さよなら聖職者
「7月から来てほしいという学校があるのですが、どうされますか?」
「すみません、私もう教員はやめます。」
そう言って通話を終了した。
このやり取りから、ちょうど四年が経つ。
大学を卒業後、社会人一年目。
初めての職は「教職」
四月に臨時教員として赴任した。
休職中の先生の代わりだ。
いきなり繁忙期という荒波にのまれる。
うまく行かないことの方が多かったし、うまく行った事があるのかも分からなかった。
職員室での業務中には勝手に涙が出てきた。
帰り道には必ずと言っていいほど泣いていた。
学級開きのための、多大な業務。
赴任二週間で、いきなり任される保護者参観。
早朝の出勤と短すぎる休憩と夜の残業。
溢れる涙は業務の辛さから来るものかと思っていた。
しかし、原因は違った。
「教員だから」
この言葉だ。
多大な業務も、理不尽も、この言葉が頭に付くことで当たり前とされる。
「教員だから」人格者でいなければならない。
「教員だから」残業は当たり前。
「教員だから」仕方ないよね。
学校では勿論、家でも、プライベートでも「教員だから」という諦めで我慢したり、強いられる事がたくさんあった。
「教員は聖職者」とはよく言われるが、
聖職者にもその様な諦めはあったのだろうか。
辛かった。
毎日カレンダーにバツ印を記入してた。
バツ印が任期の最終日に近づく事だけが救いだった。
早く休みたい。
早く辞めたい。
早く「教員」という縛りから開放されたい。
どうか、そう考えていた事を責めないで欲しい。
「教員だから」「辛い」と言う事すら責められるなら、どうすればいいのだろうか。
結局一ヶ月半で任期が切れて、学校を離れることになった。
ただ、学校が一番忙しい時期に、必死で働いていた私の事を見ている人はいた。
任期の最終日、同じ学年団の先生から、プレゼントを頂いた。
ハンカチだった。
もしかしたら、私が泣いていた所を見られていたのかもしれない。
それでも、嬉しかった。
これから、涙が出る事があっても、
その時はこのハンカチが拭ってくれる。
あれから四年が経った。
私は今、民間企業で会社員をしている。
「聖職者」でなくなった私。
泣くことも無くなった。
それでも、ポケットにハンカチを忍ばせておく。
「泣いてもいいよ」
そう言われてるような気がする。
そう言われると、安心して、
それだけで涙が拭われるような気がするから。