僕がセレッソ大阪サポーターになった理由
はじめまして。
セレッソ大阪サポーターの
みろく と申します。
サッカー界では「プラチナ世代」なる呼称が存在し、宇佐美貴史(ガンバ大阪)、柴崎岳(デボルディーボ)、杉本健勇(2980円←)を輩出した、誇り高き92年生まれです。
初めてのnoteということで、、、
まず自分がなぜセレッソ大阪サポーターになったかということをお話ししたいと思います。
興味ないとか言わないでぴえん
ほとんどの方がご存知ない、もしくは興味ないと思いますが、、、
僕は小学4年生から中学卒業まで6年間野球をやっておりました。父親がとある私立高校の野球部の部長を務めていた事から、幼い頃からバットとボールを持って近くの公園に行っては日が暮れるまで白球を追いかけて遊んでいました。
その一方、当時の僕にはどうしても好きになれないスポーツがひとつだけあったのです。
それが、サッカーです。
その理由は、、、
サッカー部の奴ら、なんかチャラくていけ好かん。ということです。
当時の僕は年中丸刈りの絵に描いたような野球少年。襟足を跳ねさせ、クラスでも目立つ存在のサッカー部に対して、COMPLEX(吉川・布袋ではありません)があったのでしょう。
そんな理由からサッカーを毛嫌いしていた私に転機が訪れたのは、高校3年生の6月。
2010年。南アフリカW杯開幕。
各国のスーパースターが一堂に会し世界最強国を決める4年に一度の夢の祭典。
が、僕にとっては、何をそんなに盛り上がってるんだと首を傾げたくなる退屈な祭典。
の、はずでした。とある選手のプレーを見るまでは…
その選手とは…
ウルグアイ代表FW
背番号10 ディエゴ・フォルラン
ゴールへ向かう執念
ピッチ上での威圧感
大事な局面で必ず決めてくる勝負強さ
彼のプレーを見てから、サッカーへの考え方が180°変わり一気にサッカーにのめり込んで行きました。
時は流れて、2013年12月。
サッカーは好きだけど、Jリーグはそこまで興味がなかった僕。スカパーでなんとなく観てた試合が
J1第34節
浦和レッズ vs. セレッソ大阪
勝った方がACL出場という、4位・浦和と、6位セレッソの直接対決。
前半、浦和が原口元気のゴールで先制!
しかし、前半終了間際、セレッソは杉本、南野が立て続けにゴールを奪い逆転!!
手に汗握る展開で前半を折り返すと、
後半、輝きを放ったのは、、、
セレッソ大阪FW
背番号8 柿谷曜一朗
そう、桜のエース・柿谷曜一朗でした。
後半8分、左サイドでパスを受けると、独特なボールタッチから右足を一閃。見事なコントロールショットから浦和ゴールを揺らした。
この試合の実況を担当した下田恒幸さんの「ウォアアア!スゴォォォイ!!!」という言葉が彼の凄さを象徴してると思います。
その後浦和に1点を返されるも、直後にゴールを奪ったのはまたも桜の8番。
この時、埼スタは狂喜乱舞。解説の玉乃淳氏曰く「もう優勝したんじゃないか」ぐらいのお祭り騒ぎ。画面越しでもセレサポの興奮が伝わってきました。
1つのゴールでこれほどサポーターを湧かせることができる、スタジアムの雰囲気を一瞬で変えることができる『特別な才能』の持ち主である天才・柿谷曜一朗のプレーに一目惚れしました。
翌年、ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランがセレッソに加入し、それに伴い私もセレサポに加入したことは言うまでもありません。
それからというもの、私が東京在住ということもあり、なかなかホームヤンマースタジアム長居のゴール裏で応援できる回数は限られてはいますが、
ヤンマースタジアム長居名物のスタジアムグルメ、鶴心さんの唐揚げ
清武ダンスや、ブルーノメンデスのチャントなど、個性的なセレッソの応援。
勝った後のCEREZO満開。
そして、
こんな東京モンの私をいつも暖かく出迎えてくださるセレサポの皆様に支えられ、毎試合楽しくセレッソを応援することができています。
いつしか、幼き日の私が抱いたサッカー少年への劣等感や嫌悪感はすっかり消えてしまいました。当たり前ですがね。笑
セレサポ、みんな良い人!!!
2014年、優勝候補と謳われながらまさかのJ2降格。
2015年、残り3分ですり抜けていったJ1昇格。
2016年、大雨の中掴んだ悲願のJ1昇格。
そして、2017年。全員で掴んだ初タイトル。
Jリーグで着実に大きな桜を咲かせつつあるセレッソ大阪。
今季こそ、その桜を満開に咲かせるために、今日も僕はセレッソを全力でサポートし続けます!
We are CEREZO!!!
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