アメリカ合衆国の歴史を大人になってから教わった(3/3)20世紀から現在まで
アメリカ合衆国の歴史を大人になってから教わった(1/3)今までの教育はなんだったんだ?を読む
アメリカ合衆国の歴史を大人になってから教わった(2/3)17世紀から19世紀までを読む
[見出し画像]Taking a stand in Baton Rouge(バトン・ルージュで立ち構える)と題したこちらの写真はカメラマンのJonathan Bachman(ジョナサン・バクマン)がロイター通信のために撮った一枚である。中心にいる女性はIeshia Evans(アイーシャ・エヴァンズ)。ルイジアナ州バトン・ルージュでのデモで逮捕される瞬間。ワンピースを着て、凛と落ち着いた姿で立つ黒人女性と、全身戦闘服で駆け寄る警察官二人の対照的な被写体。武器を持たない黒人の一般市民に対して、警察の過剰な対応を捉えた写真はどんな言葉よりも強く警察と黒人市民、国家と黒人市民、人種関係を物語る。
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1919年(以下「年」省略):「Year of the Red Summer(赤い夏)」アメリカ36都市以上で1000人もの黒人が白人至上主義グループに殺害される。時期は第一次世界大戦直後。戦争から帰国した黒人男性はその経験から、アメリカに戻って人種差別に対して改めて怒りと不満を声に出し、抗議していた。その行動への反応が「赤い夏」だった。ウィリー・ブラウンという男性はネブラスカ州で生きたまま火炙りにされ、殺された。
1920~1935:1900年から1920年にかけて、「Great Migration(大移動)」と呼ばれる、黒人の南部から北の州への大移住があった(およそ30,000人)。それは差別を逃れるため、経済的な理由、職を求めてなど、様々な理由が重なった。この「大移動」の結果、たくさんの黒人がニューヨークの「ハーレム」地区に移り住むことになり、黒人の文化革命「ハーレム・ルネッサンス」が花開く。
1944:レシー・テイラー(Recy Taylor)が白人男性数名に集団強姦される。この事件を調査するため、NAACP(全米黒人地位向上協会/全国有色人種向上協会、National Association for the Advancement of Colored People)は性暴力調査に関して一番の実力者であるアクティビストのローザ・パークスを調査員として派遣した。(パークスは後のモンゴメリー・バス・ボイコット事件でも有名になる)。加害者男性たちは罪を認めながらも、起訴されなかった。アラバマ州議会は2011年に正式にテイラーに謝罪する。
1954:ブラウン対教育委員会裁判(Brown v. Board of Education)。黒人史上初の最高裁判事サーグッド・マーシャル(Thurgood Marshall)によって、「分離すれども平等」(Separate but equal)政策が覆される。具体的には、それまで白人と黒人は同じ学校に通うことが許されていなかったが、この判決によって、公立教育が白人・黒人で統合された。
1963:アラバマ州バーミングハムでChildren's March(子供のマーチ)抗議が行われ、その夏はFreedom Summer(フリーダム・サマー)と呼ばれる。地元消防署は高圧水噴射装置を子供たちに向けて弾圧した。
1964:公民権法(Civil Rights Act)によってアパルトヘイトが正式に終わる。
1965:投票権法(Voting Rights Act)によって選挙・投票に関する人種差別が禁止される。元・南部連邦の州は選挙・投票に関する事項や法律を議会に開示する義務が生まれる。こうして各州の法律は審査され、差別的なものは禁止されるようになった。例えばそれまで横行していた人頭税(Poll Tax)は黒人市民が投票できないためのカラクリだったため、強制廃止された。
同年5月:黒人公民権運動活動家のマルコム・Xが暗殺される。
1966:黒人民族主義運動・黒人解放闘争を掲げたブラック・パンサー党誕生。元々は黒人の安全を保証するためのパトロール隊で始まった活動が一時は政党になるまで拡大する。60年代が終わる頃までの間、ブラック・パンサーのメンバー100人が警察に殺される。
1968:マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺される。彼は生涯の間、実に25回も逮捕されている。
1971:リチャード・ニクソン大統領による「War on Drugs(麻薬戦争、薬物戦争)」政策が始まる。これはレーガンやクリントン大統領によってエスカレートする。ニクソンは「Southern Strategy」(サザン・ストラテジー、南部戦略)によって当選する。サザン・ストラテジーとは公民権法の成立に不満と怒りを抱いていた南部の白人へアピールする選挙戦略である。黒人弾圧の公約を果たすための第一歩が麻薬戦争宣言だった。
