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ライバーよりも価値のある存在

Twitterで流れてきた内容で、ライバー目当てというか、メインで他の枠でコミュニケーションを行うことは、問題である のようなもの
リスナーの心はわからないが、枠をとっているライバーよりも、リスナー側にいるライバーへのほうがコミュニケーションが多い状況があれば、一番絡みたいのが、枠をとっているライバーではなく、リスナー側にいるライバーであると判断をされてしまうことは自然なことかもしれない
応援行為ではないというのは、どういうことなのか?
システム的な観点では、罵詈雑言やセクハラでないならば、応援とはいえるだろう
心情的な観点ならどうか
例えば、わたしは会話ボキャブラリーあまりないし、リスナー同士で掛け合いをしてもいいよ それをみてるのも幸せだ とか反例もある
ではマイナス例とはなにか、寂しい、入りたいのに入れないなどの気持ちを抱かせることであろう
前提として、反例ケースのような明言をしているライバーならば、そのリスナーの行動はとがめられるものではなくなるだろうか?
これはそうでもなく、ライバーのコメントへの価値観を知らない新規の印象は、2つになるだろう
それが先ほどの2つである
 
とまぁこんなトピックが流れてきたので、ノートにかきました🙃

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