声劇用フリー台本「聖木の森」まとめ版 男性1:女性1

*6編に分けて載せていた台本を、ひとつにまとめたものです。内容は分割版と変わりません。
 
■前書き
キャラクター設定・シナリオ原案で、友達の林檎さんにご協力いただいてます。
ファンタジー物、男女2人劇、だいたい18000字ほどの掛け合い台本になります。
以前書いた「老いない魔女」っていう台本と、ちょっとだけ繋がってる感じでしょうか。
アドリブ・改変など含めて、よろしければご自由にお使いください。

■キャラクター
◆ルチア
16歳の少女。見習い魔法使い。
魔法使いの中でも癒し手(いわゆるヒーラー)を目指してる。

◆シルヴェストロ
60代くらいの男性。盲目の魔法使い。
辺境で守り手(森番みたいなイメージ)をしながら、ルチアの師匠を引き受ける。



■1
◆幕間。
◆ルチア(独白)
私が生まれたこの世には、魔法使いと呼ばれる人たちがいた。
科学と共存しながら、人ならざる力を使役する彼等。
時に尖兵として戦い、時に学徒として探求する魔法使い。
癒し手と呼ばれる治療師も、そんな魔法使いの生き方だった。
私は、そうなりたいと願っていた。
だからあの人のもとを訪れたのだ。
聖木(せいぼく)の森と呼ばれる精霊たちの領域で、守り人を担う癒し手を。
あの頃の私は、その人の背中にただただ憧れ続けていた。
 
◆場面転換。シルヴェストロの小屋。
◆ルチア
あの、すみませーん。あのう…誰か、いませんか?
 
◆シルヴェストロ
…騒がしいぞ。
 
◆ルチア
ひゃ…!?
 
◆シルヴェストロ
なんだそれは。訪ねておいて、ずいぶんな礼節ではないか。
 
◆ルチア
あ、す、すみません…! 急だったから、私、つい…。
 
◆シルヴェストロ
私にとっては、キミの訪問こそ急だがね。
さて…この世捨て人に、どんな用向きがあるというんだ?
 
◆ルチア
あ、っと…私、その…。
 
◆シルヴェストロ
…無理に聞こうとは思わんさ。
失礼するよ、お若いの。庭仕事が残っているのでね。
 
◆ルチア
あっ…! あのっ! サー・シルヴェストロ、ですよね…?
 
◆シルヴェストロ
…さて、どうだったか。
 
◆ルチア
だって…そう、ですよね?
翆碧街(すいへきがい)の英雄で…。
帝都の内乱では、サー・ティスデイルと戦功を立てられたっていう…。
 
◆シルヴェストロ
ティスデイル…ああ、久しぶりに聞いた名だ。
 
◆ルチア
じゃあ、やっぱりあなたが…。
 
◆シルヴェストロ
どうだろうな、その名は広く知られたものだ。
私が嫌っている男の名でもある。
 
◆ルチア
う、それは…ええと…。
 
◆シルヴェストロ
仮に、私がシルヴェストロだとして、お嬢さんの用向きはなんだね?
 
◆ルチア
あ、えっと…わ、私、ルチアって言うんですけど、翆碧街に入りたいんです。
癒し手になりたくて…。
それには師匠が必要で…あ、も、もちろんご存知とは思うんですけど。
 
◆シルヴェストロ
摩天楼ひしめく、魔法使いの都か。
あそこで学ぶものは、基礎でなく応用の類だったな。
つまりは他所で、基本を学ばねばならない、と。
 
◆ルチア
は、はい…! それで、サー・シルヴェストロに師事を仰げないかと…。
 
◆シルヴェストロ
仰げんだろうな。
 
◆ルチア
い、いえあのっ! 私、頑張ります…! 家事でも何でも…!
 
◆シルヴェストロ
キミがどうだという話ではないよ、お嬢さん。
その魔法使いは、弟子を取りたくないそうだ。
大人しく帰りなさい。
 
◆ルチア
でも…! だけど…。
 
◆シルヴェストロ
はぁ…。
…帰れとは言っても、じきに日が暮れるか。
 
◆ルチア
え…?
 
◆シルヴェストロ
ルチア、だったか。来なさい。
こんな辺境にわざわざ出向いたのだから、一晩、屋根を貸す理由にはなるだろう。
そのついでに、話しだけは聞くとしよう。
 
◆ルチア
あ、ありがとうございます…サー・シルヴェストロ。
 
◆シルヴェストロ
礼などいらんよ。
それよりも考えておきたまえ。
 
◆ルチア
考え…って、何を…?
 
◆シルヴェストロ
私を説き伏せられるか否かで、夜明けにキミの道は変わる。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
では上がりなさい。
椅子は…その隅だな。適当に使うといい。
 
◆ルチア
お、お邪魔します…わ…っ。
 
◆シルヴェストロ
どうした?
 
◆ルチア
あ、いやその…思ってたより、なんていうか…。
 
◆シルヴェストロ
物がない、かね?
 
◆ルチア
す、すみません…。
 
◆シルヴェストロ
謝罪はいらんよ。食事は…黒パンとシチューで構わんかね?
 
◆ルチア
は、はい…! あの、ありがとうございます…。
 
◆シルヴェストロ
構わんよ。今のところ、キミは客人だ。
さて…それで?
 
◆ルチア
え?
 
◆シルヴェストロ
魔法使いの庵(いおり)というものは、どんな形相を考えていた?
 
◆ルチア
それは、ええと…たくさん本があったり、とか…?
 
◆シルヴェストロ
では、なぜそうではないと思う?
 
◆ルチア
…たぶん、意味がないから。
あなたには、本が…。
 
◆シルヴェストロ
加えて、邪魔にもなる。
つまづいてしまっては、シャレにならんからな。
 
◆ルチア
じゃあ、やっぱり…。
 
◆シルヴェストロ
ああ、見えんよ。私は盲人だ。
 
◆ルチア
病…ではないんですよね?
 
◆シルヴェストロ
呪いの類だ。ここには目玉でなく怨念がある。
幸いというべきか、どうか…魔法のおかげで、最低限の知覚は代用できるがね。
…さあ、出来たぞ。食べなさい。
 
◆ルチア
い、いただきます…あむっ…むぐっ!? にがっ!?
げっほ! なんですかこれ…!
 