(トランプの「Make America great again」(アメリカを再び偉大な国に)も、サザン・ストラテジーを継承しているとも言える。彼のほかの発言や公約と共に読み取ると、彼が掲げる「偉大なアメリカ」は「白人至上主義」を意味していることがわかる。それにたくさんの白人が共感した。特に、自分たちの経済難は移民などの所為だと思ったりしている低所得層の白人は、この言葉を聞いて救世主が現れたと感じたのかもしれない。しかし就任してからトランプは低所得層のための政策は取らず、大企業や大富豪に都合のいい規制緩和を行った。)
1984:レインボー連立のバックアップの下、ジェシー・ジャクソンが合衆国史上初の黒人大統領候補になる。バーニー・サンダース上院議員も自身の選挙活動はジャクソンを模範としていると発言している。
1994:クリントン大統領が「The Violent Crime Control and Law Enforcement Act of 1994」(暴力犯罪防止および法執行法)を実行。これはニクソンの「麻薬戦争」の延長線上にあり、麻薬戦争同様、黒人(特に男性)が標的になり収監される。
この頃、「スーパー・プレデター」という概念が生まれる。スーパー・プレデターとは更生不可能な青少年を意味し、結果として黒人の少年が標的にされる。
この法律が執行されてから、1975年〜1995年生まれの黒人男性人口の1/3は投獄されることになる。そして現在でも18歳から35歳の間の黒人男性の1/3は刑務所に入れられているデータもある。
2005:ハリケーン・カトリーナがアメリカ南東部を直撃。特にニュー・オリーンズに膨大な被害をもたらす。この自然災害後、白人至上主義がさらに状況を悪化させる。
被害に遭った地域は黒人の割合が多い地域である。災害後、店や街中で食糧や物資を求めていた人々を「略奪者」と呼び、政府は警察と軍隊を動員して「略奪者」を弾圧するよう命じられるが、これは「殺してもいい」という命令で、たくさんの黒人ハリケーン被害者が国家によって正義の名の下、殺される。
また、地元のアメフトのスタジアムを避難所に指定し、衛生面などは一切整えず、被害により住居を失った市民何百人もその場所へ移す。時のブッシュ大統領の母親、バーバラ・ブッシュは「この人たちは被害前の暮らしより(スタジアムにいる)今の方がずっと快適な暮らしだ」と発言する。
2008:オバマ大統領当選。この時期の経済危機により国中の家庭は家(不動産)を失ったが、特に被害がひどかったのは黒人家庭であった。しかしオバマ政権は金融機関や銀行に2兆ドルの救済を与え、結果として2012年までにそれまで存在した黒人の全国の総資産(Black wealth)はなんとこの時、2/3減少した。南北戦争直後の再建時代、黒人は全国の資産の1%を所有していたのに対し、2012年にはそれはわずか2%にしか増えていなかった。
2012:トレイバン・マーティンという17歳の黒人少年がジョージ・ジマーマンという白人男性に銃殺される。翌年の裁判結果はジマーマンに無罪判決。 #blacklivesmatter (ブラックライブスマター)運動が始まる。
2020:ジョージ・フロイドが警察に殺される動画がネットで拡散され、Black Lives Matter運動がこれまでに見ないスケールに拡大する。
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年表を見ると、黒人差別は奴隷制度が始まった頃から現在まで、ずっと地続きであることがわかるだろうか。そして、アメリカの「自由」と「平等」は、一番それを必要とし、求めていた黒人たちが声を上げたから今存在する。黒人たちが声を上げなかったら、自由も平等も、白人男性だけのものという、自由も平等もない非常に皮肉な状況の世界になっていただろう。また、黒人の力強い公民権運動のおかげで、他の人種やジェンダー、セクシュアリティー、宗教などの権利を獲得する道が開けたのだ。
アメリカには他にも先住民の歴史や運動、性的少数者、様々の移民グループの運動など、教育過程で教える「公式な歴史」に含まれないものがまだまだたくさんあると思う。歴史の授業はいつだって国家に都合のいいものが都合のいいように教えられる。これは世界中どこへ行っても同じではないかと思う。ベントー先生が教えてくれた歴史が公式のカリキュラムに積極的に盛り込まれることはずっと先の未来かもしれない。そんな中、もっと多角的に歴史を教えようと今頑張っている(戦っている)先生もたくさんいる。
ベントー先生が教えてくれた、歴史の授業を多様化したい人のためのリソースはこちら:Zinn Education Project
7月24日追記:トランプ政権は、連邦基金(つまり米政府からのお金)を受け取っている教育機関がこの年表の様なアメリカ史、そして具体的には1619プロジェクトを教えることを禁止しする政策を現在議論・検討している、とベントー先生からお知らせがありました。詳しくはこちら。また、トレバー・ノアがわかりやすく解説している。