
Photo by
bbmm
音楽を連れていく
仕事帰りの、まだ少しだけ余裕のあるピーク前の電車内。
目の前に座る黒人から、ラテン系の音楽が漏れ聞こえてくる。
こんなとき、自分は移動中に音楽を聞かないなあ、と思う。
家事の途中やストレッチ中には音楽をきくのに、移動中に聞かないのは、どうしてだろう。
私には「音楽を連れていく」感覚が、ないのかもしれない。
子どもの頃、車の中に乗っていても、ずっと夜空の月が追いかけてくることが、不思議で仕方がなかった。
走っても走っても、窓からは月が追いかけてきて、
「ああ、月を連れて私(正確には父の運転する車)は走っていけるんだ」
と、本気で思った。
そのとき感じた、「なにかを連れていける全能感」みたいな、
「自分にはなにかを引きつれる(惹きつける)力がある」という無条件の自信を、私はもう感じていない。
だから、音楽は連れていけない。
家事をしながら、ストレッチをしながら、
私の方から、音楽を聞きに行く。
音楽に耳を傾ける。
なんだか自分の無力を感じているような書き方になったけど、必ずしもマイナスのことでもない気がしているのは、強がりだろうか。
私は、私の側(がわ)ではなくて、音楽の側(がわ)にいきたい。
たぶん、音楽の作り手がこれを聞いたら、喜んでくれるんじゃないのかな、なんて、都合よく思っている。
音楽は連れていくより、連れていかれた方が、楽しいような気がして。
だから私は、「音楽は連れていけない」「連れていかない」
あの黒人さんにとって、音楽は「連れ」なのだろうか。
私には想像できないくらい、音楽と打ち解けていたのだろうか。