朗読用小説 湖面の空
*お題「星」で書いた、短い小説です。最初は台本形式にするつもりだったのですが、気付いたらこうなっていました。
朗読向き…かどうかはわからないですが、よろしければご自由にお使いください。
湖面の空
頭上を星が流れる。街で見上げる漆黒と違い、青い深みをもった夜の底。散りばめた星のひとつは、すうっと横切り程なく消えた。
「お願い……」
と。珍しく自発的に呟いた彼女の声で、私の眼差しは空から地上に……傍らの彼女へ注がれた。
「お願い、出来た?」
「……内緒」
答えた私に、一瞬だけこちらを向いた彼女の瞳は、すぐにまた空へと戻る。
小さな湖のほとりで二人。テントを背に、青草の上で座る私たち。
このキャンプに誘ったのは私の方だ。引っ越しを控えた、無口な友人。離れてしまうその前に、二人でどこかに出かけよう、と。きっと断られてしまうから。突飛なことを提案してもいいだろう。その程度の浅はかさで。
だけど予想は、彼女の首肯であっさり裏切られた。
夜空を見上げる、隣の彼女。無口で無表情なひとりの少女。何を考えているのかわからないとは、彼女と話したみんなが言う。わかるのは私くらいだと。
買いかぶりもいいところだ。私だって、この子が何を考えているかわからない。それどころか、私はいったい彼女のどこに惹かれているのか。
「そっちはどう? 流れ星にお願いした?」
彼女は言葉を返さない。代わりにほんの少し、おとがいを引いて意思を伝える。
「どんなお願い?」
答えてくれないかもしれない、と。数秒の沈黙に、私が独りごちた頃。
「星、掴みたいな、って」
「……なにそれ」
「だって、届かなくなるから」
束の間、呼吸を忘れたかと思ったのは、彼女の言葉のせいではない。いつも無関心な彼女の眼差しが、いつの間にか私を見つめていたからだ。
どうしようもなく頼りのない、弱々しい光をそこに浮かべて。
「……星だもんね。そりゃね」
「すぐそこなのに」
呟いた彼女は、湖を指さす。今夜の空は本当に明るい。穏やかに降る星のまたたきが、ひっそりと湖面に落ちていた。
「手を伸ばせば、届きそう」
「風邪ひくだけだよ」
「じゃ、試す?」
何を、と。聞き返す暇はなかった。
彼女は私の手を取り立ち上がると、私が呆気に取られている間に湖面の星へと跳んでいる。当然、手を引かれた私も一緒に。
浅瀬へ上がる、二人分の水しぶき。びしょ濡れになって水底へ足をついてもまだ、私の思考回路は今の出来事に回転するのを止めたままだ。
「な……なに、してんの?」
ようやく絞り出したのも、そんな間の抜けたような質問。
湖に飛び込んだ彼女の、肌に張りつく服の布地、濡れた毛先へ滴る水……明るい夜の湖面の中で、浮かび上がる彼女の輪郭と微かにきらめく星明かり。
そういう何もかもに見惚れながら、私はどうにか常識を引っ張り出している。
「風邪ひくって……どうすんの?」
「でも、届いたよ」
言われて気付く。まだ彼女の繊手へ握られている、私の手。
「風邪ひいたら、お見舞いに行く。私がひいたら、お見舞いに来て」
「二人ともひいたら、どうすんの……」
湖面と夜空の、二つの星の境目に立って彼女は微笑み、囁いた。
「その時はおそろい」
束の間だけ呆然とした後で、私は思わず吹き出してしまう。相変わらず、彼女が何を考えているかはわからない。だけども何を想ってくれていたかは伝わった。
私の笑い声につられたのか。初めて見る屈託のない彼女の笑みは、星より眩く輝いて映った。
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