大熊に住み始めたときは
我家の前の畑に今年植えられたひまわりが満開になった。
町民有志のプロジェクトで山麓線沿いの畑などが毎年、ひまわりで彩られてきたが、今年はうちの畑(大家の畑)が加わった。「うわ、恩恵しかない」と思ってはいたが、咲いてみると、お日様の当たり具合で花は道路からそっぽを向き、我が家のベランダが特等席となっている。ここまでくると、恩恵というより、かたじけない。
4年前、大熊町にこの一軒家を借りることができて住み始めた時、私はもっと自分に期待していた。全町避難が解除され、これまで避難先で計画していたまちづくりに具体的に土地ができる。動きが出る。どんな町になるんだろう。どんな暮らしにしたらいいだろう。
一軒家を借りれたら……みんなの寄り合いどころみたいになればいいな。仕事終わりの同僚とか、町外に住む友達とか、地域の人とか、ふらりと寄って勝手に帰っていくような。泊まるところがないなら泊まってもらってもいいね。布団がいるなあ。玄関先に貯金箱置いて投げ銭もらうか。トイレットペーパーとか生活必需品をちょっとした金の代わりにしてもらうのもいいねえ。買わなくてよくなったりして。
この家は、大熊ではたぶん標準的な一軒家で、私の想定よりずっと大きかったけれど、民家の解体が進んで選択肢はほかになかったし、何より今後、ここに住む過程で起きていく(はずの)面白いことを受け入れるには家の余分はあってよかった。1階は誰が来ても嫌じゃないスペースにして、2階をプライベートにしよう。
しかし、住み始めてすぐ気づく、というか思いだす。いや、夢想中から薄々頭の片隅で思っていた。
私は全然オープンな人間じゃない。
知らない人と話すのは苦手。仕事ならば話す理由があるからいい。仕事でいろんな方とお話する機会をいただくだけに、私事は知ってる人と好きな人で固めたい。それどころか、一人で家にいることに何の無理もない。好きなものが集まった自分の家が好きなので、テリトリー意識も強い。
加えて仕事も好き。大熊のこれからに関わることでやらねばならないことがあるとしたら、まず仕事でやりたい。
ということで、当初はホントに大熊町内で多めの人数で飲んだり、泊まったりする場所がなかったから、そういう場になったりもしたけれど、基本的には友達しか来ない、普通の家に治まっている。広すぎるけど、居心地のいい私の巣。
それを、もったいないな、と思う気持ちは実はずっと持っている。
こんな大きな家。大家が手入れしてくれるきれいな庭、畑もやればいいのに私は興味がないから、たまに大家が私のために野菜を植えている。
シェアハウスにしたら若者4人くらい住めるのに、一人で占拠しちゃって。
この家をもっと、地域のために使える人はいるんだろうなあと思う。
満開のひまわりを見ながら、二つの思いが同時に湧く。
「植えた人にうちのベランダからの景色を見せたい」という素直な気持ち。
「ベランダってことはうちの2階に上げるってことで、友達以外は無理だな」という素直な気持ち。
うれしいとか楽しいをもっと無邪気にシェアできるオープンさがあればと思うけど、それは私でない誰かになるのを望むようなもんだという、あっけらかんとした諦めもある。
自分が期待した、素敵な自分はいなかった。むしろ周りに喜びを分けてもらいながら、大熊で今日もそれなりに楽しくちんまり生きている。