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bosyuをつかってお金を稼いでみた話

こんにちは。bosyuのプロダクトマネージャーの人です。bosyuに報酬をつけることが出来るようになったのですが、bosyuの中の人がその機能を利用してお金を稼いでみたら、ちょっと不思議な気持ちになったのでその気持ちをログとして残しておきます。

わたしが出してみた募集はこちら。

募集した経緯

本を選ぶことはわりと大変だと感じていたのと、過去にいろんな人に本を選んできたなあという思い出があったので、えいやで出してみました。

一件くらい応募あったらいいなーくらいのゆるふわでやっていたものの、最終的には五件ほど応募をいただきました。ありがたかったです。

感じていたこと

友達に本を選ぶだけならあまりアウトプットにはこだわらないのですが、流石にお金を払っていただいていることもあって、「その本をおすすめする理由」や「その人にとって読む意味があるか」みたいな部分はきちんとお伝えすべきだなと思い、ラフな資料とともにオススメの三冊を伝える形をとることにしました。

多分、タダで本を選んでいたらここまでしなかったと思うのですが、お金をもらうという行為によって「相手に貢献しなくては!」といった気持ちが勝手に芽生え、相手に満足してもらうためのクオリティをどうやって出すか、、、という部分を自然と考えるようになっていたようです。

結果的に一人当たり1時間くらいかけて本を選んでいたので、普通のバイトの方が儲かるじゃん、、、みたいな状況であったことはお伝えしておきます。

お金という媒介によって得られる適度な緊張感

お金が発生するかどうかは、しごとにおける重要な要素であると再認識しました。金額の多寡は関係なく、お金が生まれるからこそ受け手はより真剣に取り組み、買い手は一定の期待値を持ち、そのバランスから生まれる適度な緊張感が、よりよい成果を生み出すのだと思います。

bosyuで報酬を得たユーザーさんにもいくつかヒアリングをしているのですが、「お金」をもらうからこそ真剣にやらねば、、、といった思いは多かれ少なかれ生まれているようでしたので、この感覚は私だけが持ったものでは無いようです。

他方、いわゆるサラリーマン的な仕事の場合、「誰」からお金を受け取るかといったことや、自分が行った「何」に対してお金を支払われているのかが明確ではないため、この辺りの緊張感が生まれ辛く、結果としてあまり楽しくない形の働き方が増えてしまっているようにも感じました。

また、bosyuの報酬として得られたお金よりも、誰かの役に立ったという貢献感や承認欲求が満たされたといった部分に価値を感じていただいたユーザーさんも比率としては多いようでした。

ある意味では良心に任されている世界観ではあるものの、性善説に立ったサービス設計をしてきた部分について、それはそれで正解だったのかもと確信を深めた瞬間でもありました。

仕事の原点回帰

報酬付きのbosyuの設計をする時にも感じていたのですが、これが仕事の原点回帰なのかもしれません。自分のできるちょっとしたことで誰かの役に立って、そして報酬を受け取る。ただそれだけのことが充実した気持ちを生み出し、金銭的な面だけでは無い本質的な満足感が得られる。

としたときに、仕事はやはり「誰かと誰か」の間にあって、相手がいてこそ、そしてその相手が満足してこそ、その上で相手から直接の感謝と直接の対価をいただいてこそ、意味があるものなのかなと思った次第です。


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きゅーい / koyo
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