私の潔癖症を言語化したい
物心ついた時から、身内であっても人が箸をつけたものは食べられません。
手荷物には必ず除菌シートが入っているし、人に物を貸したくないし、動物には触りたくないし、自宅のトイレですら基本的には消毒してから使います。
これらの感覚から自分は潔癖症だと思っているのですが、矛盾しているところもあります。
綺麗好きだけど、掃除は苦手です。
家から出ていない日には、面倒くささが勝ってお風呂に入らないこともあります。
公共交通機関の手すりなどは、できることなら触りたくないけれど、身の安全のために基本つかまります。(手袋をするほど嫌という訳ではない、という感じです。)
どうして許容できるものとそうでないものがあるのだろう?ということで、今日は、「私が汚いと思う基準」について考えてみました。
結論としては、「未知のものに対する不安感」と「自身の手で綺麗にできない恐怖感」が私の潔癖症の原点なのだと考えました。
「かもしれない運転」のしすぎというか。
詳しく書きます。
例えば動物に触れないということ。
なぜ動物があまり好きではないかと言うと、絶対に雑菌が付いていないという確証が持てないからです。
野良猫とかのペットじゃない動物たちって、何を食べてどこを通って誰に触られて今そこにいるのか分からないじゃないですか。
その辺のネズミを口にくわえたあとかもしれないし、オジサンが唾を吐いた生垣の下を通ってきたかもしれないし、ゴミを漁ったあとのカラスとバトルした後かもしれない。
そう思うとなんか気持ち悪くて、触るのがこわいです。
野良じゃなくたって、どこで何してきたかなんて誰にも分からないじゃないですか。言葉も通じないんだし。
それがなんか怖くて、汚く感じられて、苦手なのです。動物好きな方はごめんなさい。
人に物を貸すのが嫌なのだって、同じような理由です。
例えばマンガ。
私は絶対手を洗ってから触るしお菓子を食べながら読んだりしないし読まない時は閉じて本棚に戻すけれど、貸した相手がどう使ってどこに置くかなんて分からないじゃないですか。
信頼している人に貸したとしても、もしかしたらリビングに置いたままにしちゃって、相手の家族が触る可能性だって0ではないと思うのです。
どんな人がどんな手でどう扱ったか分からないモノが自分の手元に戻ってきて自分の部屋に鎮座するかと思うと、少しゾッとします。
完璧に管理しておきたいということなのかな。
では何故掃除が苦手だったりお風呂に入らなかったりするのか?
それはひとえに、「汚れる環境下になかった」という安心感を得ているからかなと思います。
自室にあるものって全て私の管理下にあるんですよ。
私が使って私が置いたからそこにあるというか。他所からの介入がないので、未知の汚れを警戒する必要が無いのです。ホコリはカバーしてたまに掃除したらいいだけだし。
だから掃除の必要性を感じなくなってしまって、モノをあるべき場所に戻さない限り散らかっていきます。落ち着かないので基本あまり散らかることもありませんが、そんな感じです。
つまり、私の言う「掃除が苦手」というのは「そもそも汚くないからわざわざ掃除したくない」という感じです。
お風呂についてもそうです。
外に出ない日って汗もかかないし外気にも触れないし他者との触れ合いもないから、なんか汚れてない気がしちゃうんですよ。
次の日もずっと家にいるんだったら、いいかな〜みたいな。それでも眠る時になるとそのままで綺麗なベッドに入りたくなくて、わざわざ別の布団を敷いてそこで寝るんですけれども。
これに関してはただ堕落しているだけなので、潔癖症とはもしかしたらあまり関係無いかもしれません。
電車の手すりに触れるのは、まあ基本的には触りたくないんですけれども、でも洗えばなんとかなるかなって思えるからです。
人が口をつけたものを食べられないのは、身体の仕組みをちゃんと理解出来ていなくて口に入れたものが実際問題どのように菌を分解していくのかみたいなところに疑問と不安があるからです。
体内という私にとって未知のものに対する不信感というか。
でも、私がこの手で触れたものは、私自身が洗えるじゃないですか。
石鹸を使ってしっかり洗えば表面の汚れはかなりしっかり落ちるってデータも見た事あるし、何より実感としてサッパリする感覚が得られるのが大きいです。
気持ち悪いなって思っても1回とりあえず除菌シートで手とか私物を拭いて、可能なタイミングで手さえ洗えば何とかなるような気がしちゃうんですよね。
シンプルに頭が弱いだけかも!笑
ちゃんと生物とかを勉強したら、きっと気持ち悪くなったりマシになったり感覚が変わるのだと思います。知識ってやっぱり考え方の根底を支えてくれるものなので。
でも今のところ私の潔癖症なるものは、「私が知らないもの、怖いよ〜!!!」の気持ちから来ているのだろうなと思います。
以上!