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【映画】ぼくが生きてるふたつの世界②
※①からの続き(①は自身のcodaとしての経験、舞台挨拶について)
感想
とにかく母親に会いたくなる。
きっと誰もがそう思うんじゃないでしょうか?
母親が子を想う、子が母親を想う気持ちは障害あるとか、コーダだとか関係ないですよね。これは普遍的な親子愛のお話しで、そういう意味ですごくすごく共感できる(かつ私はコーダの視点で見ても)素晴らしい演出で、感動し、とてもいい映画でした。
役者のセリフや言動とかも泣かせようという演出にはなってなくて、その辺は原作者の五十嵐大さん、監督の呉美保さんや脚本家の港岳彦さんはすごくこだわって制作されたようです。
この映画はBGMをつけていないんですよ。きこえない人にはBGMが届かないので、BGMで感情を盛り立ててしまうと、きこえない人ときこえる人とで受け取るメッセージが変わってしまう。
最後のエンディングロールについて
聴者の立場で考えた時に、日本語でそのまま歌うと直接的過ぎるので、歌唱を英語にしたのです。そして日本語の歌詞字幕を出すことで、聴者もろう者も皆が情報として同じ方向を見られるのではと、そんなふうに考えました。
なるほど!私はコーダでろう親とずっと一緒に過ごしていてそんな風にろう者はどうとらえるのか…なんて考えたこともなかったです。。ろう者の立場に立ってみてどう感じるのかを想像することがすごく大事なんだと気付かされました。
印象に残ったシーン(ネタバレ含みます)
①大のセリフ
『こんな家に生まれて来たくなかった!』
→こんな言葉親に言いたくはないけれど、伝えたいことをうまく伝えられないもどかしさ、周りが当たり前にしているであろう進路相談は親にはできないとか、コーダあるあるじゃないですかね
②ろう者の友達と居酒屋に行って、大がろう者の友達の代わりに注文すると、ろう者の友達が『私たちが自分でもできることを、取り上げないでほしい』
→これにはハッとさせられました。そんなつもりなくても知らない間に相手の嫌がることをしてることに繋がるなんて…
③母親が補聴器を買って、大になんか言ってみて!と言われ、大が言った言葉『だっちゅーの』
→え?それ?!って笑ってしまった
④最後のシーン、電車の中で恥ずかしげもなく手話で話す母親と大。電車降りた後に、母親が大にむかって『手話をつかってくれてありがとう』
→もうここ、やばかったです。号泣ですね。
原作の五十嵐大さんとはほぼ同年代、同じコーダっていうのもあり、すごく共感する部分も多く、細かくあげたらキリがないのでこの辺にしておきます笑
俳優の皆さん
役者の吉沢亮さんもすごくよかった!!コーダそのものでしたね。手話がすごく自然で、私は自分がコーダと知ってからの歴浅いので、コーダを客観的にみたことがなく、そこまではわからなかったですけど、視線までコーダだったようです。でもコーダの私がめちゃくちゃ自分と重ねて感情移入できたのはやっぱり吉沢亮さんの演技力だったんだなと思います。
母親役の忍足亜希子さん、父親役の今井彰人さんはろう者の役者さん。ろう者の方がこうして映画やドラマに当事者役で出るようになったのもすごく嬉しいですね。
とにかく母親役の忍足さんの演技も素晴らしく、見事に大の母親になってました。ほんと50代に見えないほどすごく可愛らしかったです。
まとめ
耳が聞こえても、聞こえなくても(どんなハンディキャップがあったとしても)ただの一つの個性であって、1人の人間なんですよねぇ。