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それでいいのか、『プリンセスピーチ Showtime!』!

キノピオが持ってきたチラシで知ったキラメキ劇場の舞台公演。

早速やってきたピーチ姫御一行でしたが、突如あらわれたグレープ劇団と名乗る者たちに舞台が乗っ取られ、ピーチも劇場の中に閉じ込められてしまいます。

劇場を取り戻すため、この劇場を守ってきた妖精「ステラ」と共にピーチは「グレープ劇団」に立ち向かいます。

『プリンセスピーチ Showtime!』あらすじ、公式サイトより。

前提として、超よくできたゲームだと思う

本作のピーチ姫は、マリオシリーズ全体から印象を受ける "男がいないと何もできない女" というイメージが全くなく、映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』と同様に自立した女性として描かれていて、そうするほかに選択肢は無かったとは思うものの、とても好ましいキャラクターに仕上がっていると思う。

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のピーチ姫

外見も細かく凝っていて、前傾姿勢で白馬に乗って投げ縄を振り回すカウガールピーチの勇ましさ、コートなのにスカートにも見える探偵ピーチの衣装デザイン、フィギュアスケーターピーチの後ろ滑りで進むモーションなど、好きな点は枚挙に暇がない。

探偵ピーチ

しかし、物語には大きな問題がある。

舞台演劇がモチーフであることに意味がない

背景が(本来の意味の)書き割りになっているとか、忍者ピーチが(本来の意味の)どんでんで(本来の意味の)舞台裏に隠れるとか、空を飛ぶオブジェクトはもれなく糸で吊られているとか、そういうデザイン的な面白さは存分にある。

ビデオゲームが舞台演劇と本質的な共通点が多いという前提をわかったうえで、あえてそれを「まんまやる」という突き抜けた面白さもある。

しかし、物語を通したテーマや、作り手からのメッセージという面から見ると、舞台演劇というモチーフに必然性が見出せない。

私が読み違えていなければ、結末までのストーリーを要約すると

物理的に強くなりたかったグレープが、劇団を率いて劇場を占領し、人々を悲しませることでヤミの力を溜め、かなり良いところまでいきました。
ピーチ姫は、グレープを物理的に撃退しました。めでたしめでたし。

乱暴な要約

というものだ。

企画としてこういう設定~デザインになった理由は色々あるのだろうが、物語単体として考えると、例えば「サーカスをピエロが乗っ取る」とか「神殿を悪魔が乗っ取る」というふうにすげ替えても支障がない。
「メタをやりたいのかな」と思ってゲームを進めても、そんな展開には全然ならない。

例えば、本作のテーマが「物語とはなにか」とか「表現とはなにか」とか「演じるとはなにか」みたいなことであれば、必然性はあったと思う。
しかし、本作には「悪いことをするのは良くない」くらいのメッセージしかない。

まぁ、そんなことは些細な問題と言っていいと思う。本当の問題は次の項。

体制の勝利

本作の悪役・グレープ

本作のあらすじを意地悪にまとめると、次のようになる。

自分たちが考える最高の劇を上演したいと願う劇団を、政府が弾圧する物語。

「きらきら輝く可愛らしいピーチ姫と、禍々しい暗黒空間から現れるグレープ劇団」という演出を剥ぎ取れば、"安倍マリオ"でおなじみの任天堂がこれを語っているという構図が目につく。

断っておくと、私はそういう物語でもいいと思う。「体制が勝利する物語には何の問題もない」と言いたいわけではなく、例えばバーホーベンの『スターシップ・トゥルーパーズ』のように、やりようはいくらでもあると思う。

『スターシップ・トゥルーパーズ』

しかし、本作の物語は、この歪みに全く無頓着なまま進行する。
体制の頂点たる存在を主人公に据えるという点に、作り手が微塵の葛藤も覚えていないように見えるのだ。

好意的に考えると、作り手は次のように考えていたかもしれない。

"そんなことを考えていては自由な作品づくりができないし、本作がその壁に挑戦した成果であるとユーザーに勘づかれてしまうと、いまいましい批評家ネズミ達から要らぬ攻撃をくらいかねないので、その面を可能な限りベールで覆うような見た目に仕上げた。"

こうだとしても、全然納得はできない。いや、別に私は社員でも株主でもないので、納得なんてする必要はないのだけれど。

そういう気持ちでゲームを進めると、終盤の展開は本当に酷い。

ゲームがクライマックスに突入し、グレープ劇団の団長 "グレープ" との一騎打ちが始まると、それまでの形式上の舞台を離れてしまい、東映アニメのような紫色の空のなかで超現実的な能力の応酬をする、凡庸なラスボス戦をプレイすることになる。

