言葉をもっと温めたい。
忙しかった、と気付くのが遅れるくらい、忙しかったのだと思う。
よく「忙」は「心を亡くす」と書くというが、「ありゃ、亡くしてる」と気づいたのは初めてで、そのきっかけは「時の海ー東北」という現代アートプロジェクトへの参加だった。
7月頭に開催した双葉郡全体の事業の担当となり、そのプレッシャーは私の未経験さも相まってなかなかのもので、でも仕事はそれだけじゃなくて、どの仕事も一応「やれてる」状況にするために、心を動かすことをやめていたんだと思う。
そんなことに気づかずに、がしがし仕事を「回してる」と思ってた6月の週末、「時の海」に参加しない?と誘いを受けた。あまり前知識なく参加したそれは、アーティストの宮島達男さんの作品の中で点灯されるLEDライトの点灯秒数を設定するもの。あなたにとって大切な数字を、と言われ、数字にこだわりを持ってこなかったことに気づく。
東日本大震災を契機とするプロジェクトだが、311につながる数字は今の私にはそう簡単に選べない。ひとまず理由のつく数字を選び、渡されたシートに選んだ理由を書き、それを代読という形で会場のみんなと共有していいかという問いに、一瞬迷って「NO」とチェックして、席を立った。
こんな短時間で私にとって大事な意味なんてまとまらない。そのことをあたかも「大事なこと」のように私の知らない誰かと共有することになんの意味がある?
と思った時に、逆に、気持ちが伴わない「時短」の言葉をいかに私が求め、発してきたか、と初めて思い至った。ああ、忙しかったんだなと思った。実感を込めた言葉をこのところ発していなかったな、と。
半年くらい前、職場である先輩に「脊髄反射のような返しだね」と言われたのを覚えている。相手の言葉が腹じゃなくて脊髄に届いた時点ですでに返答しているような速さだという意で、恥ずかしながら、その時、私はそれを誉め言葉と受け取った。でも、多分それは、警告だったんだと思う。
仕事をこなすために、腹まで、心まで、相手の言葉や状況を落とし込むのを放棄した。結論を急いだ。心亡い言葉しか、この半年以上、発してきてなかったかもしれない。それは、まずい。
私の個人的な「忙しさ」とは別に、被災地(と、おおくくりにしていいか分からないが)では共有を求められるし、私も求めすぎてたな、と思った。本当はそんなに簡単に口にできないことを、例えば頻発しているワークショップで、簡単に言葉にして他人と共有することを当たり前にしてこなかったか。結果として言葉が軽くなったり、場合によっては自己満ですらない「他者満」を満たすだけの無意味なものになってなかったか。
10代後半から20代のころ、私は自分の考えを口にすることが怖かった。自分自身の考え方が未熟で、新しい何かに触れるたびにどんどん変化していく中で、今日発した意見が、明日には変わっているかもしれないことが怖かった。だから「話す」ではなく、せめて「書く」ことを仕事にしたかった。自分の考えをまとめる時間的な猶予が、少しはあるから。
今、自分の考えも変化するものと受け入れて、今の自分の考えを表明することにあまりためらいはない。20代前半の私は変化に対してとても不自由だったと思うから、いいことだと思っている。でも、行き過ぎたかもな。
あの頃、言葉に対して抱いていた畏怖を、全部じゃなくても、もう一度取り戻したいと思っている。少なくともゆっくりしたい。大熊にいたら、大熊の思考で頭が構成されるから、旅に出よう。
と、逗子市に住む友達に会いに行き、海で泳ぎ、10月にはメキシコに行く計画を立てた。
個人的に大事な思いをみんなと共有しなきゃいけないんだろうか。みんな、何かを知ってほしいから共有しているのかな。私は、ここ数年、共有が目的になっていたよ。
というのに、気づいたのも「時の海」のおかげ。宮島さんは誠実にプロジェクトに向き合っているというのは感じられて、だからこそ、自分に問いが生まれたのだと思う。それも彼の力だろうと思うし、気づいてよかったと心から思う。誘ってくれた、りかさん、ありがとう。