◆シルヴェストロ
シチューだ。木の根を使った。
ここで暮らすには、これが一番だ。
 
◆ルチア
それにしたって…けほっ、もうちょっと味付けとか…。
 
◆シルヴェストロ
調味料の類は置いてないのでな。
食べておけ。流し込めば、あとは胃がどうにかしてくれる。
 
◆ルチア
うぅ…は、はい…。
 
◆シルヴェストロ
…素直なものだ。
それで、なんだったか。
ああ、そうだ。この盲人に何を教えろと言うんだ?
 
◆ルチア
それは…癒し手になりたいから、そのために魔法を…。
 
◆シルヴェストロ
必要なのは基礎なのだろう?
他にいくらでも学べる。
ここまで訪ねてきた手間賃に、書いてやってもいい。
 
◆ルチア
書く…?
 
◆シルヴェストロ
推薦状をだ。
サー・ティスデイルでも誰でも。
翆碧街なら、煙の魔女宛てでも構わん。
あの魔都を統べる者だ、不足はあるまい。
もしくは…キミはいくつだ?
 
◆ルチア
え、っと…16です。
 
◆シルヴェストロ
では湖畔の魔女というのもいる。
不老不死の輩だが、年齢より外見に中身が比例した女だ。
気が合うだろう。
…いや、あれは別に弟子を取ったのだったか?
 
◆ルチア
あ、あのっ!
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
わ、私は…サー・シルヴェストロに師事を仰ぎたいんです…!
 
◆シルヴェストロ
…わからんな。なぜこだわる?
 
◆ルチア
十年ほど前まで、サー・シルヴェストロは…この土地の守り手となる前のあなたは、癒し手として各地を回っていたと聞きました。
多くの人を治癒されたと。
 
◆シルヴェストロ
あれは義務に過ぎん。
内乱の被災地を回っただけで、職務の延長線上にあるものだ。
 
◆ルチア
…それでも、大勢が助かりました。
私も、あなたのようになりたいと…そう思ったんです。
 
◆シルヴェストロ
ならば医者でもいいだろう。
魔法などというのは本来、人のことわりから外れた領域だ。
キミの目指す翆碧街が最たる例だぞ。
 
◆ルチア
…翆碧街は、魔法文明の集まる場所。
でも逆に言えば、魔法使いが隔離された場所でもある。
そういう話ですか?
 
◆シルヴェストロ
そう。その四方を、決して晴れることのない排煙で覆われた孤島。
魔力の残滓を含み、魔物のひしめく黒い海を作ったあれは、だから魔都と呼ばれ、羨望以上に忌避される。
 
◆ルチア
だけど…医術でしか救えない命があるように、癒し手でなければ救えない命もあります。
 
◆シルヴェストロ
キミが目指さなければならない、とは言い切れんよ。
 
◆ルチア
なります! だって…私も、救われました。
癒し手に…ずっと昔、呪いを受けた時、救われました。
だから…呪いに蝕まれる苦しみは、少しくらいわかってるつもりです。
だから治したいんです。あなたに教わって、治せるようになりたいんです…!
 
◆シルヴェストロ
…私が、必要とは思えんがね。
 
◆ルチア
え…?
 
◆シルヴェストロ
基礎というなら、もう出来ているはずだと言っている。
キミは、ここまでどうやって来た?
 
◆ルチア
どう、と言われても…。
 
◆シルヴェストロ
この土地がどういう場所か、魔法使いを志す者なら知っているだろう。
 
◆ルチア
あ、ええと…聖木(せいぼく)の森、ですよね…?
 
◆シルヴェストロ
この世で最も力を持った柊が、唯一自生している聖域だ。
こうした力のある土地は、一方でよくないものを引き寄せる。
人も霊魂も、様々に。
それらを避けるため、迷いのまじないをかけてあった。
突破しなければ、この小屋にはたどり着けん。
 
◆ルチア
守り手の魔法、ですか。
その…確かに、突破はしたんだと思います。
だけど私の力じゃなくて…たぶん、これのおかげかなって。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…護符か。木星の6番。自作かね?
 
◆ルチア
いえ、貰い物です。私を治癒してくれた、癒し手だった人からの。
一度呪いにかかったら、魔力の影響を受けやすくなるから…と。
 
◆シルヴェストロ
賢明なことだ。
 
◆ルチア
っていうより、単に…幸運だっただけかもです。
 
◆シルヴェストロ
…それも含めて、実力と呼べるかもしれん。
ふむ…。
 
◆ルチア
あの…サー・シルヴェストロ?
 
◆シルヴェストロ
…部屋は、追々こさえるとしよう。
しばらくは居間で寝てもらう他ないが、構わんな?
 
◆ルチア
え?
 
◆シルヴェストロ
気が弱いのか強いのか、よくわからん娘だがな。
テコでも動かん、という顔をしている。
家の前で座り込みでもされたら、私としては面倒だ。
 
◆ルチア
じゃあ…! あの、それって…!
 
◆シルヴェストロ
家事も手伝ってもらうぞ。それから…。
 
◆ルチア
な、なんですか?
 
◆シルヴェストロ
そのシチューは、聖木の根を使っている。
残さず食べなさい。
 
◆ルチア
うっ…だけどこれ、食べ物の味じゃ…。
 
◆シルヴェストロ
護符だけでは、ここの魔力で体が壊れる。
わかったか、ルチア。
 
◆ルチア
うぅ…はい、マスター・シルヴェストロ…。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…まあ、よろしい。
 
 
 
■2
◆幕間。
◆シルヴェストロ(独白)
あとになって思い返せば、私は…なぜ、あの娘を弟子に取ったのか。
それが、私にはわからない。
あれはただひたむきなだけの、ありふれた少女に過ぎなかった。
どこにでもいる、ただの少女。
あの娘が魅入られる理由など、どこにもないはずだった。
 
◆場面転換。シルヴェストロの小屋。
◆ルチア
マスター? …マスター・シルヴェストロ?
 
◆シルヴェストロ
…ああ。聞こえているよ。
朝かね?
 
◆ルチア
ええ。おはようございます、マスター・シルヴェストロ。
朝食、出来ていますよ。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…。
 
◆ルチア
…マスター? どうかしたんですか?
 
◆シルヴェストロ
…いいや。お前が首を傾げるところではないよ。
 
◆ルチア
…?
 
