これとこれ。どうしたら結びつくんだ。
鍵穴に鍵 庭石に青蜥蜴
この句に関しては、もう、これに関して書くしかない。
母の才能は、小さな生き物と生活の端切れがぴぴっと結びついたときに開花する。
鍵穴のことなんて、鍵をあけるときと閉めるときにしかほぼほぼ思い出さないのに、なぜ青蜥蜴庭石鍵鍵穴が結びついたのか。
母の脳みそを見てみたい。
私が理科の問題集を解くたびに(まったく解けない)、父はよく「おまえの頭をぱかっと二つに割って、脳みそを見てみたい」と言っていた。
まったく違う理由で母の脳みそを観察してみたい。
どことどこにシナプスが飛ぶと、こういう句ができるのか。
母の師匠の評。
「鍵穴に鍵」はごく当然の関係であるが、それと対比させて庭石には青蜥蜴ともってきたところが、度肝を抜く。庭石の鍵のような青蜥蜴だというのである。このシュールな発想が、ばかげていると思われると誰も共感しない。はっとさせられるのは一面の真実を言い当てているからである。(いには)
母は、師匠の度肝を抜いたらしい。
すごい。
わたしも度肝を抜いた。
この句のおかげで、わたしは自分に肝があることを知った。
ごくごく真面目な母ではあるが、どことなくコケティッシュ。
それは天性のもの。
「母」という形で出会わなかったら、もっともっと面白い面を見れたかもしれない。
まあ、「母」でいいんですけどね。
俳句を作ってくれて、本当に良かった。
本当に母の俳句は、面白い。
蛇足。
とかげが鍵に見えた、というからくりの説明を読んだら、
なんだかちょっとつまらなくなった。
「なんでなんで」とひたすら考えていた、あのわくわく感。
極上のわくわく感。
また味わいたい。
鍵穴に鍵 庭石に青蜥蜴