ふしぎの海の阿紀ちゃん
私が出会う豊永阿紀さんはいつも青く染まっていて、その果てしないほど広く深い大海をもっと知りたくて、私は船を漕ぎ続ける。
豊永さんは『ONE PIECE』を好きだと朧げに覚えているけれど、私の『ONE PIECE』知識は海賊の物語ということぐらいで申し訳ないので、海といえばナディア、『ふしぎの海のナディア』からタイトルを付けさせていただいた。久しぶりに主題歌の『ブルーウォーター』を聴いたけどいい曲ですね。
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HKT48が虹の七色をイメージしたユニットに分かれて2組ずつ公演する博多なないろ公演。私は2回続けてチームブルーの公演を見た。別にブルーに限定して申し込んでいるわけでもないのに当たるのはいつもブルー。豊永阿紀さんがいるのもブルー。所謂これが運命なんですよ。
1ヶ月ほど前のnoteでも書いたが私は豊永阿紀さんが好きだ。でもまだ私は阿紀ちゃんと呼ぶことに躊躇いがある。タイトルで阿紀ちゃんと書いたが気恥ずかしい。阿紀ちゃんとちゃん付けで呼ぶことで、彼女がアイドルであることを認める関係になるのはわかるとしても、私はまだ軽々しくちゃん付けで呼べない。もう最初から重い。
豊永さんのことは昔から興味を持っていたし、以前のnoteに書いたように握手会に行ったこともある。2ショットも当たったことがある。しかしいかんせん当時私の住んでいた東京と豊永さんのいる福岡の距離が私に二の足を踏ませていた(それを言ったら広島に住む甲斐心愛さんも遠いけれど)。そもそもアイドルは遠い存在であるのに、遠いことを理由に躊躇うのはなんだかおかしい。だけどそれほど今のアイドルは身近な存在を売りにしてきてしまったのかもしれないし、私もそれに毒されている。
福岡に引越したことによって、私の中の抑えていた好きという感情が自然と解放されていった。幸運なことにステージに立つ豊永さんを何回か見ることも出来た。私はアイドルが歌って踊っている姿を見るのが大好きなので、豊永さんのパフォーマンスをこの目でやっと見られて感激した。
遡って、私にとって印象深い豊永さんは去年2019年のTIFスマイルガーデンでの豊永さんだ。偶然見た彼女は夏を全力疾走している表情を見せていた。それは本当に歌とダンスが好きなんだろうなと伝わってきて、最高にアイドルだった。
映像などでなんとなく接するのではなく、ちゃんと豊永さんを見たのは先月からだ(本当にちゃんと見ているのか怪しいけど)。そしてこれは誰に対しても言えることだが、劇場で生で見る豊永さんは情報量が桁違いに多い。一気に自分の中の豊永さんの解像度が高くなった。
豊永さんのダンスはバシッとこちらにまっすぐ届いてくる。それはもう本当に迷いなく。上手いかどうかは私にはわからないけれど、とにかく私に対して直球ストレートでぶつかってくるので、キャッチャーミットがいい音を出すように私も快い気持ちになる。新劇場柿落としでの『しぇからしか!』などはその最たるものだった。チームブルーでも『アイドルの王者』や『ぶっ倒れるまで』での、私はアイドルだと誇らんばかりの晴れ晴れしい笑顔が最高だし、『夜空の月を飲み込もう』でのかっこいい豊永さんも最高だ。豊永さんのくしゃっとした笑顔最高ですよね。
以前より見る機会が増えて、では詳しくなったかというと全くだ。豊永さんは知ろうと思えば思うほどわからないことが増えていく。私みたいな薄っぺらい人間がステージに舞う塵に見えるほど、彼女の内は広く深く、大海のように感じる。全然わからない。だからこそ見ることが楽しい。常に新しい豊永さんがそこにいる。
もちろんそれはステージだけではない。SNSを通じて触れる豊永さんは、理解したと思えば、オタクの傲慢な手からするりと抜け出すような、ある意味意地悪な性格を垣間見せる。とても強かで迎合し過ぎないところが、何でも流されがちな自分には眩しく見える。
豊永さんのような人に出会う度に、私は秘密を抱えている人が好きだということを再確認する。いや、誰しも秘密ぐらい持っている。しかし秘密を持ちそれを守ろうとする精神が美しいと自覚、もしくは本能的に察知している人が世の中には存在していて、その人達の凛とした佇まいに惹かれる。ここから先は絶対に侵させないぞという強い意志が、人としての強さを生んでいるかのようでもある。それは永遠に咲かない蕾みのようで、大切なものを秘めた美しさだ。まだまだほんの少ししか知らないけれど、豊永さんにもその気配を感じる。
今はshowroomやSNSなどで、何でも開けっぴろげにコミュニケーションするのが良しとされている(それはそれで公開してよいプライベートでしかないけれど)。でもそうではないよ、秘密を抱いた人は魅力的だよと、私はよく思う。
とは言え私はSNSに流れてくる豊永さんの様々な表現が大好きだ。言葉にならない気持ち、写真に撮るしかないものが彼女の写真に宿っているようで、それを感じ取りたくて何度も見返してしまう。豊永さんの文章も好きだ。ブログのようなある程度長い文章のほうが、豊永さんらしいまっすぐな心情がそのまままっすぐな文章になったり、また捻くれた感情が捻くれた文章のまま出てきたりして、長くても読んでしまう。相当昔になるが、高校卒業のときのインスタの詩のようなテキストを私は今もたまに読み返す。豊永さんはアウトプットの量も多いけれど、いろいろ出せば出すほど彼女の中の綺麗な芯の存在に触れられないけど気付く。そしてそれは誰にも触れられないから輝いているのだ。
とまあ、こうくどくどと書いたところで本人からしたら全然違うよと肩透かしを食らう可能性もあるわけで、でもそうやってずれが受け取る人それぞれに生じることで彼女の魅力が彼女の思っている以上に広がる、と想像するのは都合が良すぎる考えだろうか。アイドルにありがちなイメージのずれで傷ついてほしくないけれど、ならばこういう文章も不安でしかないので難しいところだ。
まとめる前に蛇足だけど、私はアンジュルムを好きな人はその一点だけで信頼してしまう節がある。私も根っこはハロプロなのでアイドルに対するベースの部分で通じ合うものがありそうな気がして、そこも好きになった一因かもしれない。しかも豊永さんはたけちゃん推しとのことで、私の知っているたけちゃん推しは皆やばいのは何故なのか…(サンプルは豊永さん含め2名)。
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今はただ豊永阿紀さんを見ていることが楽しい。認知が無くても楽しい。東京で燻っていた初期衝動がここにきて解き放たれている。あまりにもオタク3日目と言うしかない熱量なので、自分でもオタク3日目を演じているのではないかと疑いたくなるほどだ。しかしこの熱量がいつまでも続かないことは自分の性格上わかっているので、この熱さの中で見れる景色を大切にしていきたい。
福岡での新生活を楽しく過ごせているのは豊永阿紀さんとHKT48のおかげだ。楽しい日々をありがとうございます。次に出会える日、そしてごりらぐみを楽しみにしています。