◆シルヴェストロ
気にするな。さあ、いただくとしよう。
 
◆ルチア
あ…はいっ、マスター。
今朝はちょっと豪華ですよ。
昨日、買い出ししてきた甲斐がありました。
ライ麦パンに、スープはゆうべの残りですけど、ベーコンとスクランブルエッグも。
 
◆シルヴェストロ
…私も、清貧をよしとするわけでないがね。
胃がもたれても知らんぞ。
 
◆ルチア
い、やぁ…? それはその…。
 
◆シルヴェストロ
ついでだ。たっぷり食べておけ。
この後は薬草学を、完成品は自分で試してみなさい。
 
◆ルチア
わ、私が飲むんですか!?
 
◆シルヴェストロ
癒し手になるのだろう?
お前は患者に、信用に値しない治療を施すつもりか?
 
◆ルチア
うぅ…わかりました…。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…ルチア、お前は…。
 
◆ルチア
なんです?
 
◆シルヴェストロ
変わり者だな。
 
◆ルチア
うっ…ひ、ひどくないですか、マスター。
 
◆シルヴェストロ
貶したり嘲っているのではない。
ここにお前が来て、そろそろひと月だったか。
料理が出来るのだから、薬の調合など簡単だろうに。
 
◆ルチア
…それを言うなら、マスターだって同じじゃないですかぁ。
薬は作れるのに、なんで料理だけひどいんです?
 
◆シルヴェストロ
それほどひどいものでも…。
 
◆ルチア
ありますっ!
 
◆シルヴェストロ
…そうか。
 
◆ルチア
そうです。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…善処しよう。
 
◆ルチア
ええ、なんならお教えしますよ、マスター。
…ぷっ、ふふっ、ふふふっ。
 
◆シルヴェストロ
…屈託なく笑うものだな。
 
◆ルチア
だって、ふふっ…私がマスターに、お教えします、なんて。
あ、でもすみません。お気に障ったり…?
 
◆シルヴェストロ
であれば、ひと月前に追い出しているよ。
変わり者なのは、ひと月前と同じままだが。
…食べ終わったら材料を用意しなさい。
庭園にあるはずだが、くれぐれも…。
 
◆ルチア
森には近づかない、ですよね。
 
◆シルヴェストロ
そうだ。
順調に進めば、昼食はお前に教わるとしよう。
 
◆ルチア
ええ。ふふっ、期待していてくださいね、マスター。
 
 
 
■場面転換。小屋の裏手。庭園で薬草を取るルチア。
◆ルチア
ええと、胃薬だから…あれ? マスター?
 
◆シルヴェストロ
どうした? レシピを忘れたか?
 
◆ルチア
いえ、そうじゃなくて…どっちの水薬にすればいいんでしょう?
ワームウッドか、それともカモミールか。
 
◆シルヴェストロ
ワームウッドは、胃を洗浄して毒素を追い出すために用いる。
カモミールは消化を促すためのものだ。
胃がもたれた時に欲しいのは、どちらだと思う?
 
◆ルチア
えーと…カモミール?
 
◆シルヴェストロ
そこまでわかれば、問題あるまいな。
ああ、材料を間違えるんじゃないぞ。
 
◆ルチア
大丈夫ですよ、もう。
ミントは…これくらいかな?
あとはカモミールを…。
…え? マスター?
 
◆シルヴェストロ
どうした?
 
◆ルチア
今、私のこと呼びました?
 
◆シルヴェストロ
いいや。何か聞こえたか?
 
◆ルチア
あ、いえ…聞こえたというか、聞こえなかったような…。
今…誰かが、呼んでたみたいに…。
 
◆シルヴェストロ
ルチア。
 
◆ルチア
誰か…おいで、って…。
私、呼ばれて…森に…森の向こう、に…。
 
◆シルヴェストロ
ルチア。
 
◆ルチア
…っ!? …マス、ター?
わ、私…今なにを…。
 
◆シルヴェストロ
落ち着け。大丈夫だ。
薬草は揃ったのだろう?
 
◆ルチア
え、っと…はい、一応…。
でも、あの…っ。
 
◆シルヴェストロ
小屋に入っていなさい。調合の準備を。
 
◆ルチア
だけど今の…っ。
 
◆シルヴェストロ
その話は、小屋ですればいい。行きなさい。
 
◆ルチア
…はい、マスター。
 
◆シルヴェストロ
よろしい。
さて…あまり、呼びかけるな。
仮にも守り手の弟子だ。
あれには、すでに望む道がある。
何を言われようと、そちらに行かせてやるつもりはない。
 
 
 
■場面転換。小屋の中。薬を調合しているルチア。
◆ルチア
マスター、準備できましたよ。
始めていいですか?
 
◆シルヴェストロ
ふむ、やってみなさい。
 
◆ルチア
えっと…鍋にスピリッツを2杯分、軽く沸騰するまで火にかける。
ミントとカモミールを一緒に挽いて、鍋に入れる…と。
一度火を消して、スピリッツをもう1杯。
そしたらもう一度火をつけて…っと。
弱火のまましばらく煮続ける。
 
◆シルヴェストロ
火加減を間違えないように。
呼吸にも気をつけろ。また前のように酔っぱらっても、私は知らんぞ。
 
◆ルチア
そ、その節はお世話かけました。
…マスター、ところで、なんですけど。
 
◆シルヴェストロ
言うな。…いや、何を言いたいかはわかっているつもりだ。
森に呼ばれたか?
 
◆ルチア
…はい。そんな気がします。
森の方…ううん、森の奥から。見えないのにそこにいる。
誘われてるような、命じられてるような…。
マスターには、あれが見えてるんですか?
 
◆シルヴェストロ
視力をまじないで代用する、副産物と言うべきかな。
見えている。精霊だ。
 
◆ルチア
…冗談ですよね?
 
◆シルヴェストロ
嘘をついてどうなる。
お前が聞いたのは、精霊の呼び声だ。
聖木に宿るものたちだよ。
 
◆ルチア
なんていうか…イメージと違う、というか。
精霊って、魔法使いが使役するものじゃないんですか?
 
◆シルヴェストロ
吟遊詩人の歌でも聞いたかね?
その認識は改めなさい。
あれらを使役しようなどと…いや関わろうとすること自体が危うい。
 
◆ルチア
それは…たとえばマスターが薬を作る時、魔法を使わないのと同じことですか?
 
◆シルヴェストロ
お前は存外、よく見ている。
ルチア、そもそも魔法とはなんだ?
 
◆ルチア
ええと…ことわりの外にあるもの?
 