さらに、(これは冒頭でも書いたが)グレープが悲劇を上演したがっていたのは、別に表現欲が爆発しているとかではなく、人々が悲しむことによって生まれる「ヤミの力」を吸収して自身を物理的にパワーアップさせるためだった、という真相が判明する。

「あぁ、とうとう舞台関係なくなっちゃったなぁ……」なんて思いつつラスボス・グレープを撃退すると、瓦礫の山となったキラメキ劇場が不思議な力によって元通りに修復され大団円、最後、カーテンコールのようにピーチ姫と劇場のスタッフやキラリスタ(役者)たちがカメラに向かってお辞儀をする。

結局、舞台モチーフに統一されてもいなければ、舞台は関係なかったという結末にもこだわりがない、なんとも中途半端なかたちでエンドクレジットが流れ始める。

なにがしたいのかわからない、と毒づきたいところだが、なにがしたいのかはわかっている。

作り手は、舞台演劇という今まで使ったことのないモチーフがタンスの引き出しの奥に眠っていることに気が付いたので、そのモチーフが邪魔しなさそうな企画にガッチャンコしたのだろう。
それが『プリンセスピーチ Showtime!』だ。

ぼくのかんがえたさいきょうの『プリンセスピーチ Showtime!』

さて、ここまで書いておいて「ファンに攻撃されたくない」は通らないので、暴言ついでに "こうだったら俺だけ満足できたのに妄想" を書いておく。

キノピオが持ってきたチラシで知ったキラメキ劇場の舞台公演。
早速やってきたピーチ姫御一行でしたが、劇場はグレープ劇団と名乗る者たちに乗っ取られていました。
劇場に閉じ込められたピーチは、この劇場を守ってきた妖精「ステラ」と共に、「グレープ劇団」に立ち向かいます。


グレープ劇団を次々と打ちのめし、スタッフやキラリスタたちを救出するピーチでしたが、なにかモヤモヤしたものを感じていました。グレープ劇団は、確かに劇場を暴力的に占拠していましたが、その訴えは「自分たちの劇を上演したい」というものばかり。
ピーチは、グレープ劇団が何者なのかとステラや劇場スタッフたちに問いかけますが、皆「知らない」と言います。

最後の劇を救ったところで、団長グレープが現れます。
いよいよラスボス戦と思い覚悟を決めるピーチ姫でしたが、悪の魔法使いのようなグレープがその衣装を脱ぐと、その正体はキラメキ劇場の元清掃員でした。

その姿に思い当たる節があり、ばつが悪そうに押し黙るスタッフたちをピーチが問い詰めます。
真相を話し始めたのは、現在の清掃員たちでした。


グレープは元々貧しい舞台脚本家で、キラメキ劇場の常連客でした。グレープの脚本を読み感動した先代のオーナーは上演を約束しましたが、グレープを清掃員として雇った直後に亡くなってしまいます。

グレープは清掃員として働き、憧れのキラメキ劇場を毎日ピカピカに磨き上げて、必要資金を貯めました。
いよいよ資金が貯まり、後釜のオーナーに上演を掛け合いますが、実績のあるシリーズの続編やスピンオフでなければ売れる見込みがないとされ、グレープは追い返されてしまいます。

怒りに燃えたグレープは劇場を去り、悪のグレープ劇団を結成、劇場乗っ取り作戦に踏み切ります。
その心の内には、「観てさえくれれば解ってくれるはず」という切なる想いがあったのでした。


話を聞いたピーチは、グレープから脚本を受取り、黙って読み終えると、キノピオを呼びキノコ王国の資金力を使って、キラメキ劇場に最大規模の舞台ホールを増築します。

舞台モチーフの画面全体が裏返り、薄汚い舞台裏に立つピーチ姫。最後の冒険は、グレープの劇が問題なく進行するよう、あらゆる舞台装置を作動させることです。

これまでの冒険によって全ての舞台の機械構造を把握しているピーチ姫は、照明を操作し、幕を昇降させ、背景書き割りを動かし、グレープ劇団の団員たちを完璧にサポートします。


無事に演目を終え、静まり返ったままの劇場。ガランとした客席のなか、唯一の観客であるキラメキ劇場のスタッフやキラリスタたちは、驚きの表情で舞台を見つめています。
最後の幕が降りて暗くなった舞台上にグレープが現れます。不安気でいまにも泣きそうになっている背の小さなグレープのもとに、ピーチ姫が駆け寄ってひざまずきます。

グレープ「伝わったかしら?」
ピーチ姫「そんなこと、どうでもいいじゃない!」

力強く微笑むピーチ姫につられて、グレープは希望に満ちた笑顔を浮かべるのでした。

ぼくのかんがえたさいきょうの『プリンセスピーチ Showtime!』

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