【本とエッセイ#2】「しあわせですか」という問い   読んだ本:永井みみ著『ミシンと金魚』

先日、義母の通院に付き添ったときのこと。
私と一緒に義母の着替えや車椅子から診察台に移譲するのを手伝ってくれていた看護師から、不意に「介護職の方ですか?」と聞かれた。咄嗟に、「いえ、家族の者です。ヨメです。」と答え、「8年ぐらい在宅でみています」とつけ加えた。厳密には在宅介護生活を始める前に、仕事ではないが介護に携わっていたことがあるし、ごく短い期間だったが訪問介護の仕事をしていたこともある。でもべつに、ここで履歴書のような答えを求められているわけではないだろうし、だいたい自分の来し方をくだくだと話すような状況でもなかった。その看護師は、私の答えを聞いて意外そうに「へぇ?」と息を漏らした後で、診察台に横たわる義母に向き直り、「しあわせだねぇ!」と言った。

病院の、狭くて固い診察台の上に、両側を看護師と私に落ちないように支えられているとはいえ、ズボンを下ろされおむつを剝がされて横たわる義母は、不安げな様子だった。前日の夜と当日の朝、それに診察室に入ってからも、今から行う検査の内容を義母に伝えてはいたが、脳出血の後遺症で記憶障害のある義母は今聞いたことを記憶に留めておくことができない。看護師に「しあわせだねぇ」と言われた義母の顔は、こわばっていた。

在宅介護を始める少し前、まだ義母が急性期の病院からリハビリのための病院へ転院したころ、夫とともに義母を見舞いに行ったことがあった。リハビリ担当の理学療法士に、義母はとても頑張っていると言われ、義母も満更でもなさそうだった。夫によれば、もともと義母はおしゃべり好きで、宅配業者でも選挙が近くなるとチラシを配りにくるご近所のおばさんでも新興宗教の勧誘でも、家に訪ねてきた客とは玄関先でそのまま長々と話し込むような人だったらしい。最近ではめっきり口数が少なくなってしまったが、この頃はまだおしゃべりを楽しむことができた。リハビリでの頑張りを誉められた義母は、「センチューハやからね」と、誇らしげに言った。私は、「センチューハ」というのが「戦中派」を指すのだということを理解するのに少し時間を要した。その言葉を知ってはいたが、こんなに身近に自分のことを「戦中派」と名乗る存在はそれまでになかった。色褪せた絵画のコピーが額に入れられて壁にかけられている病院の談話スペースで放たれた、「戦中派やからね」という言葉に、義母の矜持を感じた。

退院して、義母の在宅介護を始めたその年に、私は第一子を出産し、二年後には第二子を出産した。育児と介護が同時進行する中で、どんどんと義母に対するケアは必要最低限のものになっていった。義母の排泄の介助をしてパッドを交換するのにも、必要なことが済めばそそくさと部屋をあとにする。デイサービスがない日には、食事のとき以外は一日ベッドで過ごす義母に対して、それ以上のことをできない後ろめたさはありつつも、慣れない育児に疲弊しきっていた私にはそれが限界だった。


ある日、いつものように、就寝前の介助に入っていたときだ。私が義母の寝る支度を整えていると、義母が少し可笑しそうに、「こんな、皇室の方みたいね。」と言ったことがあった。すぐには意味をはかりかねたけれど、どうやら、こんなに身の回りのことをお世話してくれる人がいるなんて、高貴な身分になったみたいだ、ということらしかった。最低限のことしかできていない、と感じていた私は面食らった。まさか義母がそんな風に捉えているとは思っていなかった。三人の子を持つ主婦として、家族のケアを一手に引き受け、家の中を切り盛りしてきた義母にしてみれば、食事は作らなくても勝手に出てくる、身の回りのことは人がやってくれる、という状況はそれまでに経験のないことだ。その状況を義母にとっての、高貴な身分の象徴=皇室にたとえたというわけだ。私から見えているものと、義母から見えているものは、まったく違うのかもしれない、と思った。


それ以来、義母に対して下手な罪悪感を持つことはやめた。
義母が今過ごしている時間に対して、自分が外側から「何かが足りていない」と判断を下すのは厚かましいことだと思ったからだ。もちろん、不自由を感じることはあるだろうし、こちらに遠慮していることはあるだろうけど、それでも、こちらが想像する以上の前向きさで、義母は「今」を生きている。

今回読んだのは、永井みみ著『ミシンと金魚』。この物語の語り手が、付き添いのヘルパーに「幸せでしたか?」と尋ねられる場面がある。過酷な人生を送ってきた主人公は、それでも自分の人生の中に「幸せ」だったと言える瞬間を見出していく。「しあわせ」かどうかなんて、人がジャッジするもんじゃない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?