◆シルヴェストロ
そうだ。そして同時に、ことわりを歪めるものでもある。
水をワインに、石ころをパンに。
島を覆いつくすほどの排煙を出し、同時に御し得る。
それらは全て、法則を捻じ曲げ、成り立っている。
心しておけ、ルチア。
精製に魔力を用いた、いわゆる霊薬は、確かに効能こそ凄まじい。
だが霊薬の名で呼ばれる通り、本来なら人の世にあるべきものではない。
いかなる魔法であれ、例外ではないのだ。
 
◆ルチア
…わかる、と思います。なんとなくだけど、マスターの仰ることは。
だけど精霊っていうのは、自然の化身みたいなものなんでしょう?
使役というのは傲慢かもしれないけど、共生は出来ないんですか?
実際に精霊を用いる魔法使いはいるわけですし…。
 
◆シルヴェストロ
それが出来るのは、呼びかけに応じたものだけだ。
 
◆ルチア
応じた人…?
 
◆シルヴェストロ
あれらは共生のため呼ぶのではない。
人を依り代にしようという、本能によって呼んでいるだけだ。
精霊は自然の化身。だからこそ、そこには慈悲も理性もありはしない。
望むのはやめておけ。
憧れは、どこか遠くに仕舞い続けろ。
 
◆ルチア
…ごめんなさい。
 
◆シルヴェストロ
謝るな。あの声を聞いた魔法使いは、誰でも願う。
精霊の力…手中に収めれば、これほど恐ろしいものはない。
どんな病であれ、癒せぬものはあるまい。
…そうなった時、それは最早、人と呼べるものではないのだ。
だから覚えておきなさい。
お前が、癒し手の魔法使いでありたいと願うのなら。
近づきすぎて力を得れば、その代償はお前を変える。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…火はそのあたりでいいだろう。蒸留を始めなさい。
 
◆ルチア
はい、マスター。
…ふふっ、今回はいい感じだと思いません?
 
◆シルヴェストロ
そうだな。
ふっ…40点といったところだ。
 
 
 
■3
◆幕間。
◆ルチア(独白)
その人は、私が初めて出会った魔法使いで。
その人は、私に奇跡を与えてくれて。
その人は、だけどどこか悲しい目をしたままで。
その人をいつか癒すことが出来たのならと。
私は、そんな願いを抱いてしまった。
◆夜。小屋の中。目を覚ますルチア。
◆ルチア
んぅ…眠れない。
なんだろ、これ…呼び声を聞いた日から、ずっと…眠りが浅いままだ。
マスターに、相談すべきかな。
迷惑じゃないかな。これ以上、迷惑かけるのやだなぁ…ん?
話し声…マスターの部屋?
◆シルヴェストロ
…お前の方は、その後どうだ?
聞いたぞ。不老不死の呪い、解ける目途が立ったというじゃないか。
…そうか。
あの弟子の置き土産…いや、忘れ形見か。
そうだな…こういう物言いは、私の性分ではないと思うのだが、な。
お前の呪いが、少し羨ましくなった。
いつ朽ちてもよかったはずが…どうして中々、弟子というのは…思い入れというものは…。
せめてあと2年、いや1年でいい。
1年だけ残っていたのなら…もう少しばかり教えてやれたと思ってしまう。
…ああ、もって半年といったところだろう。
その後は、頼む。
あの娘は翆碧街で、癒し手になろうとしている。
私は縁を切ってしまった。
そういう意味でも、お前の方が適任だろう。
…すまんな。導いてやってくれ。
…さて、どうだろうかな。あながち間違いではないかもしれんが。
私にとってあの子は…お前の言う、たったひとつの紅葉とやらなのだろう。
では…ああ、先に行くよ。
…ふぅー…隠れずともいい、ルチア。
◆ルチア
マス、ター…。
…その、あ、あのっ!
◆シルヴェストロ
そう、うろたえるな。
来なさい。
いい酒がある。
◆ルチア
私、お酒は…。
◆シルヴェストロ
味わって損はない。
これも以前教えた、魔法薬のひとつだ。
ローズマリー、レモングラス、ナツメ、エルダーフラワーのはちみつ酒に、触媒をつけ込む。
名を『静月(せいげつ)のしずく』という。
さて、これの効能と用いる触媒は?
◆ルチア
あ、っと…滞留した魔力を循環させるもの、です。
主に魔法使いが、魔力系の中毒症状を抑える時や、その予防に使います。
触媒は、月明かりで清めた若い聖木の根。
◆シルヴェストロ
よくできた。
褒美というわけではないが、飲んでみなさい。
◆ルチア
はい…ん、甘い…。
ん…あはは、お酒って、こんな飲みやすいんですね。
◆シルヴェストロ
そのために薄めてあるのだ。
…お前が並みの癒し手でいいのなら、これで充分な知識は揃った。
◆ルチア
マスター…?
◆シルヴェストロ
ふむ…なんと、言うべきかな。
ルチア、私は…私は、お前に重荷を負わせてしまった。
◆ルチア
…何のお話です?
◆シルヴェストロ
聞いていたのだろう?
先ほどの、私とあれの話は。
◆ルチア
あの人は…。
◆シルヴェストロ
湖畔の魔女。
または死なずの魔女、老いない魔女とも…。
古い友人でな。
あれなら、翆碧街にも顔がきく。
◆ルチア
私…! マスター、私…直すべきところがあるなら、直します…!
◆シルヴェストロ
ルチア…。
◆ルチア
マスターがそうしろというなら、もっと、もっと勉強も家事も、もっとずっと…!
◆シルヴェストロ
ルチア。
◆ルチア
でも…だけど、それでも…!
やっぱり私じゃ、破門ですか…?
◆シルヴェストロ
…いいや。
そうではないよ、ルチア。
…そういう話では、ないのだ。
◆ルチア
でも!
◆シルヴェストロ
お前は、よくやっている。
才能もある。
だがね…もう私が、お前の師でいられないのだ。
◆ルチア
マス、ター…?
◆シルヴェストロ
お前を迎えた頃…折を見て、私はお前を追い出すつもりだった。
それは才能がどう、という話ではないのだ。
…私が、聖木の守り手であるからなのだ。
守り手について、お前には教えたかな。
◆ルチア
…土地に根付く魔法使い。
魔力を循環させ、その土地に正しく四季を巡らす存在…。
そのために、守り手はその土地から魔力を使役できる。
◆シルヴェストロ
そう…土地柄にもよるが。
守り手とは、言わばこの酒の触媒だ。
そして触媒も長くあれば効力が弱まる。
代替わりが必要になる。
いやこの場合は…代償と呼ぶべきか。
◆ルチア
…?
◆シルヴェストロ
ルチア、聖木の守り手とはな。
他の土地と違い、なろうと望んでなるものではない。
聖木に選ばれて成り立つのだ。
守り手でいる間は、不老不死にもっとも近しいほどの力を得る。
だが、やがて次代の守り手が選ばれたのなら…先代は、精霊の列へと加わる。
そういう、ことわりなのだ。
…覚えているだろう。
お前は、もう精霊に招かれてしまった。
あれが選ばれるということだ。
◆ルチア
そんな…それじゃ私…!
私が…マスターの命を、奪って…?
◆シルヴェストロ
そうではない。
いずれ終わりは来る。
これは死とはまた異なるが…命もまた巡るものだ。
◆ルチア
…嫌ですよ。
私は、マスターだから教わりたかったんです。
マスターのようになりたくて…。
◆シルヴェストロ
…なったとも。
お前は、自慢の弟子だ。
◆ルチア
そんなんじゃ、ないですよ…!
自慢なんか…まだまだ、教わりたいこともたくさんあって…。
だから…置いて行かないで…。
◆シルヴェストロ
私は、どこにも行きはしないとも。
お前は、どこにだって行けるとも。
…ルチア、私に残された時間は、あと半年ほどだ。
湖畔の魔女が、お前にとって必要な知識を引き受けてくれた。
半年後…その時が来たら、彼女を訪ねなさい。
それまで、私はお前という弟子を教えよう。
そのあとは、お前という友人の未来を見守ろう。
 
