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バロンじゃなくてランダを買ったバリ

少し遅めの夏休みでバリに行ってきた。
親しい友人が長期滞在中でアテンドをもらえたことも大きな一因だろう。約1週間の海外旅行で、「やっと土地に慣れてきたのに!」ではなく、「あぁ、いい経験をした」と思い、さらに旅から帰った後の日常を待ち望むことができる、私にとっては珍しい旅だった。

行く前、かなり、仕事で息詰まっていた。過去の仕事に執着して、自分の動きを縛っていた。自分で自分を不自由にしていると分かっていても、うまく身をこなせずにいた。
バリに来て2日間、同僚をあげつらうような夢を見た。執着に我ながら呆れるくらい。3日目、自分が呪われるような夢を見た。仕事の失敗を自分でぬぐえなくて、でも誰も助けてくれない夢。助けてくれない理由が、過去の自分の言動にあると理解している夢。
区切りがついたように、そこから、バリでは仕事のことを考えなくなった。

私がバリに淡く憧れていた理由は、多分20年くらい前に読んだ小説だ。

ずいぶんと時間は流れた。小説のバリより、今のバリはきっとずっとにぎわっている。そして、今も昔も私に神秘的な感覚はない。
ただ、友だちがバリにいるという理由で旅先に選んでからずっと、この小説は頭にあって、そこに登場する、良きものの象徴であるバロンと悪きもの象徴であるランダのこともまた(自分なりの解釈で)頭にあった。旅の間、海の近くではランダの賢さと強さを思い、山の方にいけば、なんか清らかな気持ちになるかしら、と期待した。

ウブドで見た伝統的なダンスは素晴らしくて、そこに登場する獅子舞のようなバロンはとにかくかわいかった。これはもう、バロンの面を買って帰ろうと思った。守り神だ!
そして、私はランダの面を買った。

かわいいかわいいバロン

マーケットのおじちゃんの話が嘘か真かは分からない。
バロンは悪いものから守ってくれるから、扉の前に飾ると言った。ふむ。そしてランダは、部屋に飾るという。ん?なんで?怖いものなのに?
「バランスをとってもらうんだよ。ランダは悪い力をコントロールするものだから。ランダが悪さをするんじゃない。悪いことを思えば悪さが強くなるし、良い状態なら悪さを抑える」。そして言ったのだ。
「原子力のようなもんだよ」

一気に、ランダが大熊と結び着いた。身近になった。親しみがわいた。

私の中から悪いものはなくならないし、きれいなものになろうとも思わない。でも、たまに行き過ぎる悪さを自分でたしなめられるように、ランダに見ててもらおうと思った。

私の部屋にきたランダ

大熊に帰ってきたその日は町の夏祭りで、疲れ切った体と頭でビールと晩御飯を求めに行った。盆踊りを少し躍った。我が家のベランダから見た夏祭りの花火は、休みの締めくくりにふさわしいものだった。
次の日は休日仕事があって、その後、野菜をもらいにいつもの畑に行った。
旅から戻ってきたばかりの日常は新鮮だ。

日常がまた始まる。旅の魔法が解けるのが少し怖くて、それでもこれからが結構楽しみ。



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