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芸術家の芸術に於けるコダワリにはコトワリあり。

Art Project
「コダワリのコトワリ」とは?

芸術作品の作品コンセプトに触れる機会は多いかもしれないが、芸術家の芸、術理、技、技法に触れる機会はなかなかないのではないだろうか?
表現を表現たらしめる為に長年練り上げてきたその芸と術。その核心に迫り、示し表現し合い、その(ことわり)までを浮き彫りにしようと試みる場として、「コダワリのコトワリ」を設けてみた。

コダワリは往々にして進展を妨げる。
だがそのコダワリを磨き洗練させ練り上げれば、それは武器となり強い個性になる。それを存分に発揮しているのが芸術家だ。
それは作品以前に十分価値があり、その奥にはコトワリがあると私は思う。
そして、芸術に関わる関わらず様々な人々に、その結晶化したコダワリのコトワリに触れることで、何かしらの気づきや、ヒントを与えられるのではなかろうかと私は思っている。

場の形態は舞踊家・俳優(+生躰研究家)YASUCHIKAがホスト役も兼ね、
お招きしたアーティストとの対話と表現の双方を行きかって、そのコダワリとコトワリを提示していくといったスタイルを基本とし、進めていく予定です。(番外編も色々と想像してみたりしておりますがw)
そして、その様子を映像配信し、アーカイブも残していく…
「コダワリのコトワリ」は継続企画。
どうぞよろしくお願いします。

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私(YASUCHIKA)は(なま)であることに拘ってきた。
舞台は生であるから価値がある。
映像では伝わらない、生だからこそ感じ、体験できることがその時空間にはあると…
それは、その時空間に身体(カラダ)があるからこそ生じることである。
デジタルによるフィジカルや五感に対する刺激と反応では得られない経験。
アナログの時空間でしか生じえない共鳴、響命関係での経験…
その生の価値を、逆に映像配信をすることによって伝えられるのではないかと思っている。
生でしか伝えられないものが、映像を通すことで、どれほど零れ落ちるのか…零れ落ちれば落ちる程に生の価値が証されていくと。
このことは、以前から言われ、私自身も言い続け、そしてライブ好きの方には承知のことであり、経験済みなので十分理解できることだとは言え、
これから5Gになり、テクノロジーがより加速度的目覚ましく発展する中で、(その発展は有難い限りである)
デジタル世界の外に膨大なアナログ世界が広がり続けており、
我々が身体をもって存在している以上、アナログな繋がりは我々が我々足らしめるために重要な何かがあることを、この企画を通して私自身も含め、共により深く探り感じ知る一助になればよいとも思っている。

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アフターコロナ…そしてこの現象は、第二派、三派とやってくることを想定していくことが、これからはスタンダード(ニューノーマル)になると私は思っている。
故に我々舞台人(ないしアナログの芸術)は否応なくデジタルとの付き合い方、また別の表現形態を考慮し試行錯誤を始めている。
社会形態は、デジタル世界へ移行することに大きく舵を切っており、人々はそのことを慣れ始め、受け入れていっている中で、
我々のフィールドであった劇場、ギャラリー、美術館などの形態もデジタル世界の介入によって大きく変化していくだろう。
これはチャンスでもあるし失うものもある。
「生」にコダワルわたしの一つの仕事は、
その失われるものが何なのかをしっかりと捉え、もしそれがかけがえのないものであるならば、それを残し伝えていくためのコトワリを明かしし、証することだと思っている。

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YASUCHIKA

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舞踊家・俳優 + 生躰研究家。  芸術企画KIUNJI代表。
1999年より俳優を、2003年より踊りを始める。
2004年頃より、死んだら消える響命(共鳴)する身体観を学び、その感覚を基に芸術表現を探求。
また「生因とは?」を根底に躰の力を生躰研究家として研究。
2017年芸術名YASUCHIKAに改名。
近年は武術(韓氏意拳、兵法武学研究会)でも躰を練っている。
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