わたしの脳内では、ストレートロングの黒髪でした。
想像していた印象と違った、ということは、ままあるものだということは理解しているけれど、自分の脳内で勝手に作られる印象の”当てにならなさ”も大概だなぁ、と思う。
まずわたしの中でのイメージの7~8割が「占いをするひと」という人物だった。自分自身が直接お目にかかったことのない職業の方なので、例えば、と思い浮かぶのも画面越しの人物ばかり。どんな雰囲気が「占いをするひと」の普通なのか想像がつかない。
結果的には「違う国に住むひと」から「隣の中学の卒業生らしいひと」ぐらいには、勝手に親しみを感じてしまうほど印象が変わったことを面白く思いながら、占い以外の著書も読ませていただきたいと思っている。
京都で行われた、佐藤ジュンコさんと石井ゆかりさんのトークイベントは3連休初日の2月9日(土)夜に行われた。
Twitterでイベントのことを目にして、佐藤ジュンコさんには申し訳ないのだけれど石井ゆかりさんにお会いしてみたくて行くことを決めた。佐藤さんについては、このイベントで見たお人柄に癒されて展示最終日のマヨルカ古書店さんの個展にお邪魔して、本も手元にお迎えした。
イベント当日、会場の拍手に促されて入場されるお二人を見て、
「あれ?姉妹…じゃないよね??」
と感じたのは多分わたしだけじゃないと思う。主に髪型の印象だったのかもしれないけれども。天然モノと養殖モノのヒツジ族さん。
何故かわたしの脳内での「石井ゆかり」さんはストレートロングの黒髪でぽそぽそと静かにお話されるようなイメージだったので(勝手に)驚いたけれど今回お目にかかれて、またぜひお話される機会があれば行ってみたいと思う、(佐藤さんと同様に大きな声の人が苦手なわたしも)晴れ晴れするような話し方をされる印象だった。
お二人の醸し出す雰囲気は似ているわけではないんだけれども、ほっこりするようなあたたかいような、聞いているだけで思わず笑顔になってしまうようなもので、終わったあとの帰り道からその後の数日間、ふと思い出してクスリと笑いたくなるような楽しいものだった。
イベントで耳にしたことを、帰る道々携帯のメモに打ち込んでいたのだが、「才能」のお話はここ数年の自分のモヤモヤとも繋がって、とても印象深かった。聞きながら、正直ちょっと涙ぐみそうになっていた。
人にはそれぞれいろんな才能があって、それは「音楽」とか「芸術」とかのいわゆる人に評価されるような「才能」と呼ばれるものだけじゃなくって、もっと小さな「通勤の才能」とか「箸置きの才能」とか日常生活のなかで発揮される細々とした才能のことについての話。「みんな同じ」という洗脳、「普通はできなきゃいけない」という洗脳で育っていたなぁと感じている自分にとっては、まわりの人が何の苦労もなく、というと言いすぎかもしれないが、「普通」はできることが苦手だったり、より頑張らないとできないことが、それでもいいんだと言ってもらえたようで、とてもほっとした。
学生時代のわたしには「仲良しグループの才能」はあまりなかったけれど、「ひとりで過ごす才能」はそこそこあったように思う。「まわりとの境界線を探りながら自分の輪郭を確かめる」ということも大事なのだろうとは思う。友人たちの「それって絶対○○だよ!!」とか「○○じゃないなんておかしいと思うんだけど!!」という強めの主張にはすごいなぁと憧れもあるけれど、今はあのひとは「そういう才能」のひとなんだな、と受け入れあえるような環境に出会えればいいなぁと思うようになっている。
想像していたストレートロングの黒髪ではなかった石井さんだったけれど、もっとお二人のお話聞いていたかった。行って良かった。「想像と違うことを楽しめる才能」はあるのかもしれない。あるなら、ぜひ磨いてみたい。