あの紐の名前は何ていうんでしょう。
カーエアコンが壊れた。
少し前から不穏な音がしていたのを、ごまかしごまかしきていたのだけど、いよいよ無視できないということで車屋で見てもらったら修理が必要だという。しかも、修理ができるのは早くとも2週間後で、それまでの間今のままエアコンを使い続けると修理の規模も費用も膨らみ続けるとのことで、強制的にエアコンを使えないようにしてある。ということで、今、エンジンをかけても、吹き出し口からは外気にしこたま温められた熱風が吐き出されるだけだ。
こうなると、極力車に乗る機会を減らしたくもなるのだけど、そうもいかない。我が家はちょっとした山の中にあり、家から徒歩圏内に学校も幼稚園もスーパーもホームセンターもコンビニも無い。買い物は生協の宅配とネットを駆使すればよいとしても、こどもたちを宅配してもらうわけにもいかず、灼熱の中送り迎えをしている。
で、せめてもの抵抗というか、こどもたちそれぞれに、手持ちの扇風機を与えた。街中で手持ちの扇風機を見かけるたびに、「ほんとにあれ涼しいのか??」と懐疑的だった私ではあるのだけど、「あつい!」「じごく!」と、自分たちの不快感を素直に言葉にして叫ぶこどもたちの気持ちを紛らわすのにはかなり良い仕事をしてくれた(ただし、やっぱり車内で使ってみたら、「ドライヤーみたいなかぜ!」との感想だったけど。楽しそうだったから良し)。
ところで、その手持ちの扇風機の付属の紐を見た瞬間、強烈な懐かしさに襲われた。この紐、絶対今までに出会ってる!でも、どこで...?と、思うだけでなく、紐を手に取ってまじまじと見つめながら、「これを見ていると何かを思い出しそう…」とぶつぶつ声に出していたら、そばにいた夫が、「あれだよ、自転車の荷台の」というので、「ああ!それだ!」と叫んでしまった。
最近、あまり見かけなくなったような気がするけれど、自転車の荷台にぐるぐると巻き付けられている荷物を固定するための紐。その紐には、ドット模様の組み合わさった幾何学模様が一定の間隔であしらわれているのだが、まさに、手持ちの扇風機の付属の紐の模様がそれだった。
分かったところで、情報としては特に何の役にも立たないようなことだけれど、懐かしさの正体を突き止められて私は満足だった。そして、ふと、こういうどうでもいいようなことをやりとりできる相手でよかったな、と思った。紐を見つめながら、「何か思いだしそう…」と唸っていることを、もし、「そんな、どうでもいこと」と、一蹴されていたら、ちょっとかなしい。
そうえば、村上春樹の短編で、長年連れ添った夫と妻が、「半ズボン」がきっかけで離婚する、という話があったのを思いだした。正確には、「半ズボン」ではなく「レーダーホーゼン」という、ドイツ人が履くアルプス風の革ズボンのことで、妻が旅先のドイツで、夫からお土産にと頼まれたレーダーホーゼンを仕立ててもらっている間に、それまで何の素振りもなかったのにも関わらず、すっかり離婚を決意するって話だったと思う。
初めて読んだ学生当時、なんともいえない、ぬるっとした読後感があった。まだ、「そういうことも、あるだろうな」と思えるほどの人生経験もなく、かといって、「そんなきっかけで別れるなんて、ありえない!」と思う程に純粋でもなく、「そういうこともある」ということに薄々気がつきながらも、まだそれはわかりたくない、という気持ちもあったかもしれない。
今では、「そういうことも、あるだろうな」と、想像をはたらかせられるぐらいには、多少の人生経験も積んできた。他人と他人がともに生きるうえでは、どうでもいいようなことを一緒になっておもしろがれるかどうかが、わりあい大事だ。
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