![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12112224/rectangle_large_type_2_b9bf7f33727d3188df7527cda7f87dcd.jpeg?width=1200)
ユーモアの伝染病にかかって「ユーモアてん。」
ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR
(21_21 DESIGN SIGHT)
ユーモアてん。の展示会場には、とにかくよくわからない代物がいっぱい置いてあり、混沌とした展示でした。しかし、一貫としていたことは、どの展示品も大なり小なり面白みがあり「ユーモア」を感じることができるものでした。
展示品にはどれもこれも不思議な魅力がありました。基本的に使える(用途がある)ものは存在せず、デザインではなくアートとして観ることが推奨されると思います。仮にデザインとしての意味を求めるとすれば、人の心をユーモアで緩めるプロダクトとして捉えたらいいと思います。
美よりも感覚的なユーモア
ユーモアを感じるということは、美しさを感じる以上に感覚的なものだと思います。
それは、「ユーモアてん。」を観る数日前に「information or inspiration」の展示を観たのにつながるのですが、この展示では思考と感覚で作品を鑑賞することをテーマにしており、実際に展示を観て気づくのは、感覚的に美を感じようとしても頭のどこかで思考的に何が美しいかを判断してしまっているということでした。
→「information or inspiration 左脳と右脳で楽しむ日本の美」の記事
https://note.mu/kiyo_design/n/n7e6e5525a97d?creator_urlname=kiyo_design
しかし、ユーモアてん。の展示品に関しては、頭で考えるスキを与えずに「なんだこれ?」と思わされ、思考が強制停止して感覚的にユーモア(面白さ)を感じることになります。
ユーモアには考えさせないという魅力があり、ぼーっとしてても楽しめる面白さがそこにはありました。
ユーモアに伝染する
ユーモアが周囲にあると「ユーモアに伝染する」という感覚に陥ります。これは、意味がないけど少し面白いというユーモアある品物にたくさん触れたお陰で、自分の心が軽くなり頭の柔らかい面白い発想が生まれやすくなる状態です。
浅葉克己先生のようなデザイナーの方々が、身の回りに一見意味のないユーモアあるものを置くのは、心の処方箋であり、気持ちに程よい緩みをもたらして開放的なアイデアを生み出すのに役立つのからだと考えられます。
些細な笑い、人の心を緩めてくれるのがユーモア
展示を通して、ユーモアとは「クスッと笑える」些細なことだと考えるようになりました。
始めは、お笑いなどのお腹を抱えて大きく笑うようなものがユーモアだと思っていましたが、それよりももっと広い意味がユーモアにはあり、日常の中にでもある些細な笑いを生み出すものから大笑いするものまで全てがユーモアだと考えます。そして、ユーモアは触れた人の心を緩めてくれるようなものだと思います。
自分なりのユーモアを感じてみませんか?
ユーモアてん。は6月30日まで開催中です。noteでは細かい展示品について説明をしていませんが、それは実際に会場へ足を運んで見てみるのが一番だと思ったからです。
ここまで色々書きましたが、美しさとは違う「ユーモア」という魅力を言葉で表現するのは野暮で、実際に感覚的に体験して楽しんでもらうのが一番だと思います。自分が感じるユーモアは他人と一緒かもしれないし違うかもしれない。そんなに面白くないかもしれないし、お腹を抱えて笑えるほどかもしれない。
ユーモアとは何なのか?人に何を与えてくれるのか?自分の答えを探しにユーモアてん。へ行ってみてはいかがでしょうか?
いいなと思ったら応援しよう!
![きよし|忍者なデザイナー(Shinobi Design Project CEO)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/26826716/profile_5267d8c5589a535ade50698222800af6.png?width=600&crop=1:1,smart)