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チリのアジェンデ政権

チリのアジェンデ政権(1970-1973)は、サルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)を大統領とする社会主義政権であり、民主的選挙で選出された史上初のマルクス主義政権として注目を集めました。その政策と結末は、チリ国内外で大きな議論を呼び、冷戦期の南米政治に大きな影響を与えました。以下に詳しく解説します。

1. サルバドール・アジェンデとは

• 生い立ちと政治キャリア
アジェンデは1908年にチリの裕福な家庭に生まれ、医師として活動する一方、共産主義や社会主義に共感して政治活動を始めました。彼はチリ社会党(Partido Socialista de Chile)の一員として、労働者階級の権利や社会正義を追求しました。
• 選挙戦と大統領就任
1970年、アジェンデは「人民連合(Unidad Popular)」という左派連合の候補として大統領選挙に立候補し、36.6%の得票率で当選しました。これは多数決ではなく、議会による承認が必要でしたが、アジェンデは正式に大統領に選出されました。

2. アジェンデ政権の政策

アジェンデ政権は「平和的な道による社会主義建設」を掲げ、以下のような急進的な政策を実施しました。

(1) 経済政策
1. 国有化
• 銅鉱山、銀行、大規模産業を国有化。特に銅鉱山はチリ経済の柱であり、多国籍企業が支配していましたが、アジェンデ政権はそれを国の管理下に置きました。
2. 土地改革
• 大地主から土地を収用し、小規模農家や労働者に分配。これは農業の効率化と社会的平等を目指したものでした。
3. 賃金引き上げと物価抑制
• 労働者階級の生活向上のため、最低賃金を引き上げ、一方で物価統制を行いました。

(2) 社会政策
1. 教育・医療の拡充
• 無償教育や医療サービスの拡充を図り、貧困層の生活を改善する政策を実施しました。
2. 社会的不平等の解消
• 富裕層と貧困層の格差を縮小し、社会的平等を実現しようとしました。

3. 政権への反発と困難

アジェンデ政権の急進的な改革は、国内外で強い反発を招きました。

(1) 国内の対立
1. 経済的混乱
• 資本家層の反発や資本逃避により、インフレが悪化し、物資不足が深刻化しました。これにより労働者層の支持も一部で揺らぎました。
2. 政治的分断
• 中産階級や保守派を中心にアジェンデ政権への批判が高まり、街頭デモやストライキが頻発しました。

(2) 国外からの圧力
1. アメリカの介入
• 冷戦下で社会主義勢力の拡大を懸念していたアメリカは、CIAを通じて反アジェンデ活動を支援。経済制裁や資金供与により政権不安を煽りました。
2. 国際市場の孤立
• 銅鉱山の国有化により、国際市場での貿易や外貨獲得が困難になり、経済はさらに悪化しました。

4. クーデターと政権の崩壊

1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍を中心とした軍部がクーデターを起こし、アジェンデ政権は崩壊しました。
• アジェンデの最期
クーデター当日、アジェンデは大統領府(モネダ宮殿)で抵抗しましたが、最終的に自殺したとされています。
• ピノチェト政権の成立
クーデター後、ピノチェトが軍事独裁政権を樹立し、アジェンデの改革は撤回されました。同時に、人権侵害や弾圧が深刻化しました。

5. アジェンデ政権の意義と評価

(1) 意義
• 平和的な社会主義建設の試み
民主的なプロセスを通じて社会主義を実現しようとした歴史的な試み。
• 社会的不平等への挑戦
極端な貧富の差を解消しようとした政策は、現在のチリの社会政策にも影響を与えています。

(2) 評価の分かれ方
• 支持者は、アジェンデを社会正義を追求した英雄と評価する一方、反対派は経済混乱や社会分断を招いた指導者として批判します。

6. 現在への影響

アジェンデ政権は、現在のチリや南米全体の政治・社会運動に大きな影響を及ぼしています。
• 社会運動の象徴
アジェンデの理念は、貧困層や社会運動のシンボルとして支持されています。
• 歴史的教訓
冷戦期の大国間の介入や、民主的手続きの重要性を考える上で重要な事例です。

アジェンデ政権は、理想と現実、国内外の圧力が交錯した中での挑戦であり、その結末はチリのみならず、世界の政治史に大きな教訓を残しました。

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