 
 
■4
◆ルチア(独白)
守り手の真実を聞いた、あの夜から…。
半年という限りの中で、時間だけはその間も平等であり続けた。
初めの頃はそれでも、あの人自身が言う『残り』を感じることはなかった。
今までと同じ、癒し手の術を教わり続ける日々。
余命なんてものは思い過ごしで、日常はこのまま日常として続いてくれるんじゃないかと。
私は、そんな風に錯覚して、願っている。
…でも、三カ月を過ぎた頃。
 
◆ルチア
マスター…起きてくださいよ、マスター…。
 
◆シルヴェストロ
…ああ、ルチア。
私は…寝ていたか?
 
◆ルチア
ええ。…いい、陽気ですから…。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、眠っている時間が多くなった。
朝も、昼も…それまで、呼びかけたらすぐ応じてくれていた声が…。
相槌を打ち、私の名前を呼ぶまで…ほんの少し、時間がいるようになっていた。
…四カ月が経った頃。
 
◆ルチア
マスター、お食事は…。
 
◆シルヴェストロ
ああ…いや、すまない。
腹は空いてるはずだが、なぜだろうな…。
…なぜ、食えないのだろうな。
 
◆ルチア
…もう。
そんなこと言って、ホントは「私を太らせよう」なんて考えじゃないですか?
 
◆シルヴェストロ
まだまだ育ちざかりなのだから。
…多少、太っているくらいが健康というものだ。
 
◆ルチア
大人って、いつもそうなんですから…ふふっ。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、あまり食事を取らなくなった。
ほんの一口か二口ほどスープを飲んでくれる日があれば、全く口に運べない日も。
…だけど、あの人は「食べたくない」とは言わないでいてくれる。
私の師で、あり続けてくれている。
だから私も、いつものように軽口に頼った。
いつもなら応じてくれていた笑い声は、どこか力なく口元に微笑を浮かべるだけで…。
だから、私が代わりに笑う。
…五カ月が、過ぎた頃。
 
◆ルチア
…無理しないでください、マスター。
起きなくても、ほら…私、読み書きは出来ますし。
メモを取ったりとか…。
そういう授業でも、平気ですから。
 
◆シルヴェストロ
ああ…ああ、そうだな。
…ルチア。
 
◆ルチア
はい、マスター。
 
◆シルヴェストロ
お前は…。
…いいや、忘れてくれ。
 
◆ルチア
…はい、マスター。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、あまりベッドから起きなくなった。
目覚めている間も、ほとんど上体を起こすだけで過ごしている。
それでも授業をしていくれている。
私の師を、続けてくれている。
…けれど時々、呪いを収めたあの人の目は、森の方を向いていた。
そしてもうじき、半年が経つという頃…。
 
◆ルチア
…何か、ないんでしょうか。
 
◆シルヴェストロ
…なんだね、突然。
お前…らしくも、ない。
 
◆ルチア
だって私…!
…私、マスターにはここにいて欲しいです。
私だって癒し手になるんだから、だったら最初はマスターを…。
 
◆シルヴェストロ
これは…病では、ないんだよ。
癒し手は、万能ではない…その望みは、驕りになる。
 
◆ルチア
驕りだっていいですよ…!
傲慢でも何でも…マスターがいてくれたら、それで…っ。
 
◆シルヴェストロ
いるとも…私は、お前の望むところに…いつでも、いるよ。
ああ…お前は、良い弟子だ…ルチア。
 
◆ルチア(独白)
そう言って、あの人はまた眠りにつく。
起きていられる時間は、今ではほとんどない。
私は…本を相手に授業を受けるだけになっていた。
…何かないのだろうか。
あの人の蔵書を開く度、私はいつしか精霊の話を目で追い続けている。
世代交代されてゆく守り手。
それ自体は絶対的なことわりであり、覆しようのない法則だ。
…なのに私は思ってしまった。
その世代がなくなれば…精霊が最も求める契約を結んだら、どうなるだろう…。
 
◆シルヴェストロ
…ルチア?
 
◆ルチア
…っ!
は、はいっ、どうしました?
 
◆シルヴェストロ
どうした、ではないよ…。
お前こそどこに…ああ、しかし…今日だったか?
湖畔の、あの魔女のところに…。
 
◆ルチア
いえその…あはは、違いますよ、もう…。
少し買い出しに行くだけです。
ああ、それからこれ…持っててくださいね。
 
◆シルヴェストロ
うん…?
これは…護符かね、お前の…?
出かけるなら、お前にこそ…。
 
◆ルチア
教わったのは、薬の作り方だけじゃないんですよ?
幸運にも、いい師匠に恵まれましたので。
身を守るくらい出来ますし、今それが必要なのは、マスターの方ですよ?
 
◆シルヴェストロ
ああ…ふっ、まったく…生意気を言う。
…だが、気をつけなさい。
 
◆ルチア
ええ、わかってます。
…マスター。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
私…実はマスターに、二回も救ってもらったんです。
ひとつは、私を教えてくれたこと。
 
◆シルヴェストロ
ほう…? もうひとつは?
 
