ラジオの話

家事をしながら、よくラジオを聞く。毎週必ず聞く番組もあれば、ときどき聞く番組、いつの間にか聞かなくなったものもある。三ヶ月前ぐらいから、よく聞くようになったのが「大竹まこと ゴールデンラジオ」だ。

もともと、武田砂鉄さんが好きで、金曜の「アシタノカレッジ」を欠かさず聞いているのだけど、その砂鉄さんが火曜日にゴールデンラジオに出演していると知って聞き始めたのがきっかけだ。

大竹まことさんと言えば、自分が小さい時からずっとテレビに出ている人、というイメージがあって、ときどき、義母の部屋のつけっぱなしのテレビで着ぐるみの五歳児に大人が怒られる番組に出演しているのを見かけては、こどものころからのイメージとのギャップの無さに驚いたりして、テレビの中の人たちというのは時間の流れがどこかで止まっているのかな、などと思っていた。

それが、ラジオを聞くようになって、イメージが変わった。そもそも、私が抱いていたイメージなんて、ごく一部を切り取ったもので、その人イコールだと思うこと自体、考えが足らなすぎるのだけど、とにかく、ラジオを聞いて全く印象が変わった。

曜日ごとに代わるパートナーと、アナウンサー、それにゲストを交えて、雑談から時事問題までをあーだこーだと話すラジオなのだが、ある時、その日のパートナーの小島慶子さんの著書の話に及んで、無自覚な男性性が話題にのぼったとき、「オレなんかは、そうすんなりとはわかっていないんだけどさ…」という前置きをしたうえで(表現は不正確かも、うろ覚えなので)、自分を棚上げするでもなく、最近はこういうこと言っちゃダメなんでしょ!?というポーズをとることもなく、真剣に問題を「わかろう」と言葉を紡いで話されるのを聞いて、時が止まってんのか、なんて思ってごめんなさい!と謝りたくなった。時が止まっていたのは、私の方だった。

以来、放送を楽しみにしているのだが、昨日の放送ではこんな場面があった。

番組開始直後のエピソードトークで、サッカー日本代表のクロアチア戦の話をひととおりした後で、唐突に、大竹さんが「そうえば、砂鉄さんの、アレあるじゃない、アレ、本」と言い出す。砂鉄さんが、「ええ、アレ、なんでしょう、エッセイですかね」と返す。「そうそう、『べつに怒ってない』の中で、アレはおもしろかったな…」と、砂鉄さんの最新エッセイの中で、ここがおもしろかった、と話していた場面だ。

最新エッセイと言っても、刊行されてから五ヶ月は経っているし、砂鉄さんは今回その本の販促のために出演しているわけでもない。本を書いた人と、それを読んだ人がいて、ごく自然に「あれ、おもしろかったよ」と話に花が咲く。もしかしたら、二人の間だけで済んでいたかもしれない話を、その場に居合わせてたまたま聞いちゃった、みたいな、なんだか、生身の人間同士が、すぐそこで話しているような親しみを感じたのだった。ラジオを聞いていると、そういう瞬間がある。

ちなみに、大竹さんがおもしろかったと言っていたのは「ダブルピース」というタイトルのエッセイだった。「ダブルピースが気持ちよくできる人間になりたかった。」という一文から始まるその文章に触れながら、大竹さんは、写真に写るときにはバンザイしとけば何とかなる、と持論を展開していた。みんな、写真には苦労しているのである。

ちなみに私は、学生時代の写真はほとんど目をつぶって写っている。うっかりつぶってしまった、とか、半目になってしまった、という「事故」を防げないものかと考えた挙句に、始めからつぶってしまえばいいんだ、と、漫画などで目がバッテンで描かれているような表情をイメージして、目をぎゅっとつぶって口をパカーっと開けていた。自意識が過剰だ。

今でも写真はどちらかというと苦手意識があるが、今度はバンザイしてみようかな。


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