言葉を全く信じていない。「苦労しても全く報われていない」人を身近に見ていたからだ。私が働いていた仏壇屋の店長である。
店長は新卒で入った仏壇屋がブラック企業で(昔の企業は全部そうだったのかもしれんけど)、毎日14時間、四十九日休みなしで働いてぶっ倒れた。
毎日2本、100万円以上の仏壇が売れていた時代である。大変忙しい。休みなしで働くも、一向に給料が上がらず、退社。起業する。
その後も休みなしで働き続けた。365日休みなしである。
しかし、その会社もうまくいかず、再び仏事業界に戻り、私がいた仏壇屋に就職。前に働いていた経験を活かし、仏壇を売りまくるも、なぜか社長に嫌われ、「お前だけボーナスなしや」と露骨にボーナスを飛ばされ続ける。もちろん給料は上がらない。
私が在籍していたときも、毎日のように社長に怒られていた。長年のストレスからか、眼がおかしく、視界が斜めになり、光が当たるとなにも見えなくなる。60手前だというのに、少々ボケ気味。
この世に生を受けてから今までずっと、苦労してきた人なのである。前世で寺でも燃やしたに違いない。
これほどの苦労をして、全く報われていない。私は店長と二人きりになったときにこんなことを聞いたことがある。今思えば大変失礼な質問だった。
「店長ってなんで生きてるんですか?」
これはギャグでもなんでもない。私は本当に疑問に思っていたのだ。これほど苦労して、報われることのないまま、定年を迎えようとしている店長の存在が信じられなかった。いや、信じたくなかった。「苦労は報われる」のではないのですか?
店長は少し笑いながら、言った。
「死にたくないから」
死ぬのが嫌だから、生きているだけなのである。苦労した挙句、このような境地に陥った店長。この人を見て軽々しく「苦労は報われる」なんて言えない。
「我に七難八苦を与えたまえ」と戦国武将の山中鹿之助は言った。
尼子氏の再興を志し、強敵・毛利氏に挑んだ。何度挑んでも、打ちのめされる。苦労ばかりしていた人だ。
「苦労は人を強くする」という言葉の通り、この人は負けまくり、苦労をし続けることで、強く、立派な人になった。
しかし、強くなったが「報われた」かというと、そうでもない。信長に見捨てられ、毛利家の人質となり、結局謀殺されている。享年34歳。
名は残ったが、本人は苦労するのみで人生を終えた。
「苦労は報われる」と言うが、報われないこともある。もちろん根性がついたり、人間として成長できるのかもしれないが、山中鹿之助のように成長して歴史に残って「だからなんなの?」という話で終わることもある。
多くの人は「名を残したい」と思って生きているわけではないだろう。「楽しく生きたい」と思っているはずだ。
苦労して成長するのはいいが、その先は? 成長しても、さらなる困難が上司や社長から与えられるだけだ。
苦労が報われていないといえば、電車に乗っているサラリーマンもそうである。皆、「若いときの苦労は買ってでも」している。今だって家族を支えるために毎日苦労している。なのにあの死にそうな顔は何なのだろうか? 朝8時台の御堂筋線は地獄だ。地獄より空気が悪い。
「もう、いつ死んでもいい……」裏なんばの立ち飲み屋で隣に座ったサラリーマンが言っていた。話を聞いていると相当の苦労をしたようである。納期に追われて精神的に追い詰められていた。
この人たちはいつ報われるのだろう? 店長のように報われることのないまま、定年を迎え、燃え尽きてしまう可能性大である。
「苦労は報われる」「苦労をしろ」「買ってでもしろ」
巷であふれる「苦労は良い」論は成功した社長から発せられることが多い。この人たちは過去の苦労の末、成功しているのだから、「苦労は報われている」。
でも誰もが彼らのような成功を収めることはできない。ほとんどの人は勤め人のままコキ使われて終わる。いつ報われる? 退職金が苦労し続けた報いだと言うのだろうか。
「苦労は報われる」この手の言葉は資本家が労働者を効率よく働かせる、都合の良い言葉としか思えない。若い人はこの言葉を信じて、無理して鬱になったりしているみたいだが、資本家に踊らされているだけだと思う。
騙されちゃいけない。病気になるまで苦労しちゃいけない。「苦労は報われるとは限らない」のだから。
成功者は「世の中の真理、人間をすべて知っている」かのような態度で色んな発言を繰り返すが、「ひとつの分野で成功した」だけで、なにもかも知っているわけじゃない。
だから「偉い人が言っているのだから間違いないだろう」と、すべての言葉を鵜呑みにしてしまうのは非常に危険だと思う。
「苦労は報われる」もそのような言葉のひとつ。すべての人に当てはまる言葉じゃない。もっと力を抜き、気楽に生きなきゃいけない人はこの世に沢山いる。
他にも万人向けだと思われる美辞麗句が世間には溢れているが、まず疑ってかかるのが大切で、自分でしっかり考える必要がある。
そんなことをあの店長から学んだ。今まで色々な人と出会ってきたけど、尊敬できるのはこの店長だけであった。常に謙虚で、偉そうに説教を垂れてくることもなかった。
店長は最近、孫が生まれたようである。「長年の苦労が報われた」みたいなこと言ってたが、苦労せずとも孫は生まれる。「それは勘違いです。店長」心の中で思った。
働きたくないんです。