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祖母の死にかかる記録
11月21日
朝7時頃。宿にて母からの電話で起きる。この数ヶ月、父母からの電話には「来たか?」と身構えては肩透かしをくってきたが、とうとう。
「ばあちゃん、亡くなったよ〜」
95歳。近く来ることはわかってた連絡。今後の仮日程など事務的なやりとりで早々に切る。
休みとか飛行機とかの手配。11月下旬の平日、結構飛行機埋まってる。急いでも仕方ないので、翌日帰ることとする。
9年前、じいちゃんの訃報も、出張先のホテルで母から受けたな。じいちゃんが死んだときのことをたくさん思い出しながら、家に帰る。
じいちゃんのときは、わたしは喪服を持ってなくてばあちゃんと母の黒い服を借りた。今、喪服は持ってるけど、「あ、靴がないわ」と気づく。もういい歳なのに。
ばあちゃんの昔の靴を数年前にもらってきたけども、サイズが少し大きくて傷もあって履いてない。あれしかないな。バッグもばあちゃんのお下がりだ。ばあちゃんの葬式で、ばあちゃんのお古がフル回転。
夏休みにスーツケースのタイヤが壊れたまま、廊下に放置してたのにも気づく。バックパックで行くしかない。
11月22日
復興事業の基盤整理が活発な大野駅周辺は、工事の進捗によって頻繁に通れる道路が変わる。朝7時過ぎ、駅東口は駐車場が最近変更してたな、と西口に向かったら、こっちも入り口がわかんなくておおいに焦る。発車1分前に駅に駆け込む。バックパックでよかったかも。
バードストライクで30分ほど遅れて到着した空港で弟一家に拾ってもらい、通夜にギリギリ間に合う。久しぶりの孫一同もみんな揃ってる。遺族席に座る前、「顔、見たね?」と母に促され、棺を覗く。きれいな顔。母と笑って頷き合って、席に着く。
そこで数珠を忘れたことに気付く。苦笑する弟。いとこの兄ちゃんに予備を借りた。
女孫3人、おそろいでばあちゃんが買ってくれたやつだったのに、わたしのほかの2人はそのピンクの数珠なのに、ごめんね、ばあちゃん。
「信心決定」しんじんけつじょう。信じる道を決めて迷いなく進むこと。住職が、通夜のあいさつで祖母とのエピソードを語る中で紹介した言葉。
その後、棺に入ってたメモ帳をめくっていたら、同じ言葉が書かれていた。数年前のばあちゃんの手書きメモ。
きのうの早朝、施設職員が様子を見たら亡くなっていたというばあちゃん。ほんとに眠ってるようで、話しかけたら目を開けそう、口をモゴモゴ動かしそう。冷たく固くなった頭と顔をなでる。髪は皮膚ほど冷えてなくて、何度も頭に手を置いた。
斎場に泊まっての通夜の番は父、叔父、弟2人、いとこの男5人。
11月23日
葬儀は11時から、地元の寺で。
じいちゃんも寺葬だった。
パラついていたらしい雨は上がり、寒くもない。と、思ったら日の入らない御堂の中は冷えた。「寒かけん、みんな入ったらお堂の扉を閉めて」との母の指示で様子見に行ったら、入り切らない会葬の方が外の椅子に座ってる。扉は閉められないと母に伝える。陽の射す外の方が暖かいかもしれない。
父と同年代の寺の総代さんたちが式進行。そのじいちゃんたちの仕切りが絶妙に甘く、読経の合間合間に総代たちへの目配せと頷きで進行を制す住職。読経をBGMに弔電紹介しようとしてた。人間らしくて地元っぽくていいと内心にやつく。進行が気になりすぎて、お経間違ったらしい住職。
ばあちゃん。ばあちゃん。
わたしのことを「姫」と呼び、幼い頃から無条件に甘やかしてくれた存在が、この世からいなくなった。なんて心許ない世界になったのだろう。
数年かけて弱っていき、コロナ禍で施設に入って、普通に会えないことが当たり前になっていたから、じいちゃんの時みたいに不在を突きつけられる感じはない。ただ、最後に棺に花を入れながら涙がこぼれた。また頭に触る。出た言葉はなぜか「ばあちゃん、またね」だった。
わたしたち孫よりも、弟たちの嫁2人が号泣してるのを、ほほえましく思う。ありがたいな。
火葬を終え、お骨を拾う。人工関節、大腿骨骨折のときの金具が骨にまとわりついている。
この夜、たいていの親族は帰っていった。みんな、年取ったな、と思う。わたしも。
11月24日
3日参りというのがあるらしく、午前中にお骨を持ってお寺へ。父母と叔父とわたし。お経を上げてもらう。小さい頃から祖父母に連れて行かれていたからか、お堂は好き。匂いが好き。
午後、父と叔父の香典開きを手伝う。初めて開く側に回って思ったこと。「シンプルな封筒がいちばん。内袋はやめよう」
夕食。「ごいんげ(住職)のあいさつは、ちょっと、ばあちゃんを美化しとるね」という叔父の言葉を皮切りに、ばあちゃんとの思い出を言いたい放題に語り出す父母と孫娘(わたし)。じいちゃん、その姉たち、ひいばあちゃん、母方の祖父母(いずれも故人)にも話は及ぶ。葬式の後らしい、親族でしか成り立たない話題。
うちの親族がこれだけ集まるのは、このばあちゃんの葬式が最後の機会だったかもしれない。暮れに差し掛かる直前、みんなが帰ってこれるタイミングを見計らったような最期。
「ばあちゃんはすごかね」と感謝されかけ、「そんなこと気に掛けるような人じゃなかけどね」とすぐ打ち消されちゃうのも、ばあちゃんらしい。
ばあちゃんの孫に生まれて、たぶんわたしはラッキーだったよ。ありがとうね。
またはないのはわかってるけれど、
またね。