◆ルチア
…私に、憧れを与えてくれたこと。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…他に、いくらでもいるだろうに…憧れなど。
変わり者だな、お前は…。
 
◆ルチア
ええ…ふふっ、昔からこうなんです。
でも…マスターは、きっと否定するんでしょうけど…。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
一番の変わり者はマスターだって、知ってるんですよ?
 
◆シルヴェストロ
否定など、せんよ…。
私は…偏屈な世捨て人に、すぎん。
 
◆ルチア
…心は癒し手のままだと、わかってます。
助けてくれた日のまま…。
 
◆シルヴェストロ
なに…?
 
◆ルチア
いいえ…ふふっ、独り言です。
じゃあ、マスター…行ってきます。
 
◆シルヴェストロ
ああ…あまり、遅くならないように。
 
◆ルチア
ふふっ…はい、マスター・シルヴェストロ。
 
◆ルチア(独白)
小屋を出た私は、少し震えそうになる足を無理やり進めた。
いくら決意しても、きっと心が怯えてしまうんだろう。
それとも、私に勇気が足りないだけか。
あの人に嘘をついた。
私は癒し手になりたかった。
あの人を師として。
最初は、あの人のように。
今は、あの人のために。
全部終わったら、私は破門されるかもしれない。
もう二度と、あの人は口をきいてくれないかもしれない。
…だけどそんな未来でも、あの人は生きていてくれる。
ちっぽけな私の、ひとつくらいの望みなら…。
無慈悲な精霊も聞き届けてくれそうな、そんな気がした。
もし夢が叶って、癒し手になれたとしたら…。
私が誰より救いたいのは…やっぱり、私の恩人しかいなかった。
だから私は、森にいる。
小屋の外で最初に呼ばれた、あの日から。
折に触れて囁いてきた、聖木の森に。
 
◆ルチア
精霊の、呼び声…。
…来ました、よ。
あなたたちが、いつも呼んでる通り…私、ここに来ましたよ…!
あなたたちに…加わります。
精霊に…でも!
…でも、ひとつだけ…条件があります。
マスターは…サー・シルヴェストロは、解放して。
守り手も、この森のことも…全部、私が背負うから…!
あの人には、静かな残りを送らせてあげて。
 
◆ルチア(独白)
…柊が、囁いていた。
森の中で懇願する私の声へ、それが彼らの反応だったのか。
不意に寒気を覚えた。
足のつま先から這い上がる、奇妙な感覚を…。
見えない誰かに抱擁され、私を作っていたものが別の何かに変わってゆく。
誰でもない誰かに…ここではないどこかに…。
それが精霊になるということだと、うっすら自覚した時…。
 
◆ルチア
ああ…マスターに、会いたいな…。
 
◆ルチア(独白)
どこか遠くで、自分の声が聞こえた気がした。
 
◆場面転換。シルヴェストロの小屋。
◆シルヴェストロ
ルチア…? もう戻って…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
戻って来たのか、と。
あの娘への呼びかけを、それ以上、紡ぐことなど出来なかった。
まぶたの下に、光を感じる。
いやそれどころか、手探りに触れてみると、とうに無くしたはずの眼球がそこにあった。
昼下がりの…住み慣れた小屋の、ありふれた光景。
なぜ私に視力が戻ったのか。
なぜ私の体には、また力を感じるのか。
それら一切合切に驚くでも、ましてや答えを探すわけでもなく…。
私は、ただ呆然と…ひとりの娘を目で探した。
 
◆シルヴェストロ
ルチア…どこだ…?
 
◆シルヴェストロ(独白)
この小屋は、果たしてこんなにも広かっただろうか。
視線を巡らせば、あの娘はそのうち姿を見せてくれるに違いない。
そんな期待とは裏腹に、守り手の小屋は虚しく西日を差し込むばかりで…。
ついぞ彼女を見つけられなかった私は、代わりに枕元へ置かれた護符に気付いた。
あの娘が置いて行った、あの娘の護符。
探したところで、見つかるはずがなかったのだ。
私は…あの娘の顔さえ、知らないままだったのだから。
 
 
 
■5
◆数日後。小屋で文献を読み漁るシルヴェストロ。
◆シルヴェストロ
これは違う、霊薬ならあるいは…。
古い魔法には、死者の蘇生記録があったはず…。
…いや状況が違いすぎる。
精霊化の解除…ダメだ、危険すぎる。
…何か、あるはずだ。
何か…現象として存在しているのだから…逆にすれば、まだ…まだ…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
…そうして、いったい幾日が過ぎただろう。
あらゆる文献、理論、知己(ちき)を頼り…毎夜たどり着く結論は、不可能という言葉だ。
あの日…あの娘が私の前から消えた、あの日以来…。
起き上がることもままならなかった私の体は、かつての上体を取り戻し…。
めしいたはずの目は、再び光を見ることが出来ている。
私は、守り手の任から解放されていた。
精霊を見ることのない、ただの人間の視力と共に。
この目に世界は見えども、精霊は見えず…。
かつて聞いた森の呼び声も、あれ以来、囁くことはなくなった。
彼女がそうさせているのだろう。
私が弟子と呼んでいた、あの娘が。
肉体へ活力が戻ってすぐ、私はあの娘を探しに森へ入った。
小屋から続く、少女の靴跡。
それを辿って、決して行くなと伝えた聖木の森の、その中に。
…あの娘は、最早どこにもいなかった。
森の半ばまで続いて靴跡は、そこでふつりと途絶え…。
あとには魔法の残滓(ざんし)が、僅かばかり残るのみ。
あの娘が、私を解放したのだと…ただ、がく然と思い知る。
自ら精霊となった後、その力をもってして、精霊のことわりを変えたのだ。
私の目に、再び光を宿すという奇跡を伴い…。
…大馬鹿者が、と。
独りごちた私の頭上で、柊の葉が微かに揺れた。
 
◆ルチア
でも、後悔はしてませんよ?
 
