プレッシャーという名の”原動力”
「プレッシャーなんか自分の成長に変えてしまえ。」
今僕が自分自身に言い聞かせている言葉であり、このnoteで伝えたい結論の部分だ。
昨日、夜中に目が覚めて、仲の良いある後輩のインスタグラムの投稿を見て、「はっ」とさせられた。
僕は関わる人をかなり選んでいます。こんなことを言うと差別だとか性格悪いとかいろんなことを思う人がいると思う。そう思うのなら仕方ない。どの環境にいたら自分が成長するかということだ。
僕が好きな先輩は周りからどう思われるかなんて全く気にしてない。と勝手に思っている。笑
例えば、成功のために毎日カフェで勉強してる人、理想の体のために筋トレをしている人、今日も最高の1日にしますって言ってる人。そうやって、なりたい自分に対して妥協なく行動してる人ってかっこいい。
今、僕はコバンザメみたいに先輩に引っ付いているけど大学を卒業したら仲間としてお互いに刺激し合えるようになるんじゃないかなって思う。そうなりたいと心から思う。そういう仲間といると楽しいし喜びを感じる。 「うわ、もうスタバで勉強してるわ」とか、「この人朝から筋トレしてるわ」負けてらねーって心から思う。
全部ではないが、ざっくりこんな内容の投稿だった。
もちろんここで言われている「先輩」、という言葉には、僕のことが含まれている。(はず笑)
これを見て何を思ったか。答えはもちろん、
「うわ、もっとやらな。」
「期待裏切れへんな。」
ここに詰まる。
同時にここで、”プレッシャーを感じた自分”を少し客観的に見てみると、”プレッシャーという名の成長因子(原動力)をもらった自分”に置き換えることができることに気付いた。
この気付きから考えられる事は、
人のモチベーション、行動を自発的に起こす時の動機を表す時に、
モチベーション=目標の魅力 × 達成可能性 × 危機感(プレッシャー)
という式が考えられるとされるように、
このプレッシャー(危機感)というのは、自分の行動を変化させることに繋がる大きな成長因子にもなり得ることが言える。
ただ、このプレッシャーというのは”大変厄介なやつ”で、
自分が頑張る理由・原動力となる場合もあれば、こいつが強い時は、自分が押し潰されて本来の自分ではいられなくなってしまう原因となることも懸念すべき点として考えられる。
つまりこの場合ここで大切にしたいのは、迫りくるプレッシャーに対する自分の”捉え方”じゃないだろうか。
”良いプレッシャー”にするか、”悪いプレッシャーに”にするかは、結局のところどの場合も、
「プレッシャー」という名の”意思を持たないやつ”に対して、「自分」という名の意思を持つ人間が、”どんな意思を与えてやるか”
が問われているのだと思う。
この気付きを与えてくれた後輩には大いに感謝しなければいけないし、同時に「このプレッシャーをどのように扱うか」が自分には問われている。
「後輩にかっこいいところを見せること」が目的ではなく、
自分の姿を見て、後輩や関わる人に、少しでも、
「もっと頑張らなきゃ。」
そう思ってもらう(=自分が成長因子・原動力になる)ために、ある意味、
「かっこいい姿を見せ続けなくちゃいけないんだ。」
と、自分に対する宣戦布告。
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