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【伊丹万作 全集1】私は暫し慄いた。と同時に、上質なホラーやサスペンス、SF映画を観た後のような満足感をも得た。
先日、STARLETさんの「丹下左膳余話 百萬両の壺」の記事を丸々お借りした時に、山中貞雄監督が28才という若さでこの世を去り、同作品を含み、たったの3本しか映画を残しておられず非常に残念だという話題と、
故・伊丹十三監督の父親で、やはり映画人でいらした伊丹万作氏について、少しだけ話題になりました。
STARLETさんも伊丹万作氏について興味を持たれたようで「伊丹万作 全集」なる書籍を手にされ、投稿していただきました。
その折に、私の名前まで出していただき感激しております。
わたしは、幸いにもオークションにて「權三と助十」と伊丹万作氏最後の作品である「巨人傳」のVHSは手にすることが出来ましたが、伊丹万作氏について触り程度の知識しかありませんでした。
最初に読まれた伊丹万作氏のエッセイ2本『戦争責任者の問題』『政治に関する随想』を、引用して下さっておられますが、STARLETさんのご紹介文章に書かれているとおり、伊丹万作氏という人がまるで今を生きておられるような生々しさや、戦争を体験した方は「今の空気感」をそのまんま、いや、その先を経験されているので私たちにとっては教科書やテレビでみる「過去の悲惨な出来事」ではなく「今からこうなるよ」という警告として受け止めなければならないといった切迫感と緊張感に句読点の位置すら忘れるくらいの思いでありました。
歴史は繰り返す。普遍的な事は、新旧なく繰り返すのだが、それを感じ取れるか否かは、その人次第なのかも知れません。
「温故知新」という言葉もありますが、どんなに素晴らしいものでも、その文章を誰も読まなければ、ただのホコリ被りのでしかありません。
映画でもそう。手に取って再生するまではただの媒体。
わたしの場合は積み重ねたビデオテープ。
むかし、ワイドショーで、連続幼女誘拐殺人事件の容疑者(当時)の部屋を映した。「オタク」という言葉が出来た事件だったんじゃないかな・・
で、その部屋に積み重ねられ、「異常」とされたビデオテープの数量に衝撃をうけた。
普通それくらいの量あるだろって・・。
話がそれた。
いくら、良い作品であっても観なければ、読まなければ持っているだけ、知っているだけ満足でしかなく、いつぞやの宝の持ち腐れでしかありません。
ましてや、自分が誕生する前の戦争。NHKや学校の授業でもいろいろ聞いてて、ふだんファミマの店員さんちょっといい感じと思っている日本人が、 それを読むには相当敷居が高い。
万作さん知らないけど「読んでみようか・・」そこまでの第一歩を、ぜひ
皆様にも、ぜひご一読いただきたく、またまたパク‥お借りしました。('◇')ゞ
「そして読んでみるとその文章は、まるでつい先ほど記されたかのような内容で、且つこれ以上なく日本の現状を的確に指摘したものであり、私は暫し慄いた。と同時に、上質なホラーやサスペンス、SF映画を観た後のような満足感をも得た。」
STARLETさんの熱意があってこそ「伊丹万作 全集」まで届かれたのであって、氏についての「伊丹万作 全集」なる書物のご紹介もあわせて、わたしの方こそ感謝しております。