◆シルヴェストロ(独白)
あの娘の、そんな微笑が見えた気がした。
顔も知らない、あの弟子の。
…取り戻さなければ。
若者が老人の身代わりに。
たとえ後悔がなくとも、それでは順序が違っている。
幸いにして、魔法使いとしての能力は、まだ私に備わっていた。
私でなくとも、この世の誰か…。
世にいる魔法使いの誰かなら、あの娘を人に戻せる。
そんな確信は日ごとに薄れ、挫折ばかりが付きまとい…。
いつしか、虚しさだけが、わかりきっていた回答を伴い、胸の奥にわだかまる。
気化し、霧散した水は元に戻らない。
精霊となった魂とは、いわばその水なのだ。
どこにでもいて、どこにもいない。
そして水ならば、ひとつところに寄り集めて戻すことができるとしても…。
精霊に加わったものたちから、特定の魂だけを抽出する術など、この世にありはしないのだ。
 
◆シルヴェストロ
…私は、構わなかったのだぞ。
これほどまでする価値が、私にあると思うのか…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
そんな風に、いったい何度呟いただろう。
口にする度、私は思ってしまうのだ。
この小屋のかげから、あの娘が不意に顔を覗かせて…。
軽口めいた言葉と共に、微笑を浮かべてはくれないかと。
…むろんのこと、願いは願いのまま、叶うことなく過ぎ去るのだが。
そんな同じ夜の、ある時だった。
 
◆シルヴェストロ
護符…木星の6番か。
…いや。
 
◆シルヴェストロ(独白)
ふと手に取った、あの娘がいた唯一の名残り。
そこに刻まれた「まじない」の構築に、私は違和感を覚え、独りごちる。
木星の6番。
術が破壊されない限りにおいて、あらゆる霊的・魔力的な脅威を退ける。
守りに特化した、この世で最も強力な呪文のひとつ。
その魔方陣を描く筆跡と、内封された魔力には、奇妙なほど懐かしさがあった。
いや、覚えがあって当然なのだ。
…なぜ気付かなかった。
私はあの娘を、ずっと昔から知っている。
 
◆場面転換。
◆ルチア(独白)
奇妙な感覚だった。
頭の中がぼんやりして、体は…たとえば手足は、どこにあるかもわからない。
なのに恐ろしさはないまま、どちらかと言えば懐かしさを覚えた。
これが、人でなくなる…ということだろうか。
指を動かそうとすれば柊の葉が揺れ…。
声を発しようとすると、ささやかに風が吹く…。
森中にひしめく聖木のどれもが、私であって私じゃないような…。
前にも、こんなことがあったような気がした。
いつだっただろう。
どこだっただろう。
 
◆シルヴェストロ
大馬鹿者が…。
 
◆ルチア(独白)
誰かに、叱られていた…。
なぜかはわからなくて、でも、そう言われるのも仕方ない…と苦笑する。
声のした方に目を向けると、ひとりの魔法使いがいた。
どこかで会った気がする。
いつか一緒にいた気がする。
ついさっきも…遠い昔も…。
ああ…思い出した。
初めて、あの人に出会った頃を。
まだ私が、聖木なんて知らなかった頃…。
最初に出会った魔法使いの、あの人だ。
いや…出会った、というのは違うかもしれない。
だってあの時、私はあの人の顔も知らないままだったから。
 
◆場面転換。過去の二人。
◆シルヴェストロ
…ひどい場所だな。
難民キャンプで良い有様などあるまいが、それにしてもここは…。
…聞いた通り、子供ばかりではないか。
ああ、キミ、ルチアという子は?
 
◆ルチア
え?
 
◆シルヴェストロ
そういう名前の少女を探している。
知っているか?
 
◆ルチア
え、っと…わ、私が、ルチアですけど…。
 
◆シルヴェストロ
キミが?
…ふむ。
 
◆ルチア
あの…。
 
◆シルヴェストロ
…いや、盲人とは聞いていなかったのでな。
その目はどうした?
 
◆ルチア
…怪我した子を手当てしてたら、急に…。
 
◆シルヴェストロ
なるほど…失礼、少し診せてもらう。
 
◆ルチア
わっ…!
 
◆シルヴェストロ
じっとしていろ。
ふむ、暗夜のまじない…肩代わりしてしまったか。
だいぶ無茶をしたようだな。
噂になっていたぞ。
たった独りの少女が、15人からの子供を手当てしているキャンプがあると。
 
◆ルチア
だって…みんな、怪我してたから…。
大人のひとは、誰も残ってなくて…。
 
◆シルヴェストロ
医学の心得があったのは、キミだけだった、と。
どこで学んだ?
 
◆ルチア
お父さんから…お医者さんだった、ので…。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…キミはいくつだ?
 
◆ルチア
11歳…です。
 
◆シルヴェストロ
…私がその歳の頃は、周りなど見えていなかったよ。
もっとも、焼け出された経験もなかったが…。
独りで、よく頑張ったな。
 
◆ルチア
…そんなこと、ないんです。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
最初は…三〇人だったんです。
でも…だけど…どうしようもなくて…。
 
◆シルヴェストロ
…ああ。
 
◆ルチア
怪我も…お腹が空いた、って子も…喉が渇いた、っていう子も…。
何も、してあげられなくて…。
お墓しか、作ってあげられなくて…。
 
◆シルヴェストロ
ああ…そうだな。
そうかもしれないな。
それでもキミは…よくやったんだと、私は思う。
私が見る限り、応酬処置はどれも正しい。
キミがいなければ、誰も生きていなかった…かもしれない。
…遅くなって、すまない。
だから、私たちが頑張る番だ。
じっとしていなさい、ルチア。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
ふぅ…火星の2番。
この言葉に命があった。
この命は、光であった。
…よし、もういいぞ。
 
◆ルチア
今の…?
 
◆シルヴェストロ
その目に、治癒の魔法をかけた。
数日で元に戻る。
他の子供たちも診ておこう。
日暮れ前には救援が来るから、それまでの辛抱だ。
 
◆ルチア
魔法使い…なんですか?
 
◆シルヴェストロ
ああ…そうか、まだ言っていなかったか。
私は翆碧街(すいへきがい)から派遣された、癒し手だ。
シルヴェストロ、という。
 
◆ルチア
癒し手…。
マスター…シルヴェストロ…?
 
◆シルヴェストロ
マスターはいらんよ。
キミが私の弟子にでもなれば、また変わってくるがね。
…さて、あとはどうしたものか。
 
◆ルチア
あと…?
 
◆シルヴェストロ
キミが受けたこれは、暗夜のまじないという。
一種の魔法…もとい、呪いだ。
どちらも本質では同義だが、些か変化してしまっている。
一度は剥がれたとしても、これではまたすぐ戻るか、あるいは他の誰かに移るか。
 
◆ルチア
…!
あ、あのっ! 他の子には、絶対…!
 
◆シルヴェストロ
ああ、わかっているよ。
…私も、潮時だろうからな。
…癒し手が、戦いに駆り出されるとは…。
 
◆ルチア
え…?
 
◆シルヴェストロ
いいや…独り言だ。
護符を作っておこう、それで呪いは防げる。
肌身離さず持っていなさい。
こういう呪いは体質も変えてしまう。
あとのことは、私に任せておきなさい。
 
◆ルチア
はい…あ、ありがとうございます。
 
◆シルヴェストロ
…礼など、受け取れんよ。
では、失礼する。
 
◆ルチア
あの…シルヴェストロ、さん…。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
癒し手、って…私も、なれますか?
 
◆シルヴェストロ
…そう思う気持ちは、わからんではないがね。
道を決めてしまうには、まだまだ早すぎる。
 
◆ルチア
でも…。
 
◆シルヴェストロ
世界を見なさい、その目で。
 
◆ルチア
世界…?
 
◆シルヴェストロ
この内乱は、もう終わる。
私は、こんな言い方しか出来ない人間だが…世界は、こんなことばかりではない。
たとえ今は陰惨なだけに見えたとしても。
多くを見て、それから決めなさい。
心が変わらなかったのなら、私はこの世の果てで待っている。
 
◆ルチア
果てが…あるんですか?
 
◆シルヴェストロ
あるとも。
滴る朝露に葉がきらめく、そこは柊たちの森だ。
私はいつでも、そこにいるよ。
 
 
◆場面転換。現在に戻る。
◆ルチア(独白)
ああ…思い出した。
そうだ、私は…私は、癒し手になれたんだ。
私に、光を取り戻してくれた人。
私もあの人に、また世界を見てほしくて…。
最後だったけれど、一度きりだったけれど…私は、あの人の夜を終わりに出来たんだ。
だから帰らなきゃ。
あの人が待ってる。
私は弟子だから。
マスター・シルヴェストロの、弟子だから。
 
◆シルヴェストロ(独白)
なぜ、忘れていたのだろう…。
あの娘の顔を、私は見ていたというのに。
世界は陰惨なものなのだ、と。
他でもない、私がそう信じていたのか。
だから呪いをこの身に封じ…。
だから夜のとばりを下ろし続け…。
そして私は、結局また救われたのか。
絶望しかなかった時代に、たった独りで戦い続けたあの娘を、初めて見た時のように。
…また夜に身をゆだねるわけには、いくまい。
私は師となったのだから。
あの娘の…ルチアの師であるのだから。
 
 
 
■6
◆シルヴェストロの小屋。*ルチアの存在は、シルヴェストロには認識できていない状態。
◆ルチア
マスター? 起きてますか、マスター?
朝ですよ、マスター・シルヴェストロ。
 
◆シルヴェストロ
ああ…もう朝か。
おはよう、ルチア。
 
◆ルチア
おはようございます、マスター。
ふふっ、やっぱりマスターって、朝が弱いですよね。
 
◆シルヴェストロ
歳を取ると、あちこちガタが来ていかん。
…そろそろ引退を考えるべきかもしれんな。
 
◆ルチア
またそういうことを。
街の人、マスターを頼りにしてるんですよ?
 
◆シルヴェストロ
弟子が精霊になどならなければ、私が往診する必要もなかっただろうに。
 
◆ルチア
う…そ、それは…。
 
◆シルヴェストロ
もうそろそろ一年だったか。
厄介なものだ。
目が戻ったせいで姿は見えん、声も聞こえん。
果たしてお前は、どこにいるやら、いないのやら…。
 
◆ルチア
…ごめんなさい。
 
◆シルヴェストロ
謝ってはくれるなよ。
 
◆ルチア
あ、あはは…お見通しですか…。
 
◆シルヴェストロ
ふぅ…ルチア。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
お前は、そこにいるのだよな。
 
◆ルチア
…はい。
 
◆シルヴェストロ
見えなくとも、聞こえなくとも…お前は、いるのだよな。
 
◆ルチア
…ええ、マスターのお側に。
 
◆シルヴェストロ
道を決めるには早すぎる、と。
最初に教えたというのに。
 
◆ルチア
ずるいですよ。
すっかり忘れてたクセに。
 
◆シルヴェストロ
…だがそれが、お前の決めた道なのだからな。
ないがしろには出来んだろう。
…もっとも、師に世界を教えたいとは、どうにも…。
 
◆ルチア
生意気、ですか?
 
◆シルヴェストロ
…いいや。
万事を知ったつもりで、世捨て人を気取るには…私は確かに未熟なのだ。
…世界は広い。
街ひとつ往診するのも手一杯なほど。
 
◆ルチア
キリがないですよね。
人嫌いだった聖木の元守り手が、無条件で治療してくれるんですから。
 
◆シルヴェストロ
毎日毎日、満足に休む暇もない。
だが…これも忘れていた。
人の感謝に、己も救われるということを。
…ルチア。
 
◆ルチア
…はい、マスター。
 
◆シルヴェストロ
ありがとう。
私を救ってくれて。
お前は、もう立派な癒し手だ。
 
◆ルチア
…ええ。
ふふっ、師匠の教えがいいんです。
 
◆シルヴェストロ
ふぅ…では、行くとするか。
 
◆ルチア
ええ。
あ、マスター、これ忘れてますよ。
 
◆シルヴェストロ
うん?
…ああ、あの護符か。
もう忘れるな、と…教え子に言われるとはな。
…忘れないとも。
 
◆ルチア
…ええ、わかってます。
 
◆シルヴェストロ
それにしても…。
 
◆ルチア
なんです?
 
◆シルヴェストロ
今日も、いい日差しだ…。
眩しいほどに。
 
◆ルチア
ええ…眩しいくらいに。
そろそろ行きましょうか、マスター・シルヴェストロ。
みんな待ってますよ。
 
◆シルヴェストロ
行くとしようか、ルチア。
あまり待たせるわけにもいくまい。
 
◆場面転換。
◆ルチア(独白)
私が生まれたこの世には、魔法使いと呼ばれる人たちがいた。
科学と共存しながら、人ならざる力を使役する彼等。
時に尖兵として戦い、時に学徒として探求する魔法使い。
癒し手と呼ばれる治療師も、そんな魔法使いの生き方だった。
私は、そうなりたいと願っていた。
だからあの人のもとを訪れたのだ。
私に光を与えてくれた、あの人に。
あなたに示してもらった世界には、そんな光がたくさんあったと伝えたくて。
そしてどうか、あの人にもそんな世界で生きてほしい。
今も私は、この人の背中をただただ見守り続けている。
聖木の森の、サー・シルヴェストロの守り手として。

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